第13話
「始め!」
試験開始の声が響いた。
僕は、一歩も動かなかった。
「……」
剣を構えたまま、細木さんを見る。
正確には、細木さんだけを見ているわけじゃない。
足元。僕と細木さんの距離。木剣の長さ。背後にどれだけ空間が残っているか。
全部を見る。
「あら?」
細木さんが首を傾げた。
「来ないの?」
「……はい」
「はい?」
「行きません」
一瞬、細木さんが目を丸くする。
周囲から小さな笑い声が聞こえた。
「なんだそれ」
「ビビってんじゃん」
「そりゃ神代の戦い見た後じゃな……」
違う。いや、怖いのは間違いない。手は震えているし、今すぐここから逃げたい。
でも――。
『いいか、一ノ瀬』
鬼塚教官の声を思い出す。
『格上相手に自分から間合いへ入るな』
何度も言われた。
『お前は弱い』
何度も。
『力もない。速くもない。技術もない』
嫌というほど。
『なら、弱い奴の戦い方を覚えろ』
細木さんはD級冒険者。蒼真ですら本気で戦って、ようやく勝てた相手だ。
僕から攻める?馬鹿じゃないのか。
勝てるわけがない。
「ふふっ」
細木さんが笑った。
「面白いわねぇ」
木剣を肩に乗せる。
「じゃあ、お姉さんから行っちゃおうかしら♡」
瞬間、姿が消えた。
「――ッ!」
右!反射的に剣を上げる。
ガァンッ!!
「ぐっ!?」
腕が痺れた。
重い、剣ごと身体を持っていかれる。
「ほらほらぁ!」
二撃目。無理だ、受けられない。
僕は後ろへ飛んだ。
木剣が鼻先を通り過ぎる。
「うわっ!」
着地した瞬間、足がもつれた。身体が後ろへ倒れる。
まずい!
顎を引く、背中を丸める。
バンッ!
「ぐっ……!」
痛い。でも、頭は打っていない。
すぐに床へ手をつき、立ち上がる。
「あら」
細木さんが僕を見ていた。
「ちゃんと受け身取れるじゃない」
「……それくらいは」
「一ヶ月前はできなかったんでしょ?」
「……」
答える暇はない。細木さんが来る。
速い。
剣を見るな。肩、腰、足。
『武器だけ見るな! 身体を見ろ! 攻撃は腕だけで出るんじゃねえ!』
「ッ!」
横薙ぎ。身体を沈める。
ブンッ!
頭上を木剣が通過した。
「おっ」
避けた、そう思った瞬間。
「遅い♡」
「え――」
ドンッ!!
「がっ!?」
腹に衝撃、蹴られた。
身体が床を転がる。
「ぐ……げほっ!」
痛い、息ができない。腹を押さえながら、必死に空気を吸う。
駄目だ、止まるな。
立て。
「……っ」
剣を支えに立ち上がる。
「へぇ」
細木さんが笑っている。
「まだやる?」
「……試験中、ですよね」
「そうね」
「なら……やります」
構える。
腕が痛い、腹も痛い。呼吸も乱れている。
それでも、まだ立てる。
細木さんが踏み込んだ。
来る……今度は左。
「っ!」
避ける。
次、後ろへ。ッ右!
「うわっ!」
木剣が肩を掠めた。
痛い。でも直撃じゃない。
逃げる、距離を取った。
細木さんが追ってくる。
「逃げてばっかりねぇ!」
「勝てないので!」
「あははっ! 正直!」
当たり前だ、僕は弱い。
そんなこと、一ヶ月間ずっと思い知らされてきた。
鬼塚教官にも負けた。
蒼真にも負けた。
他の受講生にすら泥試合だ。
だったら、勝てない相手に、勝てるふりをしてどうする。
今の僕にできることをする。
それだけだ。
「はぁ……はぁ……!」
息が上がる、酸欠で視界が揺れる。
それでも細木さんから目を離さない。
周囲の声が聞こえた。
「……あいつ、ずっと逃げてない?」
「攻撃しろよ」
「神代の後だから余計しょぼく見えるな」
分かってる。
僕だってそう思う。
蒼真なら、細木さんの攻撃を避けながら反撃していた。
僕にはできない。
今は。
「……」
少し離れた場所で、蒼真が黙ってこちらを見ていた。
腕を組み、壁にもたれている。
その目が僅かに細くなった。
(……こいつ)
一ヶ月前、模擬戦で戦った時とは違う。
あの時の黎は、何をされたのか理解することすらできなかった。
距離も見ていない、足も動かない。
攻撃が来れば目を瞑る。
ただ剣を握っているだけの素人だった。
今も弱い。
技術も拙い、動きも遅い。
それでも。
(考えてる)
自分と相手の力量差を理解して、どうすれば生き残れるのかを必死に考えている。
「……」
蒼真は何も言わなかった。
ただ、黎から目を離さなかった。
「はぁ……はぁ……」
足が重い。
もうどれくらい経った?
