第15話
冒険者資格を取得してから、一週間が経った。
僕は今、学校に通っていない。
別に不登校になったわけではない。日本には《冒険者専従制度》というものが存在する。
保護者の同意を得た未成年冒険者は学校への通学を免除され、冒険者活動に専念することが認められている。そして一定以上の活動実績を積めば、中学、高校の卒業資格も国から与えられる。
ダンジョンで魔物を狩る。
それはこの国において、何にも勝る社会貢献だからだ。
そして僕も両親の同意を得て、その制度を利用することにした。
つまり今日から――。
「黎っ! ボサッとすんな!」
「――っ!」
飛んできた怒声に、思考が現実へと引き戻される。
顔を上げた。
「ギャアアアアッ!」
「うわっ!?」
醜悪な顔が目の前にあった。
緑色の肌、尖った耳。黄ばんだ歯を剥き出しにして、僕へ飛びかかってくる。
ゴブリン。
右手には錆びた短剣が握られている。
「くっ!」
反射的に地面を蹴った。直後、短剣が鼻先を掠める。
恐ろしい。訓練場で何度攻撃を受けても感じなかった、本能的な恐怖。
あれは模擬戦だった。
これは違う、当たれば怪我をする。場所が悪ければ――死ぬ。
『怖くても相手から目を逸らすな!』
鬼塚教官の怒声が頭の中に蘇る。
「……っ!」
僕はゴブリンを見る。
大丈夫、よく見える。
相手が短剣を振り上げる。肩が動く、腰が捻られる。
来るっ!
「ギャッ!」
横薙ぎ。身体を後ろへ引く。刃が胸元を通過した。
「今だ!」
地面を蹴る。
僕が手にしているのは、冒険者になった日に購入したショートソード。
両手で柄を握り締め――。
「はぁっ!」
振り下ろした。
刃がゴブリンの肩口へ食い込む。
「ギャアアアアッ!?」
「うっ……!」
硬い。
訓練で斬っていた藁人形とは全然違う。肉を断つ感触が、柄を通じて両手へ伝わってくる。
気持ち悪い。だけど。
「止まるな!」
後方から声が飛んでくる。
「分かってる!」
ショートソードを引き抜く。
血が飛び散った。
「ギィッ……!」
まだ生きている。ゴブリンがこちらを睨みつけた。
僕はもう一度踏み込む。
「はぁぁっ!」
横薙ぎ。刃が首筋へ食い込んだ。
「ギャッ――」
短い断末魔と共に、ゴブリンの身体が崩れ落ちる。
「……」
動かない。
僕はショートソードを握ったまま、その死体を見下ろした。
自分が斬った。
生きていたものを、この手で。
「黎!」
「え?」
「まだ終わってねぇぞ!」
振り向く。
「ギャアアッ!」
「ギィッ!」
「ギャギャッ!」
「……また!?」
石造りの通路の奥。
新たに三体のゴブリンが姿を現した。
その瞬間。
「一ノ瀬、伏せて!」
「っ!」
言われるがまま頭を下げる。
ヒュンッ!
風を切る音。
僕の頭上を一本の矢が通過した。
「ギャッ!?」
先頭のゴブリンの眼窩に矢が突き刺さる。
そのまま仰向けに倒れた。
「相変わらず容赦ねぇな!」
「褒め言葉として受け取っておく」
僕の後ろにいた少女が淡々と答える。
黒髪を後頭部で束ねた、小柄な少女。僕と同じ十四歳。弓使いの水瀬 千紗。
弓を構えたまま、すでに次の矢へ手を伸ばしている。
「残り二体!」
今度は別の少年が前へ出た。
十五歳。僕より一回り大きな身体に、片手剣と小型の盾。
盾使いの赤木 晴人。
「俺が右! 黎、左!」
「分かった!」
僕たちは左右へ分かれる。
「ギャアッ!」
ゴブリンが僕へ突っ込んでくる。
怖い、やっぱり怖い。
でも、さっきより少しだけマシだ。
「……見ろ」
小さく呟く。
相手を見る。足、肩、武器。
鬼塚教官に何度も叩き込まれた。相手が何をしようとしているのか。
最後まで見る。
「ギャッ!」
短剣が振り下ろされる。
僕は半歩横へ避ける。
そして。
「そこっ!」
胴体へショートソードを叩き込んだ。
「ギャアッ!」
今度は止まらない。
すぐに剣を引き抜く。一歩踏み込み、もう一撃。
「ギッ……」
ゴブリンが倒れた。
「……倒した」
さっきより。
上手くできた。
「黎!」
