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第1話


 空から降り注ぐ陽光が肌を容赦なく焼く。

 真夏のグラウンドには30人の生徒が集まっていた。

 国立大鷲中学校は東京の渋谷区に位置する名門校、その2年2組に僕、一ノイチノセ レイは所属していた。


「今日も相変わらず暑い……」


 僕は肌を刺す日差しに小さく悪態をついた。その呟きを隣にいた高身長な大雲翔太が茶化す。


「はっ、そんな太ってるからだろ」

「……そうだね」


 思わず自身の腹を見る。何万回と見てきた丸く出た腹、贅肉が盛大に蓄えられた醜いそれは僕が生まれた時からそこにあった。

 鏡を見る度に何度憎たらしいと思ったことか……腕も足も肉に覆われ、顎下には二重顎。

 まるまる太った僕をぽっちゃりとは誰も呼んですらくれない。

そんなレベルじゃないのだ、正真正銘のデブである。

 今の僕は焼き上がる寸前の豚のように汗を流していた。暑さに汗が止まらず、既に服はビッチョリと濡れている。


「毎日どんだけ食ったらそうなるんだよ、また昼飯2回食ったのか?」

「は、ははは、そうだね。けど、気が付いたら食べてるんだよ……」

「我慢しろよ」

「そうなんだけどね」


 僕はプラダー・ウィリ症候群を生まれた時から患っている。生まれつき筋力が弱く、太りやすい難病だ。少し走るだけで息が切れ、重い荷物も持てない。何より辛いのは、どれだけ食べても満たされない空腹感だった。


「はぁ、僕はこれでも頑張ってるんだ……」


 地面を見つめ、どうしようもない現状に落ち込む。

 先生の図太い声が聞こえた。


「位置について、よーい、どんっ!!」


 空砲の破裂音が耳を打つ。それと同時に走り出した4人に目を向けた。

 100mのトラックを走っている者達のうち、2人が頭一つ抜けて速い。確かあの2人は冒険者希望だったことを覚えている。

 日頃から鍛錬を重ねていることがわかる。

 金色の長髪を揺らしながらトップで駆け抜けたのは天城隼人アマギ ハヤト。そのすぐ隣には、青い短髪がよく似合う流崎青昌リュウザキ アオマサ


「あの2人は相変わらず速いなー」

「僕なんか敵わないね」

「何当たり前のこと言ってるんだよ、黎」

「ははは」


 先生の呼ぶ声が聞こえる。

 僕は前に歩き出した。


「次は俺たちの番だな」

「うん、どうせ僕が最下位だろうけどね」



 「ハァハァハァハァッ!!」

 「……大丈夫かよ」


 心臓が破裂しそうなほど暴れている。

 僕は地面に手を突き、失った酸素を取り戻そうと呼吸を荒くする。たかが100mを走っただけでこの有様だ。

 翔太が少し心配そうに側に立っている。

 100m走の結果は、当たり前のように僕が最下位だった。下から2番目と大きな差を付けて遅れに遅れ、やっとゴールした。

 足の筋肉が引き攣る寸前である。たった100mの全力疾走、それだけで僕の身体は限界だった。

 屈強な体躯を持つ、藤岡先生が声を掛ける。


「おい、黎。無理して走らなくて良いんだぞ」

「ハァハァッ、大丈夫ですっ!!」

「やる気があるようだな……無理するなよ。」


 僕はのそりと立ち上がって、水を飲みに歩く。その後ろを何故か翔太がついてくる。

 コイツはいつもついてくる変な奴だ。多分僕を茶化すのが楽しいのだろう。

 蛇口から溢れ出る水をゴクゴクと飲む。

 その時、突然翔太が言い出した。


「黎は冒険者になる夢を諦めるべきだ」

「ッ!?ゴホッゴホッ」


 僕は突然の発言に驚く。


「な、何で突然そんなことを」

「言わなくてもわかるだろ」

「……」


 以前、翔太に冒険者になる夢がある事を漏らしたことがある。その際は物凄く茶化され、嫌な思いをした。

 しかし、あの時言われた事は全て正論だったと今では思う。体力がない、力もない、走れない、重いものを持てない。当たり前だ、冒険者になれるわけがない。

 そして、体育の授業で走ることすらまともに出来ない事が明らかにされてしまった。


「翔太に何がわかるってんだよ」


 喉の奥から今まで聞いたことのないような声が漏れてきた。


「お前、死ぬかもしれないんだぞ」

「分かってんだよ!!」


 色々な感情がせめぎ合い、その中で1番強かった感情は自身に対する怒り。


「でもっ!!夢なんだよ!!」

「……」

「お前には何も分からないよ!!僕の気持ちがっ!!」


 いつからだろう……冒険者に憧れたのは。

 冒険者――それはダンジョンへ潜り、人々を守る職業。僕は幼い頃から、その背中に憧れていた。

 伯父はS級冒険者。

 父さんの兄で、幼少の頃から遊んでくれた。

 優しくカッコいい伯父の名は一ノ瀬 雷斗。

 その字名は【雷帝】、上位魔法の雷を駆使して近接戦闘を得意としたオールラウンダー。

 数々のダンジョン災害を食い止めた日本屈指の英雄である。

 僕にとって雷斗伯父さんは、テレビの中の有名人なんかじゃない。大きな手で頭を撫でてくれて、肩車をしてくれて、ダンジョンでの話を笑いながら聞かせてくれる、身近な英雄だった。


