表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
32/37

第32話


 千紗が冒険者を辞めたと聞かされた次の日。

 僕は久しぶりに東京都中央冒険者ギルドを訪れていた。いつものように受付を抜け、待ち合わせ場所へ向かうと、既に拓真と晴人が椅子に座っている。


「お、来たか」

「遅ぇぞ、黎」

「時間ぴったりなんだけど……」


 晴人の文句を適当に流しながら、空いている椅子に腰を下ろす。

 僕、拓真、晴人。

 三人だけ。

 いつもなら、この中にもう一人いる。晴人がくだらないことを言えば「馬鹿」と冷たく返し、それに晴人が怒って言い争いが始まる。そんな光景が当たり前になりつつあった。

 自然と、誰も座っていない椅子へ目が向いた。


「……三人になっちゃったね」

「ああ」


 拓真が短く答える。

 晴人は腕を組んで背もたれに身体を預けた。


「まあ、いいんじゃね? 三人でも。報酬の取り分増えるし」

「晴人、お前な……」

「なんだよ。本当のことだろ」


 いつもの調子で言っているけれど、どこか無理をしているように見えた。あれだけ毎日のように喧嘩していた相手が突然いなくなったのだ。晴人だって、何も感じていないはずがない。


「それで、これからどうする?」


 僕が尋ねると、拓真は少し考えてから答えた。


「明日はダンジョンには入らない」

「え?」


 意外だった。


「千紗が抜けたから?」

「それもある。今まで四人で動くことを前提にしてたからな。三人になった以上、戦い方も変えないといけない。それに――」


 拓真が僕を見る。


「お前、死にかけたんだぞ」

「……」

「何事もなかったみたいに次の日から潜る方がおかしいだろ。少し休め」


 言われてみれば、その通りだった。千紗のこともまだ頭から離れない。


「じゃあ、新しい仲間探すのか?」


 晴人が聞く。


「それも考えてる」

「俺は嫌だな」

「即答かよ」

「だって知らねえ奴だろ? そいつが使えるかも分かんねえし」

「お前も最初は知らない奴だっただろ」

「俺は使えるからいいんだよ」

「自分で言うな」


 拓真が呆れたようにため息を吐く。

 そのやり取りを見て、僕は少しだけ笑った。

 三人になってしまったけれど、全部が変わったわけじゃない。


「まあ、今日は今後のことを話すだけだ。明後日から連携の訓練をかねて、軽くダンジョンに潜る。それまで各自休め」

「了解」

「はーい」


 話が終わり、椅子から立ち上がろうとした時だった。


「……っ」


 突然、右手に違和感が走った。

 痛いわけではない。ただ、妙に熱い。


「どうした?」

「いや……なんでもない」


 手を開いたり閉じたりしてみる。

 やっぱり変だ。

 それに、あんな事があったと言うのに身体の調子が良すぎる。

 ダンジョンから帰ってきてから、ずっとそうだった。あれだけ酷使した身体なのに、筋肉痛はほとんど残っていない。それどころか、以前より軽く感じるくらいだ。

 そしてもう一つ、気になっていることがある。あの日、落とし穴の先で魔物に追い詰められた時のことだ。

 殺される――そう思った直後から、記憶がところどころ抜け落ちている。

 魔物を殴ったことは覚えている。

 でも、どうしてあんな力が出たのか、あの時の自分に何が起きていたのかは、いくら考えても分からない。


「……僕、どうやって倒したんだっけ」

「ん?」

「いや、なんでもない」


 右手を握り締める。

 その瞬間、脳裏に一瞬だけ何かが蘇った。

 赤い液体、研究所。

 そして――あの日、僕が飲んだ薬。


「……まさかね」


 小さく呟き、僕は二人の後を追った。



 ギルドを出た後、僕は真っ直ぐ家には帰らなかった。

 向かったのは近所の公園。平日の昼間ということもあって人影はほとんどなく、遊具の周りにも子供の姿はない。


「……やっぱり変だよな」


 試しに公園の端から端まで走ってみることにした。


「っ……!」


 地面を強く蹴った瞬間、予想以上の勢いで身体が前へ飛び出した。慌てて速度を落とし、振り返る。


「……速くなってる?」


 新人講習では毎日のように走らされたから、自分がどの程度走れるのかは分かっている。少なくとも今の速度は、二日前までの僕とは明らかに違った。

 もう一度走る。

 やっぱり速い。それなのに、ほとんど息が上がらない。


「なんだ、これ……」


 次に鉄棒へ向かい、両手で掴んで身体を持ち上げる。

 一回、二回、三回。

 以前なら数回やるだけで腕が震えていた。それなのに十回を越えてもまだ余裕があり、二十回を越えたところで気味が悪くなって自分から手を離した。

 地面へ降り、両手を見つめる。

 たった二日で、こんなに身体能力が上がるわけがない。


「……あの時からだ」


 思い出すのは、千紗と二人で落とし穴へ落ちた後のことだった。

 魔物に追い詰められ、逃げ場を失った。

 殺される。

 そう思った瞬間、身体の奥から何かが溢れ出した。

 焼けるように熱かった。頭がおかしくなりそうなほど全身が熱を持ち、それまで感じていた恐怖が嘘のように消えていった。

 そこから先の記憶は途切れ途切れだ。

 ただ、一つだけ鮮明に覚えている。

 握り締めた拳、歪んだ魔物の顔。

 そして――拳を振り抜いた瞬間、魔物の身体が吹き飛んだ。


「……僕が殴ったんだよな」


 自分の拳を見る。

 剣じゃない、魔力を帯びた武器ですらない。

 ただの拳だった。

 それなのに、僕は魔物を殴り倒した。


「……おかしいだろ」


 魔物は”魔力を帯びた物質”でなければ傷つけられない。それは新人講習でも最初に教わるほどの常識だ。

 なのに、あの時はそんなことを考えてすらいなかった。ただ千紗を守らなければならないと思って、目の前の魔物を殴った。

 そして――倒した。


「なんで……」


 自分の手の甲を指でなぞる。見た目は何も変わっていない。皮膚が硬くなったわけでも、腕が太くなったわけでもない。

 ガサッ。

 突然、背後の茂みが揺れた。


「っ!」


 反射的に振り返る。

 気づけば腰を落とし、右手を強く握り締めていた。

 しかし、そこにいたのは一匹の猫だった。


「ニャア」

「……猫か」


 猫はこちらを一瞥すると、そのまま茂みの奥へ消えていく。


「びっくりした……」


 胸を撫で下ろしかけて、手が止まった。

 今、考えるより先に身体が動いた。

 音が聞こえた瞬間には振り返り、戦う姿勢まで取っていた。


「……」


 右手を見る。

 走る速度だけじゃない。力だけでもない。

 反応する速さまで変わっている。

 普通じゃない。

 そう思うと怖いはずなのに、握った拳を見つめているうちに、別の感情が胸の奥から湧いてきた。

 あの時、僕は千紗を守ることができた。

 この力があれば――。


「……もっと強くなれるのかな」


 自分の口から漏れた言葉に、僕はしばらく拳を見つめ続けていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