第26話
一行は、千紗の後を追うようにゴブリンが現れた先へ向かう。
「おい、待てよっ!!」
「嫌っ!!」
晴人が引き止めるが、聞く耳を持たない。
千紗は走り続ける。枝が頬を掠めても、足元の石に躓きそうになっても、速度を緩めることはなかった。
右手には、先ほどゴブリンから奪い取ったブレスレットが握られている。
間違えるはずがない。
ずっと見てきたものだから。お姉ちゃんが大切そうに身につけていたものだから。
これをゴブリンが持っていた。
だったら。
(お姉ちゃんが……この先にいるかもしれない)
その可能性だけで、他のことなんて何も考えられなくなった。
「千紗! 一人で行くな!」
拓真の声が飛んでくる。
それでも止まらない。
やがて木々が途切れ、視界が開けた。
「……っ」
千紗が足を止める。
岩肌にぽっかりと開いた、大きな洞窟。その入り口には粗末な木柵が組まれ、獣の骨や汚れた布が無造作に吊るされている。
そして――。
「ギャッ?」
「ギギッ!」
こちらに気づいたゴブリンが数匹。手には錆びた剣や棍棒。
明らかに洞窟の入り口を守るように立っていた。
遅れて僕たちも千紗に追いつく。
「はぁ……はぁ……お前、急に走んなよ……!」
晴人が膝に手をつきながら息を切らす。
拓真は洞窟を見るなり、表情を険しくした。
「……巣だ」
「え?」
「ゴブリンの巣だよ、これ」
その言葉に、背筋が冷たくなる。
ゴブリンの巣。
冒険者になる前、新人講習で習ったことがある。ゴブリンは単独でも行動するが、一定数が集まれば群れを作る。そして安全な場所を見つけると、そこを拠点として住み着くことがある。
当然――巣の中には、入り口にいる数匹だけでは済まない。
「千紗、戻るぞ」
拓真が低い声で言った。
「……嫌」
「これは四人でどうにかする相手じゃない」
「嫌」
「千紗!」
強い口調で呼ばれても、千紗は洞窟から目を逸らさなかった。
その手には、まだブレスレットが握られている。
「お姉ちゃんが……」
震える声が漏れた。
「ここにいるかもしれない」
「だからって突っ込むのかよ!」
晴人が声を荒らげる。
「中に何匹いるかも分かんねえんだぞ!? 十匹かもしれねえし、二十匹かもしれねえ! 俺たち全員死ぬかもしれねえんだぞ!」
「じゃあ帰ればいいでしょ!」
千紗が振り返った。
その目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
「私は一人でも行くから!」
「はぁ!?」
「千紗……」
思わず名前を呼ぶ。
だけど、僕もその先に続く言葉が出てこなかった。
千紗がどうして冒険者になったのか。どうして学校に通うのをやめてまで、毎日のようにダンジョンへ潜っているのか。
僕たちは今日、初めて知った。
九ヶ月前。
この渋谷ダンジョンで、千紗のお姉さんは行方不明になった。死体は見つかっていない。だから、1人でずっと千紗は探していた。
たった一人で。
「……やっと」
千紗が小さく呟く。
「やっと見つけたの……」
握り締めた拳が震えていた。
「九ヶ月、ずっと探して……何にも見つからなくて……どこにいるかも分からなくて……生きてるのかも、死んでるのかも分からなくて……」
声が掠れていく。
「それでも探すしかなくて……!」
ぽろりと涙が零れた。
「やっと……お姉ちゃんのものが見つかったの……!」
誰も何も言えなかった。
千紗は乱暴に涙を拭う。
「だから行く」
「……」
「ここで帰ったら、何のために冒険者になったのか分かんない」
そう言って、弓を構えた。
洞窟の前ではゴブリンたちがこちらを警戒し、武器を構えている。
拓真が深く息を吐いた。
「……黎」
「え?」
「どう思う」
突然、判断を求められた。
僕は洞窟を見る。
怖い。当たり前だ。
僕たちはまだF級になったばかりの新人だ。
ゴブリン一体を倒すのにすら苦労していた僕たちが、巣に入るなんて無謀だ。
逃げるべきだ。
ギルドへ戻って報告して、もっと強い冒険者に任せるべきだ。
そんなこと、分かっている。
でも――千紗を見る。
小さな背中。震える手で弓を握りながら、それでも洞窟を睨みつけている。
「……千紗」
「何」
「僕も行くよ」
千紗が目を見開いた。
「黎!?」
拓真が驚いた声を上げる。
「危険なのは分かってる。でも、千紗一人で行かせる方が危ない」
「だからって全員で行く必要ねえだろ!」
晴人が食ってかかってくる。
僕は首を横に振った。
「違うよ」
「あ?」
「全員で行くんじゃない」
ショートソードの柄に手をかける。
「まず、入り口のゴブリンだけ倒そう」
洞窟を見る。
「それから中を少しだけ確認する。危険だと思ったら、すぐ逃げる」
「……」
「千紗のお姉さんがいるって決まったわけじゃない。でも、何か手掛かりがあるかもしれない」
拓真はしばらく黙っていた。
やがて頭を掻く。
「……最悪だ」
「拓真?」
「リーダーでもない奴が勝手に話をまとめるな」
「あ、ご、ごめん」
「でも」
拓真は腰の武器を抜いた。
「千紗一人で行かせるよりはマシだ」
「拓真……」
「勘違いするなよ。奥まで突っ込むつもりはない。少しでもヤバいと思ったら撤退する。それが守れないなら、俺は行かない」
千紗は唇を噛み締める。
そして、小さく頷いた。
「……分かった」
「おいおいおい」
晴人が僕たち三人を順番に見る。
「マジで行くの?」
「晴人は残っててもいいぞ」
「はぁ!?」
拓真の言葉に晴人の眉が跳ね上がる。
「誰が残るっつったよ!」
槍を握り直し、洞窟を睨む。
「クソ……行きゃいいんだろ、行きゃ!」
「別に無理しなくても」
「うるせえ黎!」
「なんで僕!?」
いつものようなやり取り。
ほんの少しだけ、張り詰めていた空気が緩んだ。
その時だった。
「ギャアァッ!!」
ゴブリンの叫び声。
「来るぞ!」
拓真が叫ぶ。
入り口を守っていたゴブリンたちが、一斉にこちらへ駆け出してきた。
僕はショートソードを抜く。晴人が槍を構え、その後ろで千紗が矢を番える。
「千紗!」
「分かってる!」
弦が引き絞られる。
千紗の瞳から、先ほどまでの涙は消えていた。
狙いは――先頭の一体。
「邪魔……!」
ヒュンッ――!
放たれた矢が、ゴブリンの額を貫いた。
「ギャッ!?」
仰向けに倒れるゴブリン。その横を抜けて、残りが迫ってくる。
僕は剣を握り締めた。
この洞窟に何があるのか、千紗のお姉さんがいるのか。
それとも――もう、何も残っていないのか。
まだ分からない。




