第27話
ヒュンッ――!
放たれた矢が、先頭を走るゴブリンの額を貫いた。
「ギャッ!?」
一体が仰向けに倒れる。
その脇から、二体目が飛び出した。
「黎!」
「うん!」
地面を蹴る。
振り下ろされた棍棒を横へかわし、そのまま懐へ潜り込んだ。
「はぁっ!」
ショートソードを横薙ぎに振るう。
「ギャアッ!」
刃が腹部を斬り裂き、ゴブリンが地面を転がった。
「もう一体!」
拓真の声。
「分かってる!」
背後から迫っていたゴブリンへ、晴人の槍が突き出される。
「おらぁっ!」
「ギャッ!」
胸を貫かれ、ゴブリンの身体が大きく仰け反った。
残るは一体。
仲間が次々と倒されたことに怯えたのか、そいつは慌てて洞窟へ逃げ込もうとする。
「逃がさない」
千紗が弓を引く。
狙いを定める時間は、ほんの一瞬。放たれた矢が、逃げるゴブリンの背中へ突き刺さった。
「ギィッ……!」
そのまま前のめりに倒れ、動かなくなる。
「……終わった?」
僕はショートソードを構えたまま周囲を確認する。新たなゴブリンが飛び出してくる気配はない。
静かだった。洞窟の奥から吹き抜けてくる冷たい風だけが、頬を撫でる。
「とりあえず、見張りは全部倒したみたいだな」
拓真が洞窟の入り口へ視線を向ける。
「問題はここからだ」
「……私、行ってくる」
千紗が迷うことなく洞窟へ歩き出した。
「待て」
拓真が肩を掴む。
「一人で行かせるわけないだろ」
「でも」
「かといって全員で入るのも危険だ」
拓真は周囲を見渡した。
「俺と晴人はここに残る」
「俺も?」
「外から戻ってくるゴブリンがいるかもしれない。全員で中に入って挟み撃ちにされたら終わりだ」
「あー……なるほど」
「ここで見張る。もし戻ってくる奴がいたら、洞窟には入れさせない」
確かに、その方がいい。
ここが本当にゴブリンの巣なら、中にいるゴブリンが全部とは限らない。
狩りか何かで外に出ている奴が戻ってくる可能性もある。
「じゃあ、誰が中に入るんだよ」
「私が行く」
千紗が即答する。
それだけは譲るつもりがないらしい。
「……僕も行くよ」
僕は言った。
千紗がこちらを見る。
「黎?」
「千紗一人じゃ危ないから」
「……」
「二人で様子だけ確認する。それならいいでしょ?」
拓真は少し考えてから頷いた。
「絶対に無理するな」
「うん」
「戦闘になりそうなら逃げろ。奥まで探索する必要もない。あくまで様子を見るだけだ」
「分かった」
「千紗もだぞ」
「……分かってる」
本当に分かってるのかな。
少し不安になった。
「あと」
拓真が洞窟を指差す。
「何かあったら大声出せ。聞こえたら俺たちも入る」
「うん」
「死ぬなよー」
晴人が槍を肩に担ぎながら言う。
「縁起でもないこと言わないでよ」
「いや、こういう時のお約束じゃん」
「馬鹿」
「なんだと!?」
「二人とも今それやる?」
思わず苦笑する。
ほんの少しだけ緊張が和らいだ。僕はショートソードを握り直した。
「行こう、千紗」
「うん」
僕たちは二人で、洞窟の中へ足を踏み入れた。
◇
暗い。
数十メートル進んだだけで、入り口から差し込んでいた光はほとんど届かなくなった。
僕は腰に提げていた小型の魔導灯を取り出した。淡い白色の光が周囲を照らす。
ゴツゴツとした岩壁、湿った地面、天井から垂れ下がる無数の鍾乳石。
鼻を突くような獣臭。
「臭い……」
「ゴブリンの巣だからかな」
「多分」
千紗が弓を構えたまま答える。
僕が前、千紗が後ろ。本来なら、それが僕たちの戦い方だ。
だけど今は違った。
少しでも気を抜くと、千紗が僕を追い越そうとする。
「千紗」
「何?」
「僕より前に出ないで」
「……」
「千紗は弓なんだから」
「分かってる」
「さっきから三回くらい前に出ようとしてるよ」
「……ごめん」
やっぱり冷静じゃない。
僕は小さく息を吐く。
千紗の気持ちが分からないわけじゃない。九ヶ月も探し続けたお姉さんの手掛かりが、突然見つかったのだ。
一秒でも早く先へ進みたいのだろう。
だけど。
「急いで死んだら意味ないよ」
「……分かってる」
今度の返事は、少しだけ弱かった。
僕たちは慎重に進んでいく。
洞窟の中には、明らかにゴブリンが生活している痕跡があった。食い散らかされた獣の骨、壊れた木箱、汚れた布、何に使ったのか分からない錆びた金属片。
それらが道の端に無造作に転がっている。
「……お姉ちゃん」
千紗が小さく呟いた。
「千紗?」
「なんでもない」
さらに進む。
幸い、ゴブリンとは遭遇しなかった。
そのことが逆に不気味だった。ここまで痕跡があるのに、一匹もいない。
「……変じゃない?」
「何が?」
「静かすぎる」
僕がそう言うと、千紗も周囲を見渡した。
「確かに」
「本当に巣なら、もっといると思う」
「奥に集まってるとか?」
「かもしれないけど……」
嫌な感じがする。
