第35話
振り上げられた斧が、晴人の片腕を根本から切断した。噴き上がる血飛沫が、ミノタウロスの顔を染める。
「……あ?」
晴人は何が起きたのか分かっていないようだった。宙を舞った自分の腕を目で追い、それが地面へ落ちた瞬間、ようやく理解した。
「う、ああああああああああっ!!」
「晴人!!」
絶叫が洞窟に響く。
晴人は残った手で肩口を押さえ、その場に崩れ落ちた。指の隙間から血が溢れ、足元を赤く染めていく。
「くそっ!」
僕は地面を蹴った。
ミノタウロスが晴人へ斧を振り下ろそうとする。その巨体と晴人の間へ飛び込み、ショートソードを両手で構えた。
ガァン!!
「ぐっ……!」
重い。
腕が千切れそうな衝撃が全身を突き抜ける。それでも耐えられた。
以前の僕なら絶対に無理だった。
「晴人! 逃げて!」
「む、無理……言うな……!」
晴人は激痛に蹲り、動く事ができない。失った腕の付け根からは今も大量の血が流れ続け、押さえている手まで真っ赤に染まっていた。
「だったら動かないで! 僕がこいつを引きつける!」
「黎……?」
勝つ必要はない。
晴人が動けるようになるまで時間を稼ぐ。それから二人で逃げる。
それだけでいい。
ショートソードを構え、ミノタウロスを睨みつける。
「こっちだ!」
「ブフゥ……」
ミノタウロスの視線が僕へ向いた。
巨大な斧が持ち上がる。
来る。
緊張と共に心臓が強く脈打ち、身体の奥から熱が溢れ出した。
斧が振り下ろされる。
「っ!」
見える。
身体を横へ投げ出すと、直後に斧が地面へ叩きつけられた。岩が砕け、その破片が頬を掠める。
立ち上がり、すぐに走る。晴人から離れるように。
「こっちだ! 僕を見ろ!」
ミノタウロスが追ってくる。
それでいい。
晴人に近づけさせなければいい。
振るわれる斧をかわし、拳を潜り抜け、隙を見つけてショートソードを叩き込む。腕、脇腹、太腿。少しずつ傷は増えていく。
それでも浅い。
「くそっ……!」
倒せない。
何度斬っても致命傷には届かない。
それどころか、時間が経つほど僕の身体の方が動かなくなっていく。
「はぁ……はぁ……!」
息が苦しい。腕が重い。
それでも止まれない。
止まれば、あいつは晴人のところへ行く。
「黎……」
遠くから声がした。
「……晴人?」
僅かに視線を向ける。
晴人が岩壁にもたれかかっていた。
顔が真っ白だった。
「晴人! 傷を押さえて!」
「……押さえてる……」
「絶対離さないで!」
「分かってる……」
声が弱い。
まずい。
早く地上へ連れて行かないと。
「待ってて! 絶対助けるから!」
「……おう」
晴人が小さく笑った。
その瞬間。
「ブフゥッ!」
「――っ!」
腹に衝撃が走った。
ミノタウロスの拳だった。
「がっ!」
身体が吹き飛び、地面を転がる。
痛い。息ができない。
それでも、すぐに立ち上がる。
「まだ……!」
僕が動けば、ミノタウロスもこちらを見る。
それでいい。
何度倒されてもいい。僕だけを狙ってくれれば。晴人が生きている。それだけで戦う理由になる。
斧をかわす。斬る。
殴られる。立ち上がる。
またかわす。
何度繰り返したのか分からない。身体のあちこちが痛い。呼吸するたびに胸が軋み、ショートソードを握る手の感覚も薄れていく。
それでも僕は戦い続けた。
「晴人……!」
返事はない。
「晴人!」
戦いながら叫ぶ。
「……」
「晴人!?」
動いていない。
「くそっ!」
ミノタウロスの斧を避け、そのまま大きく距離を取る。
「晴人!」
駆け寄る。
肩口から流れていた血で、晴人の服も地面も真っ赤になっていた。
「おい! 晴人!」
頬を叩く。
「起きて!」
「……ん」
僅かに瞼が動いた。
「晴人!」
「……黎?」
「そうだよ! 僕だよ!」
よかった。
まだ生きてる。
「待ってて。絶対に地上まで連れて帰るから」
「俺も……無理っぽいな」
「何言ってるんだよ」
「分かるって……自分の身体だぞ」
「大丈夫だから!」
「黎」
晴人の声は、驚くほど静かだった。
「……生きろよ」
「……」
「お前だけでも……」
「晴人?」
それきりだった。
「……晴人?」
返事がない。
「おい」
身体を揺らす。
「晴人」
動かない。
「……起きろよ」
もう一度揺らす。
「帰るんだろ……?」
返事はなかった。
拓真も、晴人も僕は守れなかった。
その背後で――ミノタウロスの足音が響いた。




