第16話
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を整えながら、ショートソードに付着した血を振り払う。目の前では最後まで立っていたゴブリンが膝から崩れ落ち、そのまま石造りの床へ倒れ込んだ。
「……これで最後?」
「ああ、周囲に反応もない」
少し離れた場所に立つ拓真が答えると、僕はようやく肩の力を抜いた。
あれからさらに探索を続け、何度かゴブリンの群れと遭遇した。最初こそ一体倒すだけでも必死だったが、戦闘を繰り返しているうちに少しずつ恐怖にも慣れ、最後の一体は相手の攻撃を落ち着いてかわして仕留めることができた。
たった一日の、それも数時間程度の経験。それでも、自分がほんの少しだけ上手くなった気がする。
「十八、十九……二十。ちょうど二十体だな」
拓真が周囲に転がるゴブリンを確認しながら数えると、晴人が嬉しそうに拳を突き上げた。
「っしゃあ! 二十体!」
「声でかい。別の魔物が寄ってきたらどうするの」
「いいじゃん、来たらまた倒せば」
「馬鹿」
「なんだと千紗!」
睨み合う二人を見ながら、拓真は呆れたように息を吐いた。
「もう帰るぞ。黎も限界だろ」
「えっ、僕?」
突然名前を出されて思わず聞き返した。
自分の身体へ意識を向けてみれば、剣を握っていた腕は鉛でも詰められたように重く、両足にもかなり疲労が溜まっている。
興奮していたせいか、拓真に指摘されるまで気づいていなかった。
「……確かに、結構疲れてるかも」
「情けねぇな黎。俺なんて初日は余裕だったぞ」
得意げに胸を張る晴人に、千紗が冷めた視線を向ける。
「初めてゴブリンに襲われたとき、盾落としたくせに」
「おい!」
「そのまま逃げたよね」
「逃げてねぇよ! あれは一旦距離を取っただけだ!」
「盾を置いて?」
「……あれは、後でちゃんと拾っただろ」
「ははっ」
思わず笑ってしまうと、晴人が不満そうに僕を睨んだ。
「笑うな黎! お前だって今日めちゃくちゃビビってただろ!」
「それは……そうだけど」
「ほら見ろ!」
「でも盾は落としてない」
「お前まで言うのかよ!」
晴人の声に僕と千紗が笑う。
今日会ったばかりの相手なのに、一緒に魔物と戦ったからなのか、最初に顔を合わせたときに感じていた遠慮はいつの間にかなくなっていた。
「お前ら、元気あるじゃねぇか。あと十体くらいいけるんじゃないか?」
「おっ、マジ?」
「冗談だ。帰るぞ」
「なんだよ!」
拓真は笑いながら槍を背負うと、ゴブリンから回収した討伐証明部位を詰めた袋を持ち上げた。
僕もショートソードについた血を布で丁寧に拭い、鞘へ収める。初めて魔物を斬ったときには気持ち悪くて仕方なかった血にも、数時間前ほどの嫌悪感はなくなっていた。
慣れるものなんだな。
そう思ったところで、自分が少しだけ怖くなる。それでも剣を握る手を見れば、それ以上に胸の奥から湧き上がってくるものがあった。
今日、僕は魔物を倒した。
鬼塚教官に教えてもらったことが、実戦でも通用した。
そして何より、一体目より二体目、二体目より三体目と、戦うたびに少しずつ身体が動くようになっている。
「……へへ」
「また笑ってるぞ、こいつ」
「え?」
「黎、今日ずっと楽しそうだな」
晴人に指摘され、慌てて口元を押さえる。
「仕方ないだろ。ずっと冒険者になりたかったんだから」
「そんな楽しいか?」
「楽しいよ」
迷うことなく答えた。
怖いし、疲れるし、剣で肉を斬る感触だって好きにはなれそうにない。それでも今まで夢にしかなかった世界を自分の足で歩き、昨日までできなかったことが少しずつできるようになっていく。
そんな一日が楽しくないはずがなかった。
◇
「お疲れ様でした。ゴブリン二十体、確認できました」
東京都中央冒険者ギルドへ戻った僕たちは、討伐証明部位を買取窓口へ提出していた。
受付の女性が端末へ情報を入力していき、最後に僕たち四人の冒険者カードを読み取り機へ通す。
「ゴブリン一体につき三千五百円ですので、二十体で七万円ですね。パーティー登録されていますので、四名に均等分配しておきます」
「七万!」
思わず大きな声を出してしまい、近くにいた冒険者が何人かこちらを振り向いた。
「黎、恥ずかしいから静かにして」
「ご、ごめん……」
「初報酬なんだから仕方ねぇって」
