第34話
「拓真……?」
返事はない。
少し離れた場所に倒れた拓真の身体から、赤い血が岩肌を伝って広がっていく。
理解できなかった。
ついさっきまで話していた。今日はもう帰ろうと言って、晴人に呆れて、僕を心配していた。
それなのに、動かない。
「拓真っ!!」
晴人の叫び声が洞窟に響いた。
「おい! ふざけんなよ! 拓真!!」
駆け寄ろうとした晴人の前へ、巨大な斧が振り下ろされる。
「っ!?」
轟音と共に地面が砕け、岩の破片が飛び散った。晴人が慌てて後ろへ飛び退く。
「ヴォオオオオオオッ!!」
ミノタウロスが雄叫びを上げる。
壁に群生する光キノコが震え、洞窟の奥から無数の魔物の咆哮が返ってくる。
魔祭。
そんな言葉が頭をよぎった。でも、今はそんなことを考えている余裕なんてない。
「晴人!」
「分かってる!」
晴人が盾を構える。
逃げなければならない。
拓真もそう言った。だけど、逃げ道を塞ぐようにミノタウロスが立っている。
「……やるしかねえだろ」
晴人の声が震えていた。
怖くて当然だ。僕だって足が震えている。勝てるはずがない。目の前にいるのは、僕たちが三人で戦うことすら想定していなかった格上の魔物だ。
それでも――。
「……うん」
ショートソードを握り締める。
生きるには戦うしかない。
ミノタウロスが動いた。
「来るぞ!」
晴人が前へ出る。
巨大な斧が振り上げられ、そのまま晴人へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
盾で受けた瞬間、晴人の身体が吹き飛んだ。
「晴人!」
岩壁へ叩きつけられ、苦しそうに咳き込む。それでも晴人は盾を手放さなかった。
「俺は……大丈夫だ! 前見ろ!」
「っ!」
振り返る。
目の前にミノタウロスがいた。
斧が迫る。避けられない。
死ぬ。
そう思った瞬間――ドクンッ。
心臓が大きく脈打った。
「……っ!」
身体が熱い。右腕から始まった熱が肩へ、胸へ、全身へと広がっていく。
あの時と同じだった。千紗と二人で追い詰められた時に感じた、あの熱。
世界が変わる。
振り下ろされる斧が、さっきまでより遅く見えた。
「――っ!」
身体を捻る。
斧が鼻先を掠め、地面へ突き刺さった。
「……避けた?」
自分でも信じられなかった。
でも考えている暇はない、目の前には斧を振り下ろしたままのミノタウロス。
「うああああっ!!」
地面を蹴る。
一気に懐へ飛び込み、ショートソードを脇腹へ叩き込んだ。
ガキンッ!!
「っ!?」
硬い。
刃は僅かに食い込んだだけだった。
「ブフゥッ!」
ミノタウロスの腕が横から迫る。
咄嗟に腕を上げた。
「ぐっ!」
衝撃。
身体が宙を舞う。地面を何度も転がりながら、それでも意識は飛ばなかった。
「黎!」
晴人が駆け寄ってくる。
「大丈夫か!?」
「……大丈夫」
「どこがだよ!」
「本当に、大丈夫なんだ」
立ち上がる。
痛い。でも、動ける。
さっきの一撃を受けたのに、骨が折れている感じもしない。
晴人が僕を見る。
「お前……」
「何?」
「いや……」
晴人は何か言いたそうにしたが、すぐにミノタウロスへ向き直った。
「後で聞く」
「うん」
「今はあいつをどうにかするぞ」
盾を構える晴人の隣で、僕も剣を握り直した。
「俺が攻撃を受ける。黎、お前が斬れ」
「でも――」
「俺は盾役だろ」
晴人が笑う。いつもの、自信満々な顔だった。
「任せろよ」
「……分かった」
ミノタウロスが再び突進してくる。
「来い!!」
晴人が盾を構えた。
斧が振り下ろされる寸前、真正面ではなく斜めから盾をぶつける。
ガァン!!
「ぐぅっ!」
晴人の足が地面を滑った。
それでも今度は吹き飛ばされない。
「黎!!」
「うん!」
横へ回り込む。
さっきより速く身体が動く。
地面を蹴り、ミノタウロスの背後へ。
「はぁぁっ!」
ショートソードを振り抜く。
刃が太腿を切り裂き、黒い血が飛び散った。
「ヴォオオオッ!!」
初めてミノタウロスが苦痛の声を上げる。
「効いた!」
「っしゃあ!」
晴人が叫ぶ。
「いけるぞ、黎!」
「うん!」
勝てる。
一瞬、そう思った。
さっきまで絶対に敵わないと思っていた怪物に、僕たちの攻撃が通っている。身体の奥から熱が溢れてくる。怖くない。
もっと速く動ける。
もっと強くなれる。
「もう一回!」
「おう!」
僕と晴人が左右へ分かれる。
ミノタウロスの視線が僕を追う。
「晴人!」
「分かってる!」
死角から晴人が飛び込む。
盾を構え、ミノタウロスの膝へ全体重を乗せてぶつかった。
「うおおおおっ!!」
巨体が僅かに揺らぐ。
「今だ、黎!!」
僕は走った。
身体が軽い、今ならやれる。
そう思った。
だから――気づかなかった。
ミノタウロスの視線が、僕ではなく晴人へ向いたことに。
「――え?」
巨大な腕が動く。
「晴人!!」
叫んだ時には、もう遅かった。




