第20話
説明は、それから一時間近く続いた。
魔導局、魔法、訓練、登録、守秘義務。
聞き慣れない言葉が次々と頭へ入ってきて、途中からほとんど理解できなくなっていた。
そして最後に。
「魔法使いに関する情報は、一般には公開されていません」
榊さんが言った。
「大雲さんが魔変症を発症したこと自体は隠す必要はありません。ただし、魔法が使えるようになったこと、魔導局に所属することについては口外しないでください」
「……友達にも?」
「はい」
「……」
頭に、一人の顔が浮かんだ。
一ノ瀬黎。
あいつにも言えない。
「特にインターネット上への投稿は絶対に避けてください」
「分かりました」
答えたのは父さんだった。
俺は何も言わない。
「魔導局への初回出頭日は三日後です。詳しい時間と場所はこちらに」
榊さんから封筒を渡された。
「本日はゆっくり休んでください」
「……はい」
何がゆっくり休め、だ。
もう一生分くらい疲れた。
◇
病院を出た後。
父さんと母さんは先に帰った。
俺も一緒に帰るよう言われたが、少し一人になりたいと言った。
二人とも心配そうだった。当然だと思う。だけど今は、誰とも話したくなかった。
「……はぁ」
街を歩く。
肩から流れる長い黒髪が邪魔だった。
慣れない、何もかも。
歩くたび、身体の重心が違う。
視線も違う。道行く人間が、時折こちらを見ているような気がする。
今までは、こんなことなかった。
「……最悪」
小さく呟く。
声まで女だ。
女。
改めて考えると頭がおかしくなりそうだった。
「学校……どうすんだよ」
この姿で行く?
無理だろ。教室に入った瞬間、全員に見られる。
黎がいなくなっただけでも、あれだけ話題になっていたのに。
今度は俺が女になって戻ってきました?
「……死ぬほど嫌だ」
それに魔導局。
魔法、ダンジョン。
昨日まで一つも自分に関係なかった言葉が、突然全部自分の人生に入ってきた。
「……ん?」
前から何人か歩いてきた。
四人。全員、自分たちと同じくらいの年齢に見える。
武器を持っている。
(冒険者か)
何となく視線を向ける。
その中の一人。
「……え」
足が止まる。
一ノ瀬黎。
「……」
見間違えるはずがない。
小学校の頃から知っている。中学校でも同じクラス。
夏休み前まで、自分のすぐ近くにいた奴。
だけど。
「……」
写真で見た時とは違う。
本当に剣を腰に差している。ショートソード。身体には軽い防具。
隣にいる、盾を背負った少年と何か話している。
笑っていた。
(……本当に)
冒険者になったんだな。
何だか妙な気分だった。
体育ではいつも一番後ろ。たった百メートル走っただけで、死にそうな顔をしていた。
何をやらせても人並み以下。
少なくとも、自分はずっとそう思っていた。
その黎が、今は冒険者の格好をして、仲間と歩いている。
「……」
気づけば、じっと見ていた。自分でも分からないくらい。
ただ、見ていた。
「……?」
黎がこちらを向いた。
「――」
目が合う。
「……」
「……」
一秒。
「……」
「……?」
二秒。
「……」
「……??」
三秒。
(なんだよ……黎)
何とか言えよ、黎。
そう思って。
「……あ」
気づいた。
違う。今の俺を見て、黎が翔太だと分かるわけがない。
長い黒髪、女の顔、女の声。
体格も全然違う。
黎の目には。
俺は――。
(知らない女に見えてんのか)
そう気づいた瞬間、胸の奥が締め付けられた。
黎は目の前にいる。ほんの数メートル先、手を伸ばせば届きそうな場所にいるのに、どうしようもなく遠く感じた。
夏休み前まで同じ教室にいた。くだらない話をして、冒険者になると言い出した時には何度も馬鹿にした。ずっと近くにいるのが当たり前だった。
それなのに今、黎は剣を腰に差し、自分の知らない仲間達と歩いている。
そして、その瞳に映る俺はもう大雲翔太じゃない。
ただの、知らない女だ。
「……っ」
喉の奥が詰まり、視界が滲んだ。
女になった。学校にも行けなくなった。これからは魔導局で、今までとはまるで違う人生を歩くことになる。
それでも、黎だけは変わらないと思っていたのかもしれない。
何があっても、昔から俺を知っている黎だけは――。
(……なんだよ)
俯き、唇を噛む。
(なんで俺、泣きそうになってんだよ)
黎はすぐそこにいる。
なのに今になって初めて、自分が昨日までの世界から一人だけ切り離されてしまったような気がした。
「ッ」
一方。
黎の表情がどんどん困惑していく。
口元が僅かに引きつっていた。
「……」
何だ、その顔。
こっちまで気まずくなるだろ。
その時だった。
「おい、黎」
黎の隣にいた盾の少年が小声で話しかけた。
「……何?」
「お前……」
少年が俺を見る。
黎を見る。
そしてもう一度、俺を見る。
目を見開いた。
「おい! あの美少女と知り合いなのか!?」
「――っ!?」
街中に響く大声。
周囲の人間が何人か振り返った。
「ちょっ、晴人! 声でかいって!」
黎が慌てる。
「だってお前! めちゃくちゃ見られてんぞ!」
「僕も分かんないよ!」
「嘘つけ! 三秒くらい見つめ合ってただろ!」
「僕が聞きたいよ!」
「……」
俺は固まっていた。
(美少女)
誰のことだ。
一瞬、本気で考えた。
そして。
(俺か)
頬が熱くなる。
「黎」
今度は黒髪の小柄な女がこちらを見る。
「知り合いじゃないの?」
「多分……」
「多分?」
「いや、本当に知らないんだけど……」
「……」
知らない。
その言葉が、妙に耳に残った。
当たり前なのに。
黎がもう一度、俺を見る。
目が合った。
「……」
胸の奥が、少しだけ変な感じがした。
(……何やってんだ、俺)
反射的に顔を逸らす。
そして、そのまま早足で歩き出した。
「あっ」
背後から黎の声。
「行っちゃった……」
「お前絶対なんかあるだろ!」
「ないって!」
「じゃあなんであんな美少女がお前をあんな目で見てんだよ!」
「知らないよ!」
遠ざかっていく声。
「……」
俺は歩く速度を上げた。
顔が熱い。
「美少女って……」
小さく呟く。
高い声。
「……俺のことじゃねぇか」
死ぬほど恥ずかしい。
長い髪で顔を隠すようにしながら、人混みの中へ入っていく。
だけど。
「……」
数歩進んで。
少しだけ、足が遅くなった。
『いや、本当に知らないんだけど……』
黎の声が頭に残っている。
「……そりゃそうだよな」
自分の手を見る。
白くて細い手。昨日までとは、何もかも違う。
顔も、声も、身体も。
名前だけは、まだ大雲翔太のまま。
でも。
「……あいつにまで分かんねぇんだな」
胸の奥が、ほんの少し痛んだ。
黎なら気づく。
そんなことを期待していたわけじゃない。
……多分。
「馬鹿みてぇ」
小さく笑う。
「……」
空を見上げる。
昨日までと同じ青空だった。
街も、人も、何も変わっていない。
変わったのは。
「俺だけかよ……」
長い黒髪が、風に揺れた。