晴人が笑いながら僕の肩を叩く。
「一人一万七千五百円か。初日にしちゃ上出来だな」
拓真の言葉を聞いて、改めて金額を頭の中で繰り返す。
一万七千五百円。
今日一日で僕が稼いだ金だ。
もちろん三人の力があったからこその金額だけれど、それでも両親からもらった小遣いとはまったく意味が違う。自分で剣を握り、魔物と戦い、その対価として得た初めての報酬だった。
「すごいな、冒険者……」
「いや、今日は魔物が多かったからだぞ」
拓真が釘を刺す。
「毎日こんなに稼げると思うなよ。それに装備の修理、消耗品、治療費も全部自腹だからな。稼いだ分を全部使ってたら、いざってとき困るぞ」
「分かった」
「特に晴人、お前に言ってる」
「なんで俺!?」
「この前報酬入った翌日に全部使っただろ」
「何に使ったの?」
僕が尋ねると、晴人は得意げに鼻を鳴らした。
「ゲームと服」
「……」
「……」
「なんだよ、その目は!」
僕と千紗が同時に黙ると、拓真が深いため息を吐いた。
「だから今日は真っ直ぐ帰れよ」
「いや、待て拓真」
晴人が真剣な表情で拓真の肩を掴む。
「俺たちは今日、大切なことを忘れている」
「なんだよ」
「黎の初ダンジョンだぞ」
「それが?」
「初報酬も入った」
「ああ」
晴人の口元がゆっくりと吊り上がる。
「焼肉だろ」
「……なんでだよ」
「行こう!」
僕が即座に賛成すると、拓真が目を見開いた。
「黎!?」
「焼肉食べたい!」
「お前、さっき俺の話聞いてたか?」
「一万七千五百円全部は使わないよ!」
「そういう問題じゃ……」
「私も焼肉なら行く」
「千紗まで!?」
「お腹空いた」
僕と晴人と千紗、三人から見つめられた拓真はしばらく抵抗するように黙っていたが、やがて諦めたように肩を落とした。
「……安い店だからな」
「っしゃあ!」
◇
「うっま!」
焼き上がったカルビを口へ放り込んだ瞬間、思わず声が出た。
一日中身体を動かした後だからなのか、脂の甘みと濃いタレの味がいつもの何倍も美味しく感じる。僕はすぐに白米を口へ運び、続けて網の上に新しい肉を置いた。
「黎、食うの早すぎ。焼くの追いつかねぇよ」
「晴人、その肉僕の!」
「網に置いた時点でみんなのもんだろ」
「そんなルールないよ!」
「早い者勝ちだ!」
「あっ、また取った!」
「お前ら自分で焼け」
向かい側に座る拓真が呆れた顔をする。その隣では千紗が晴人に取られないよう、自分の肉を網の端へ避難させていた。
「千紗、それもう焼けてるぞ」
「晴人に取られるから置いてるの」
「俺を何だと思ってんだよ」
「人の肉を取る人」
「正解じゃん」
「黎、お前どっちの味方だよ!」
焼肉屋の店内には僕たちと同じようにダンジョン帰りらしい冒険者たちが何組もいて、あちこちから笑い声や今日の戦果を自慢する声が聞こえてくる。
僕はそんな光景を眺めながら、また肉を口へ運んだ。
不思議な感じだった。
今日の朝まで、この三人とはほとんど他人だった。それなのに一緒に魔物と戦い、今は同じ網を囲んで肉を奪い合っている。
「そういや黎」
晴人が箸を持ったまま僕を見る。
「お前、なんで冒険者になったんだ?」
「なんでって?」
「学校まで行かなくなって専従にしたんだろ。そこまでして冒険者になりたかった理由だよ」
「それなら決まってるよ」
僕は箸を置くと、迷うことなく答えた。
「英雄になりたいから」
「……」
晴人が止まった。
千紗もこちらを見る。
拓真まで肉を焼く手を止めていた。
「な、何?」
「……英雄?」
「うん」
「本気で?」
「本気だけど」
数秒の沈黙の後、晴人が堪えきれないように吹き出した。
「ぶはっ! 英雄って、お前!」
「なんで笑うんだよ!」
「だって英雄って! 中学生かよ!」
「中学生だよ!」
「そうだった!」
「晴人!」
腹を抱えて笑う晴人を睨みつけると、千紗が小さく息を漏らした。
「別にいいんじゃない、英雄」
「千紗……!」
「なれるかは知らないけど」
「なんで一言余計なの!?」
今度は拓真まで笑い始めた。
「いいじゃねぇか。目標がでかいのは悪いことじゃない」
「拓真だけだよ、まともなの」
「でも、なんで英雄なんだ?」
「僕の伯父さんが冒険者なんだ。小さい頃からずっと憧れてて、その人みたいになりたい」
「へぇ、有名な人?」
「……まあ、結構」
