第25話
「返して!」
千紗が晴人の手からブレスレットを奪い取った。
「お、おい!」
突然のことに、晴人が目を丸くする。
けれど千紗はそんな晴人を見ることすらなく、奪い取ったブレスレットを両手で握り締めていた。
「……お姉ちゃんの」
「は?」
「これ……お姉ちゃんの……」
震える声。
いつも淡々としている千紗からは想像もできない声だった。
僕は何も言えず、その横顔を見つめる。
千紗の視線は、ブレスレットだけに注がれている。銀色の鎖。中央には青い魔石が嵌め込まれていた。
どう見ても安物じゃない。
だからこそ――晴人の表情が険しくなった。
「はぁー? なんで分かるんだよ」
「……」
「それ、ゴブリンが持ってたやつだろ?」
晴人が千紗へ手を伸ばす。
「勝手に自分のものにすんなよ」
千紗がブレスレットを胸元へ引き寄せた。
「違う」
「何が違うんだよ」
「これは、お姉ちゃんのだから」
「だから! なんでそれが分かるんだって聞いてんだよ!」
晴人の声が通路に響いた。
「晴人」
拓真が低い声で名前を呼ぶ。
けれど晴人は止まらない。
「だっておかしいだろ。いきなり奪い取って『お姉ちゃんの』って。そんなこと言ったら何でもありじゃねぇか」
「……」
「それ、魔石も付いてるし、絶対高いだろ」
言われてみれば、その通りだった。
僕たちはパーティーで魔物を倒している。
そこで手に入れた素材や金品は、全員の戦利品だ。
誰か一人が勝手に自分のものにしていいわけじゃない。晴人からすれば、千紗が利益を独り占めしようとしているように見えても不思議ではなかった。
でも。
「……千紗?」
僕には、そうは見えなかった。
ブレスレットを握る千紗の指が震えている。
唇を強く噛み締めている。怒っているようにも、泣きそうにも見えた。
僕たちと出会ってから、千紗がこんな顔をしたところなんて一度も見たことがない。
「千紗」
拓真が静かに問いかけた。
「説明してくれ」
「……」
「晴人の言い方は悪い。でも、こいつが言ってることも間違ってない」
「おい」
「黙ってろ」
「……はい」
拓真は千紗を見る。
「それがお前の姉ちゃんのものだって分かる理由があるんだろ?」
しばらく、千紗は答えなかった。
ただブレスレットを見つめていた。
親指が、その表面をゆっくりとなぞる。
そして、ある場所で止まった。
「……ここ」
「ん?」
千紗がブレスレットを僕たちへ向けた。
銀色の留め具。
その端に、小さな傷があった。
「傷?」
僕が尋ねる。
「私がつけた」
「え?」
「昔、お姉ちゃんに借りたとき……落としたから」
千紗の声は小さい。
「そのとき、ここに傷がついた」
晴人が黙った。
千紗は再びブレスレットを自分の胸元へ戻す。
「……」
誰も喋らなくなった。
静まり返ったダンジョンに、遠くから水滴の落ちる音だけが響く。
晴人も、さっきまでの勢いを失っていた。
「……マジで?」
「だから最初からそう言ってる」
「いや……でも」
晴人が頭を掻く。
「そんなの知らねぇし……」
「言ってないから」
「は?」
「私、お姉ちゃんのこと話してないから」
僕は千紗を見る。
「お姉さんも……冒険者なの?」
千紗の指が止まった。
「……だった」
だった。
その言葉が妙に引っかかった。
「九ヶ月前」
千紗が続ける。
「お姉ちゃんは、このダンジョンに入った」
僕たちは黙って聞く。
「それから――」
ブレスレットを握る手に力が入った。
「帰ってきてない」
「……」
僕は息を呑んだ。
九ヶ月前、渋谷ダンジョン。
帰ってきていない。
「行方不明ってことか?」
拓真が尋ねる。
千紗が小さく頷いた。
「捜索もされた。でも、見つからなかった。遺体も、装備も、何も」
「それで……」
僕はようやく理解した。
「千紗は、お姉さんを探すために冒険者になったの?」
「……うん」
初めて聞いた。
僕たちは全員、冒険者専従制度を利用している。学校へ行く代わりにダンジョンへ潜っている。
でも、どうして冒険者になったのか。そんなことまで、お互いに詳しく話したことはなかった。
僕は強くなりたかった。
晴人にも理由があるのだろう。
拓真にも。
そして千紗には――。
帰ってこない姉を探すという理由があった。
「……悪かった」
晴人が呟いた。
千紗が顔を上げる。
「知らなかったとはいえ……疑って」
「別に」
「いや、別にじゃねぇだろ」
「晴人の言ってることも間違ってないから」
千紗は淡々と言った。
いつもの千紗に戻ったように見えた。
でも、その手だけは。
ブレスレットを決して離そうとしなかった。
「それより」
千紗が顔を上げる。
僕たちを見る。
「これを持ってたゴブリン」
「……ああ」
「どこで拾ったと思う?」
空気が変わった。
僕は倒れているゴブリンへ視線を向ける。
九ヶ月前に渋谷ダンジョンで姿を消した冒険者。
その人が身につけていたブレスレットを――なぜ今、このゴブリンが持っていた?
「もしかして……」
僕が口を開く。
千紗は既に、通路の奥を見ていた。
「この先にいるかもしれない」
その瞳に、迷いはなかった。
「お姉ちゃんが」
千紗は弓を握る。
「私、行く」
「おい、待て」
拓真が止める。
「行くってどこにだよ。そもそも、そのゴブリンがどこでブレスレットを手に入れたかなんて――」
「それでも行く」
「千紗」
「九ヶ月間」
千紗が拓真を見る。
「九ヶ月間、何もなかった」
声は静かだった。
「どれだけ探しても、何も見つからなかった」
胸元で、ブレスレットを握る。
「初めて見つけたの」
その声が、ほんの少し震えた。
「お姉ちゃんが、ここにいた証拠」
誰も言葉を返せなかった。
「だから――」
千紗は通路の奥を見る。
「私は行く」
そして歩き出す。
一人でも行く。
その背中が、そう言っていた。




