第19話
「現在の医学では――変異した肉体を元に戻す治療法は確立されていません」
医師の言葉が、診察室に重く落ちた。
「……」
俺は何も言えなかった。
戻れない。昨日までの身体には、もう戻れない。頭では言葉の意味を理解している。
なのに、現実として受け止めることができなかった。
「……一生、このままなんですか」
ようやく絞り出した声は、自分のものとは思えないほど高かった。
「現時点では、そう考えていただくことになります」
「……そう、ですか」
膝の上で拳を握る。
小さい。白くて、細い手。
見れば見るほど腹が立つ。朝から何度も見た。鏡の中の顔も、この手も、長い髪も。何度確認しても変わらなかった。
「……」
母さんが隣で俯いている。父さんも何も言わない。誰も、何を言えばいいのか分からないのだと思う。
当然だ。朝起きたら息子が娘になっていた。
俺だって意味が分からない。
「……では」
医師が小さく息を吐いた。
「ここから先は、魔変症についてもう少し詳しく説明します」
「……まだ何かあるんですか」
「あります」
医師は真剣な顔で俺を見る。
「そして、この先のお話については、ご家族を含めて外部へ口外しないでください」
「……え?」
父さんが眉を寄せた。
「どういうことですか」
「文字通りです。これからお話しする内容の一部は、一般には公開されていません」
医師は立ち上がった。
「場所を移します」
◇
案内されたのは、病院の奥にある小さな会議室だった。窓のない白い部屋には長机に、椅子が数脚。
診察室よりも、どこか息苦しい。
「こちらへ」
医師に促され、俺たちは席についた。
そして。
「失礼します」
部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、四十代くらいの男だった。
濃紺のスーツに身を包み、短く整えられた髪。胸元には見覚えのない銀色の徽章が付けられている。
男は俺たちの正面へ立つと、一礼した。
「初めまして。国家魔導局、関東支局所属の榊と申します」
「……魔導局?」
聞いたことがない。
父さんも同じらしく、訝しげに眉を寄せている。
「なんですか、それは」
「魔法、および魔法能力者に関する管理、研究、教育を担当する国家機関です」
「……魔法?」
思わず聞き返した。
男――榊さんが俺を見る。
「大雲翔太さん」
「……はい」
「魔変症を発症した人間には、もう一つ大きな特徴があります」
嫌な予感がした。
今日だけで、人生何回ひっくり返されるんだ。
榊さんは淡々と続ける。
「魔変症を発症した人間は、魔法を扱えるようになります」
「…………は?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「魔法?」
「はい」
「魔法って……あの、火出したりとか?」
「非常に大雑把に言えば」
「……」
思わず医師を見る。
医師は否定しない。
「ちょっと待ってください」
父さんが口を挟んだ。
「人間は魔法を使えないはずでしょう」
「一般的には、その認識で間違いありません」
榊さんが答える。
「人間の肉体は、本来、魔力に対する親和性をほとんど持ちません。ダンジョンが出現してから百五十年、人類は魔力について研究を続けてきましたが、通常の人間が自力で魔法を発現させることには成功していない」
「だったら……」
「魔変症患者は例外です」
部屋が静まり返った。
「魔変症による肉体変異の過程で、身体そのものが魔力へ適応します」
「適応……」
「はい。その結果、通常の人間には存在しない魔力親和性を獲得する」
俺は自分の手を見る。
白く、細い指。
「つまり……」
喉が鳴った。
「この身体になったから……魔法が使えるってことですか」
「その認識で構いません」
「……」
嬉しくなかった。
全然……むしろ腹が立った。
「そんなの……」
拳を握る。
「どうでもいいです」
「翔太?」
母さんがこちらを見る。
「俺は別に魔法なんか使いたくない」
榊さんを見る。
「男に戻りたいだけなんですけど」
「……」
「魔法が使えるとか、そんなのどうでもいいんですよ」
声が震える。
悔しかった。朝から知らない奴らに、知らない身体の話をされ続けている。
病気だ、戻らない。今度は魔法。
「俺、昨日まで普通だったんですよ」
自分の胸を指差す。
「普通に学校行って、友達と喋って、体育して、家帰って寝ただけなんですよ」
「……」
「なのに朝起きたら女になってて、戻れないって言われて、その上魔法使い?」
笑えてきた。
「意味分かんないだろ……」
誰も答えなかった。
沈黙。
やがて榊さんが静かに口を開いた。
「お気持ちは理解します」
「分かるわけないだろ」
反射的に言った。
「……そうですね」
榊さんは否定しなかった。
「私には大雲さんの気持ちは分かりません」
「……」
「ですが、一つだけ理解していただかなければならないことがあります」
真っ直ぐこちらを見る。
「魔法を使うつもりがあるかどうかは、今の段階では大雲さん自身では決められません」
「……は?」
「魔変症発症直後の魔力は非常に不安定です」
榊さんは机の上へ一枚の資料を置いた。
「過去には、本人が魔法を使えることすら知らないまま暴発事故を起こした例があります」
資料には黒く焼け焦げた部屋の写真が載っていた。
「……」
「火災。凍結。落雷。衝撃波。発現する現象は患者によって異なります」
「ちょっと……待ってください」
母さんの顔が青ざめる。
「翔太も、そんなことになる可能性が?」
「可能性はあります」
「そんな……」
「だからこそ、制御を学ぶ必要があります」
榊さんが俺へ視線を戻す。
「魔法は、覚えるために学ぶのではありません」
「……」
「最初は、自分や周囲の人間を傷つけないために学ぶんです」
何も言い返せなかった。
その言い方はずるい。使いたくないなら使わなければいい。そう言おうと思っていた。
でも、自分の意思と関係なく出る可能性があると言われれば、話が変わる。
「……それで」
父さんが尋ねる。
「魔導局というのは、翔太をどうするつもりなんですか」
「まず正式な登録を行います」
「登録?」
「魔法能力者としてです」
「拒否は?」
「できません」
父さんの表情が険しくなった。
「強制ですか」
「はい」
榊さんは淡々と答える。
「魔法能力者は非常に希少です。同時に、一度制御を失えば一般人には対処できない危険性も持ちます。そのため、魔変症によって魔法適性が確認された者には国家への登録義務があります」
「……」
「ただし、大雲さんは未成年です。軍事行動へ参加させるようなことはありません」
母さんが少しだけ安堵した。
「では……何を?」
「魔導局の教育課程へ入っていただきます」
俺は顔を上げた。
「教育?」
「魔力についての座学、基礎魔法、制御訓練、体力訓練。一定水準に達すれば、対魔物戦闘についても学んでいただきます」
「……対魔物?」
「将来的には、ダンジョンでの実地訓練もあります」
「は?」
思わず椅子から身を乗り出した。
「ダンジョン!?」
「はい」
「いやいやいや!」
今度こそ我慢できなかった。
「俺、冒険者じゃないですけど!」
「存じています」
「だったらなんでダンジョンなんか行かなきゃならないんですか!」
「魔法は、実戦環境でなければ学べないことが多いからです」
「いや、行きたくないんですけど!」
「すぐにではありません」
「そういう問題じゃない!」
頭を抱える。
嘘だろ。つい昨日、学校で黎のことを考えていた。危険なダンジョンに潜って、魔物と戦うなんて御免だと。
そう思っていた。
なのに。
「……なんで俺まで」
額を押さえる。
「ダンジョンなんか行くことになってんだよ……」
榊さんは何も言わなかった。