新人講習で、鬼塚教官に何度も言われた。
ダンジョンで最も危険なのは、自分の理解できない状況に遭遇した時だ。
何かがおかしいと思ったら、一度止まれ。
原因が分からないまま進むな。
「千紗。一回戻った方が――」
「待って」
千紗が僕の言葉を遮った。
「……道」
「え?」
魔導灯を前へ向ける。
そこで洞窟が二つに分かれていた。
「分かれ道……」
右、左。
どちらも先は暗闇に包まれていて、何があるのか分からない。
「どうする?」
「……」
千紗は答えない。
右を見る。
そして左を見る。
何かを探すように、じっと二つの道を見比べていた。
「千紗?」
「左」
「え?」
「左に行こう」
迷いのない声だった。
「何かあるの?」
「分からない」
「分からないって……」
「でも、左」
千紗は自分の胸元を握る。
「なんとなく……こっちな気がする」
「直感?」
「うん」
「……」
根拠はない。
本来なら、そんな理由で道を選ぶべきじゃない。
右へ進むべきかもしれないし、一度戻って拓真たちと相談するべきかもしれない。
だけど――。
千紗はもう左の道を見つめていた。
「分かった」
「いいの?」
「その代わり、少しだけね」
「うん」
「危なそうならすぐ戻る」
「分かってる」
僕たちは左の道へ進んだ。
先ほどまでより道幅が狭い。二人が横に並んで歩くのは難しく、僕が先頭を歩き、その後ろを千紗がついてくる。
一歩、また一歩。
魔導灯の光だけを頼りに進んでいく。
「……」
静かだ。
自分たちの足音だけが洞窟内に反響する。
ピチャン。
どこかで水滴が落ちた。
その音にすら身体が反応してしまう。
「黎」
「ん?」
「ありがとう」
「何が?」
「……ついてきてくれて」
後ろから聞こえてきた声は、小さかった。
「別にいいよ」
「怖くないの?」
「怖いよ」
即答した。
「めちゃくちゃ怖い」
「ふふっ」
「笑わないでよ」
「だって、そこは強がるところじゃない?」
「無理だよ。怖いものは怖いし」
「……黎らしい」
「それ褒めてる?」
「一応」
「一応なんだ……」
その時だった。
ミシッ。
「……え?」
足元から音がした。
反射的に下を見る。地面に細い亀裂が走っていた。
「千紗!」
「え?」
「下がって――」
言い終わるより早く。
バキッ!!
地面が割れた。
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
足場が消える。
身体が宙へ投げ出された。
「千紗!」
咄嗟に手を伸ばす。
暗闇の中、千紗も必死にこちらへ手を伸ばしていた。
指先が触れる。
その手首を掴んだ。
「黎っ!」
次の瞬間。
二人揃って、真っ暗な穴の中へ落下した。
「うわあああああっ!!」
「きゃあああっ!!」
身体が浮く。
胃が持ち上がるような感覚。魔導灯が手から離れ、僕たちと一緒に落ちていく。
その光が、一瞬だけ周囲を照らした。
「……っ!?」
見えた。
穴の壁。
自然に崩れたものじゃない。壁面には、不自然な削り跡が残っていた。木材で補強された部分まである。
(これ……!)
落とし穴だ。
侵入者を落とすために、誰かが作った。
そう理解した瞬間――。
ドサッ!!
「ぐっ……!」
背中から地面へ叩きつけられた。
「がはっ……!」
一瞬、息ができなくなる。
全身に衝撃が走り、視界が白く染まった。
「っ……げほっ……」
幸い、それほど深くはなかったらしい。
数メートル程度。
痛い。
でも、動ける。
「千紗……!」
慌てて身体を起こす。
「千紗!」
「……いたた……」
すぐ近くで声がした。
魔導灯が地面に転がっている。
その淡い光の先で、千紗が身体を起こしていた。
「大丈夫!?」
「う、うん……多分」
よかった。
怪我はしているかもしれないが、少なくとも意識はある。
僕は立ち上がり、魔導灯を拾った。
そして。
「……え?」
固まった。
光を前へ向ける。そこにあったのは壁ではない。
道だった。
僕たちが落ちてきた穴から、さらに奥へ。暗い洞窟が続いている。
「ここ……」
千紗も気づいた。
僕はゆっくりと頭上を見る。
落ちてきた穴は、遥か上。そして再び、目の前の道を見る。
「一つ下の階層……?」
呟いた声が、暗闇へ吸い込まれていく。
違う。ただの落とし穴じゃない。侵入者を殺すための罠なら、底に杭でも仕掛ければいい。
でも、この穴は違う。
僕たちを落とした先に、道が続いている。
まるで――。
「……誘い込まれた?」
背筋に冷たいものが走った。
その時、カラン。
暗闇の向こうから、小さな音がした。
「……っ」
僕と千紗が同時に顔を上げる。
何かいる。
僕はショートソードを構えた。千紗もすぐさま弓へ手を伸ばす。
二人とも、声を出さない。暗闇を見つめる。
何も見えない。
だけど、確かに――この先に、何かがいる。