「え?」
声の方を見る。
最後の一体も、盾を持った少年によって地面へ叩き伏せられていた。
「終わりだ」
「……」
辺りを見回す。
動いているゴブリンはいない。
静寂。
そして次の瞬間。
「っしゃあ!」
晴人が拳を突き上げた。
「これで十五体!」
「十五……」
「今日だけでだぞ! すげぇだろ!」
僕は地面に転がるゴブリンたちを見る。
僕たちは四人で渋谷ダンジョンの表層を探索していた。
全員が未成年。そして全員、冒険者専従制度を利用している。
僕と同じように、学校ではなくダンジョンへ通う道を選んだ者たちだ。
資格を取得したばかりの僕が一人でダンジョンへ潜るのは危険だということで、ギルドで紹介された。
今日が初めてのパーティー。
そして――。
「これが……ダンジョン」
思わず呟いた。
天井を見上げる。
どこまでも続く石造りの迷宮。
壁に取り付けられた魔導灯が、薄暗い通路を照らしている。
空気は少し冷たい、湿った石の匂い。遠くから聞こえてくる、何かの鳴き声。
僕はここにいる。
ずっと夢見ていた場所に。
冒険者として。
「……へへ」
「何ニヤニヤしてんだ?」
「え?」
晴人が怪訝そうな顔で僕を見る。
「いや……」
慌てて口元を押さえる。
「なんでもない」
「初ダンジョンで浮かれてんだろ」
「……」
「図星かよ」
「うるさいな!」
「ははは!」
晴人が笑う。
黒髪ボブの千紗は呆れたようにため息をついた。
「浮かれるのはいいけど、警戒はして。今日、明らかに多いから」
「多い?」
僕が尋ねる。
少女が周囲に転がる死体を見る。
「ゴブリン」
「そうなの?」
「……お前、何も知らねぇんだな」
晴人が苦笑する。
「初めてなんだから仕方ないだろ」
「ここ表層だぞ。普段ならこんな短時間で十五体も遭遇しねぇよ」
「へぇ……」
僕は改めてゴブリンを見る。
多いと言われても、基準が分からない。今日が初めてなのだから当然だ。
「でも、いいじゃん」
四人目。
少し離れた場所でゴブリンから素材を剥ぎ取っていた少年が顔を上げた。
僕たちの中では最年長の十六歳。このパーティーのリーダーでもある。
槍使いの相葉 拓真。
「魔物が多けりゃ、それだけ稼げる」
手にした素材袋を軽く振る。
「今日かなりいくぞ」
「マジ?」
「このペースならな」
「よっしゃ!」
盾の少年が喜ぶ。僕も少し嬉しくなる。
初めての冒険、初めての討伐。そして初めて、自分の力で金を稼げる。
「一週間くらい前は逆だったらしいけどな」
「逆?」
僕が聞き返す。
「ああ」
リーダーの拓真が立ち上がる。
「全然いなかったらしいぞ、魔物」
「……」
それには聞き覚えがあった。
僕たちの冒険者資格試験。本来なら、渋谷ダンジョン表層で行われる予定だった。
それが訓練場へ変更された理由、渋谷ダンジョン内で確認された異常。
「じゃあ……元に戻ったってこと?」
「さあな」
拓真は肩をすくめた。
「俺たちにはありがたい話だけどな」
そう言って歩き始める。
「ほら、行くぞ。まだ時間ある」
「おう!」
盾の晴人が続く。
千紗も弓を背負い直して歩き始めた。
僕も後を追う。
「……」
その途中。
ふと、振り返った。
僕たちが倒した十五体のゴブリン。一週間前には、姿を消していた魔物たち。
それが今では、普段よりも多い。
「黎ー! 置いてくぞ!」
「あっ、待って!」
僕は慌てて走り出す。
考えても分からない。
僕はまだ、このダンジョンについて何も知らないのだから。
それより今は、少しでも強くなりたい。
一体でも多く魔物を倒したい。
一人前の冒険者になりたい。
僕は三人の背中を追って、薄暗い通路の奥へと進んでいった。
その先から。
「ギャッ……」
微かに。
魔物の鳴き声が聞こえた。
「いたぞ!」
「今度は何体だ!?」
仲間が武器を抜く。
僕もショートソードを構えた。
怖い、それでも不思議と口元が緩んだ。
「行こう!」
夢にまで見た冒険者としての日々は。
まだ、始まったばかりだった。