一分?二分?
分からない、細木さんが強すぎる。攻撃する隙なんて一度もない。
避けるだけで精一杯だ。
「一ノ瀬ちゃん」
「……はい」
「一つ聞いていい?」
細木さんが突然、攻撃を止めた。
僕も距離を取ったまま構える。
「なんで攻撃してこないの?」
「……」
少し考える。
「当たらないからです」
「あら」
「僕が今、細木さんに攻撃しても……多分、簡単に避けられます」
「そうね」
「それどころか、攻撃した瞬間に隙ができます」
「うん」
「だから……」
息を整える。
「まず、生き残ります」
細木さんの目が僅かに見開かれた。
「勝てないなら逃げます。逃げられないなら時間を稼ぎます。それでも駄目なら……その時に戦います」
「……」
「鬼塚教官に教わりました」
僕は剣を握り直す。
「冒険者は、魔物を倒す仕事じゃない」
思い出す。
あの日、何度倒されても立ち上がった僕に、鬼塚教官が言った言葉。
『勘違いするな。一ノ瀬』
『冒険者の仕事は魔物を倒すことじゃねえ』
『生きて帰ることだ』
「……生きて帰る仕事だって」
静寂。
細木さんが僕を見つめている。
やがて。
「ふふっ」
笑った。
「鬼塚ちゃんらしいわね」
木剣を握り直す。
「じゃあ――」
腰を落とす。
その瞬間、背筋が凍った。
「生き残ってみなさい」
「――ッ!」
来るっ、今までと違う。
速――ガァンッ!!
「ぐっ!?」
辛うじて受けた。
腕が弾かれ、剣が宙を舞った。
「あ――」
武器がっ、、駄目だ。
拾うな。
『戦闘中に武器を落としたら、馬鹿みてぇに拾いに行くな! 相手から目を離す方が百倍危険だ!』
後ろへ飛ぶ。
「へぇ!」
細木さんの声。
追ってくる、逃げる。
剣はない。
どうする。
どうする!?
周囲を見る。
右、駄目。壁が近い。
左、空いてる。
「っ!」
左へ走る。
だが。
「残念♡」
「――え?」
目の前に細木さんがいた。
速すぎるっ!
逃げ道を読まれた。
木剣が避けられない軌道で迫ってくる。
「くっ!」
両腕で頭を守る。
直後――止まった。
「……」
首元、僕の喉元に、木剣が突きつけられていた。
「……あ」
終わった、完全に何もできなかった。一撃も入れられていない。
蒼真はこの人に勝った。僕は逃げ回っただけ。最後には剣まで落として、首元に剣を突きつけられた。
「……参りました」
細木さんが木剣を下ろした。
「はい、お疲れ様♡」
「……ありがとうございました」
頭を下げる。
悔しいが、分かっていた事だ。
勝てないことくらい、最初から分かっていた。
それでも、ここまで何もできないなんて。
悔しいっ……。
床に落ちた剣を拾う。
「……」
これで、終わりか。
四十万円も賭けた。父さん、母さんと喧嘩した。
一ヶ月間毎日ここへ来た。講習が終わっても残って訓練した。
走った、剣を振った、何度も吐いた。
それでも駄目だった。
「一ノ瀬ちゃん」
「……はい」
細木さんが名簿を見ている。
何かを書き込んだ。
僕は俯いた。せめて何が駄目だったのか聞こう。
次があるなら――。
「一ノ瀬黎ちゃん」
細木さんが顔を上げる。
そして。
「合格♡」
「……」
…………。
「……え?」
顔を上げる。
「今……なんて?」
「だからぁ」
細木さんはニッコリ笑った。
「合格よ。おめでとう、一ノ瀬黎ちゃん」
「……えええええええっ!?」
訓練場に、僕の声が響き渡った。