「黎、男ならでっかい夢を持て」


 幼い頃、伯父さんはよくそう言っていた。


「夢、持っていいの?」


「ああ。誰に笑われても、誰に無理だと言われても、自分だけは信じてやれ」


 その言葉を、僕は今でも覚えている。僕がまだ小さかった頃、身体が弱くて外で遊ぶことも満足にできなかった頃。

 周りの子ども達が走り回る姿を、僕はベンチに座って眺めていた。

 そんな僕の隣に、伯父さんはいつも座ってくれた。


「黎は何になりたい?」

「……僕でも、なれるの?」

「最初から無理だって決めつけるな」


 伯父さんは笑って、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「なりたいと思ったなら、なれば良いんだ」


 僕が冒険者に憧れたのは、その日からだった。誰かを守れる人になりたい、弱い自分のまま終わりたくないと思った。

 病気だから仕方ない。

 太っているから仕方ない。

 筋力が弱いから仕方ない。

 そんな言葉で、自分の人生を全部諦めたくなかった。


「僕は……」


 気づけば、拳を強く握り締めていた。爪が手のひらに食い込む。

 痛い。

 けれど、その痛みよりも胸の奥の悔しさの方がずっと強かった。


「僕は、雷斗伯父さんみたいになりたいんだ」


 翔太は何も言わなかった。

 さっきまで僕を見下すように笑っていたはずなのに、今はただ黙ってこちらを見ている。


「無理だって分かってる。僕が弱いことも、走れないことも、普通の人よりずっと劣ってることも、全部分かってる」


 声が震える。

 喉が熱い。

 それでも、止まらなかった。


「でも、憧れたんだよ。小さい頃からずっと。雷斗伯父さんの背中を見て、僕もああなりたいって思ったんだよ」

「黎……」

「だから、諦めろなんて言うなよ」


 自分でも驚くほど、低い声だった。

 翔太は少しだけ眉を寄せる。怒っているのか、困っているのか、僕には分からなかった。

 しばらく沈黙が流れた。

 グラウンドからは、他の生徒達の声が聞こえている。

 誰かが笑っている。誰かが走っている。

 僕達だけが、そこから切り離されたように立っていた。


 やがて翔太が、小さく息を吐いた。


「……俺は、馬鹿にして言ってるわけじゃねぇよ」

「え?」

「死んでほしくねぇんだよ、お前に」


 その言葉に、僕は何も返せなかった。

 翔太は気まずそうに視線を逸らす。


「冒険者は遊びじゃない。ダンジョンに入れば、強い奴でも死ぬ。S級だって絶対じゃない」


 胸が小さく跳ねた。

 伯父さんのことを言われた気がした。


「ましてや、お前は普通に走ることだってきついだろ。そんな状態でダンジョンに入ったら、魔物と戦う前に死ぬ」

「……」

「だから諦めろって言ったんだ」


 言葉はきつい。でも、さっきとは違って聞こえた。

 翔太は僕を笑っているわけじゃなかった。本気で止めようとしていた。

 その事実が、余計に苦しかった。

 正論だったからだ。

 僕の夢を一番否定しているのは、多分、翔太じゃない。

 僕自身だ。自分の身体を見るたびに思う。

 無理だ。できるわけがない。

 冒険者なんて、選ばれた人間だけがなれる職業だ。

 天城隼人や神崎蒼士のような、他とは違う優れた人間が住む世界だ。

 僕みたいな人間が目指していい場所じゃない。


 それでも。


「……それでも、僕は」


 言葉を続けようとした、その時だった。


「一ノ瀬、こっちに戻れ。授業中だぞ」


 藤岡先生の声が飛んできた。

 僕は慌てて返事をする。


「は、はい!」


 翔太も何も言わず、僕の横を歩き出した。グラウンドへ戻る間、僕達は一言も話さなかった。

 胸の奥には、まだ熱が残っていた。


 怒りなのか、悔しさなのか、悲しさなのか、自分でも分からない。

 ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。

 僕はまだ、夢を捨てられない。

 たとえ誰に笑われても。

 たとえ自分自身が一番無理だと思っていても。

 それでも、僕は冒険者になりたかった。








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