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第2話


 多くの機器が立ち並ぶこの場所は、東京青昌大学にあるダンジョン研究所である。

 機材一つにその者の人生を賭けねばならぬほどの高価な装置に囲まれながら、1人の男が焦燥に駆られた声で叫んだ。


「どうしてですか、なぜ私が助手を辞めさせられるのです!?」


 細身の丸メガネを掛けた、30を少し越したような容貌の男が、机に手を打ちつける。その眼は血走り、大きく見開かれていた。

 15年間に渡る先生への献身的なサポート。数々の無理難題を解決してきた苦労。そのすべてが、今まさに無に帰そうとしていた。


「結果を出せてないからだ」

「な、研究の結果は出しているではありませんか!!」

「あのような小さなもの、結果とは呼ばん」

「では、何が結果なのですか!?」


椅子に腰掛けた老人は、閉じていた瞼を開く。


「世界を変えられぬ研究に価値はない」


 淡々と冷徹に話す老齢な男こそ、高峰タカミネ 玄一ゲンイチ。日本を代表するダンジョン研究者の1人であり、世界で初めてポーションを発明した人物。


「なっ、そんなこと……できるわけが」

「できるわけがない、か」


 玄一は小さく息を吐いた。


「だから、お前はここまでなのだ」

「……っ」


 助手の喉が、ひゅっと鳴る。

 15年。15年だ。

 青春も、恋も、家族との時間も、すべてこの研究所に捧げてきた。師の言葉1つで夜を徹し、失敗の責任を背負い、成功の功績はいつも師の名の下に吸い上げられていった。


 それでも、いつか認められると信じていた。

 だが、その結果がこれか。


「私の研究は……無価値だと?」

「そうは言っておらん」

「同じことではありませんか!」


 助手は叫んだ。机の上に置かれていた書類が、震える手によって床へと散らばる。

 玄一はそれを一瞥することもなく、静かに言った。


「お前には才能がある。だが、覚悟がない」

「覚悟……?」

「世界を変える研究とは、人に嫌われる覚悟だ。常識に背く覚悟だ。時に、誰かを犠牲にする覚悟だ」


 その言葉に、助手の表情が凍った。


「犠牲……?」

「綺麗事だけで、ポーションは生まれなかった」


 研究所に沈黙が落ちる。

 助手は初めて、目の前の老人を恐ろしいと思った。日本中の研究者が尊敬する偉人。命を救う薬を作った救世主。

 だが、その奥にあるものは、善意などではなかった。

 ただ、世界を変えるという狂気。


「……なら」


 ゆっくりと顔を上げた。


「なら、私も結果を出せばいいのですね」


 玄一の眉が、わずかに動く。


「何をするつもりだ」

「先生が望むような、世界を変える研究です」


 助手は散らばった書類の中から、1枚の資料を拾い上げた。そこには、ある実験計画の文字が並んでいる。

  表紙に記されていたのは、赤い文字で印字された研究名。

 

 『未成年者を対象とした、魔力と肉体の親和性向上に関する人体実験』

 その研究の最終目標――《魔人化ポーション》

 人間の肉体が持つ魔力親和性の限界を、人為的に突破するために開発された禁忌の薬。

 理論上、その投与に成功した者は、ダンジョン内で得られる魔力を飛躍的な速度で肉体へと馴染ませ、常人を遥かに凌ぐ成長を遂げる。

 だが、その成功率は限りなく低い。

 ほとんどの被験者は魔力に肉体を侵食されて命を落とす。最悪なのは魔人化する危険性があること。

 その危険性ゆえに、この研究は10年前、日本政府によって永久凍結された。

 魔人化によって街1つが滅んだのは、未だ記憶に新しい。

 老人の目が細まる。


「それは凍結された研究だ。危険性が高すぎる」

「危険だからこそ、価値があるのでしょう?」


 不敵に笑った。

 その笑みは、先ほどまでの哀れな助手のものではなかった。


「世界を変えるには、犠牲が必要なのでしょう?」


 玄一は目を閉じた。否定する言葉は、ついに出てこなかった。

 狂気に染まった助手は震える手で資料を胸に抱き、研究所の扉へ向かう。

 その背中に、玄一の声が落ちた。


「……万全を期せ」

「はい、先生」


 誰もいなくなった研究室で、小さく呟いた。


「あの薬は、人を救う薬にも、人類を滅ぼす毒にもなる」



 7月後半、待望の夏休みがやってきた。

 青空には入道雲が浮かび、蝉の声が街中に響き渡る。

 長い休みを前に、多くの中学生は期待に胸を膨らませていた。

 その頃ーー。

 僕はある問題に頭を抱えていた。

 机の上に置かれた冒険者登録申請書。

 その一番下に記された文字が、何度見ても目に焼き付く。

 冒険者登録料 40万円。

 ダンジョン庁が定めたその金額は、命を守るための講習費や保険料を含んでいる。

 だが、中学生の僕には到底用意できる額ではなかった。


「くそっ、どうすれば」


 僕は人生最大の壁にぶち当たっていた。

 高校生になってアルバイト出来れば良いのだが、それまで待つのは絶対に嫌だ。

 ただでさえ出来損ないの僕だ。他よりも早く始めなければ置いていかれるのは、目に見えている。


「親に頼れないし……」


 僕の両親は冒険者になる事に反対している。

 当たり前だ。常識的に考えて、こんな疾患を持っていて冒険者など出来るはずがない。

 だからこそ、この申請書のことは誰にも相談できなかった。

 机の引き出しを開け、貯金箱を取り出す。何年もかけて貯めたお年玉や小遣い。

 期待を込めて中身を机へ広げる。

 万円札、千円札、五百円玉や百円玉が転がり、小さな音を立てた。

 小さい頃から何年も貯めた金額は相当なものであった。


「……22万か」


 思わず笑ってしまった。

 40万円。

 その数字は、まるで別世界の話だった。


「あと18万か……」


 中学生の僕には、どうやっても埋められない差だった。

 アルバイトは年齢的にできない。親に頼めば反対される。親戚に借りるなんて論外だ。

 八方塞がりだった。


「本当に、諦めるしかないのかな……」


 椅子にもたれ掛かり、天井を見上げる。

 その時だった。

 机の端に置かれたスマートフォンが、小さく震えた。


『求人アプリ 新着1件』

 画面には、新着求人の通知が表示されている。

 ――【中学生を対象としたダンジョン研究モニター募集】


「……研究モニター?」


 僕は眉をひそめながら記事を開いた。

 内容は、魔力と人体に関する調査への協力者を募集するというものだった。

 参加者には謝礼が支払われる。

 その金額を見た瞬間、僕は目を見開いた。


「20万円……?」


 一回の参加で、20万円。思わず喉が鳴る。

 1回参加すれば、登録料に届く。あまりにも都合が良すぎる話だった。


「でも、治験バイトって安全って話だし……危ないことは、しないよね」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 画面の最下部には、小さく問い合わせ先が記されていた――東京青昌大学ダンジョン研究所。

 その名前を見た瞬間、胸の奥で何かが小さく脈打った。




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