雷帝の名前を出そうか一瞬迷ったが、やめておいた。言えばまた大騒ぎになりそうだし、今は伯父の名前ではなく、一ノ瀬黎としてこの三人と仲良くなりたかった。
「じゃあ晴人は?」
「俺?」
「人のこと笑ったんだから、当然すごい理由なんだよね?」
「決まってんだろ」
晴人は胸を張る。
「金持ちになりたい」
「僕のこと笑えないじゃん!」
「笑えるだろ。俺の方が現実的だ」
「どこが!」
「冒険者は強くなればなるほど稼げるからな。俺は二十歳までに高級車買う」
「まだ免許も持ってないくせに」
千紗が冷静に突っ込む。
「十八になったら取るんだよ!」
「二十歳まであと五年しかないよ」
「余裕だって。俺、その頃にはC級くらいになってるから」
「夢でかいの晴人も一緒じゃん」
「俺のは計画だ!」
僕と晴人が言い合っていると、拓真が網の上で焦げかけていた肉を皿へ移した。
「千紗は?」
「私?」
「ああ。黎が英雄、晴人が金。お前は?」
千紗は少し考えるように箸を止めた後、短く答えた。
「強くなりたいから」
「それだけ?」
「それだけ」
「なんで?」
「秘密」
晴人が身を乗り出す。
「なんだよ、教えろよ」
「嫌」
「俺たち仲間だろ?」
「会ったばっかりだけど」
「冷たっ!」
晴人が大袈裟に胸を押さえたが、千紗はまるで気にせず焼けた肉を口へ運んだ。
「じゃあ拓真は?」
僕が尋ねると、三人の視線が自然と拓真へ集まった。
「俺まで言うのか?」
「リーダーだけ秘密はずるいだろ」
「そうそう」
拓真は困ったように頭を掻き、少しだけ考えてから口を開いた。
「俺は金を稼ぎたい」
「晴人と一緒じゃん!」
「一緒にするな」
「なんでだよ!」
拓真は笑いながら晴人を追い払うように手を振った。
「俺は高級車が欲しいわけじゃない。家に金を入れたいんだよ」
「家に?」
「ああ。まあ、色々あるんだ」
それ以上は話すつもりがないらしく、拓真は網の上へ新しい肉を並べ始めた。
僕も詳しく聞こうとは思わなかった。
英雄になりたい僕と、金持ちになりたい晴人、強くなりたい千紗、そして家族のために金を稼ぎたい拓真。冒険者になった理由はそれぞれ違うけれど、今は同じパーティーとして一緒にダンジョンへ潜っている。
「なあ、明日も今日と同じ時間でいいよな?」
晴人が尋ねると、拓真がすぐに首を横へ振った。
「明日は休み」
「はぁ!?」
「黎は初日だぞ。身体が慣れてないうちから毎日潜らせる気か」
「僕は大丈夫だよ!」
「駄目だ」
「えぇ……」
「明後日な。それまでに装備の手入れして、今日悪かったところを各自で考えとけ」
「拓真、真面目すぎ」
「リーダーだからな。お前ら三人連れて全滅したら洒落にならねぇんだよ」
そう言いながら、拓真は僕の皿へ焼けた肉を一枚置いた。
「特に黎。今日初めてだったんだから、しっかり休め」
「……分かった」
「よし」
「じゃあ明後日は三十体な!」
「お前は話聞いてたか?」
「目標は必要だろ!」
「討伐数を目標にすんな。安全に帰ってくることを目標にしろ」
「堅いなぁ」
「死んだら金も使えねぇだろ」
「それは困る」
「なら言うこと聞け」
拓真と晴人のやり取りを聞きながら、僕は皿に置かれた肉を口へ運んだ。
今日だけで二十体の魔物と戦い、初めて自分の力で一万七千五百円を稼いだ。朝まで知らなかった三人の仲間もできて、次にダンジョンへ潜る約束までしている。
それだけでも十分に嬉しいはずなのに、僕の胸を一番高鳴らせていたのは、今日の最後の戦闘では最初よりも明らかに身体が動いていたことだった。
もっと経験を積めば、もっと上手く戦えるようになる。今より強い魔物だって倒せるようになって、いつかは伯父さんのような冒険者になれるかもしれない。
「黎、またニヤけてるぞ」
「え?」
「ほんとだ」
「だから仕方ないだろ!」
晴人たちの笑い声に包まれながら、僕もつられて笑った。
身体は疲れ切っているのに、不思議なくらい気分は軽かった。早く明後日にならないかなと考えながら、僕は網の上で焼けている最後の一枚へ箸を伸ばす。
「あ、それ俺の!」
「早い者勝ち!」
「さっきそんなルールないって言ってただろ!」
「今できた!」
「黎ぃ!」
晴人の抗議を無視して肉を口へ放り込むと、千紗が呆れ、拓真が声を上げて笑った。
夢にまで見た冒険者としての日々は、僕が想像していた以上に楽しかった。




