第10話:『巡る言葉と、重なり合うアンサンブル』
『風の選択肢』の全国大型書店サイン会ツアー。東京、名古屋、大阪、福岡——秋の風とともに巡る中で、私は読者の皆さんの熱い想いを直接肌で受け取っていた。
今日の大阪の大手書店。長蛇の列に並んでくださった読者の方が、大切そうに本を抱きしめながら声を詰まらせる。
「薫先生の本を読むと、固まっていた心がほどけて、新しい一歩を踏み出す勇気が湧いてくるんです」
「あら……本当にありがとうございます。書いてきて良かったわぁ」
一人ひとりと目を合わせ、感謝を込めながらサインを記す。子どもたちの未来を信じて都内マンションへ引っ越し、この手で紡ぎ出した言葉たち。それがこうして誰かの日常を明るく照らしている。その温かな手応えが、私の心を満たしていった。
東京へ戻る新幹線の中で書き進めていたノートPCの原稿。私はさらに熱を帯びたキーボードを走らせていた。
「先生、素晴らしい集中力ですね。ツアーの熱量が見事に次回作のエネルギーに昇華されています」
「ええ、佐藤さん。次に書きたい物語の輪郭が、くっきりと見えてきたわ」
今回のテーマは『繋がる音と、交差する人生』。各地で出会った読者の笑顔や、我が家の子どもたちが織りなす物語が、新しい作品の芽となって芽吹き始めていた。
◇
都内のマンションへ帰宅すると、インターンシップ初日を終えた真衣がちょうど帰宅したところで、大きなカメラバッグを抱えて目を輝かせて出迎えてくれた。
「ママ、お帰りなさい! サイン会ツアー大盛況だったみたいだね!SNSで見たよ」
「ただいま〜!真衣もおかえりなさい。インターン先での初仕事はどうだったの?」
「すごく刺激的だったよ! Webメディアの現場で、若いアーティストのインタビュー記事のライティングを先輩の社員の方と一緒に担当させてもらったの。『ミモザ』として撮ってきたポートフォリオを評価してもらえて、現場の編集長にもすごく褒められたんだ!」
ポートフォリオを見せながら誇らしげに語る真衣。我が家の思い出を撮り続けていた「小さな記録係」は、今やプロの現場で自分の言葉と写真、ミモザとしての経験を武器に、堂々と羽ばたいていた。
◇
そこへ、マンションの防音室から、胸を響くような心地よい音が漏れ聞こえてきた。
力強く、けれどどこか優しいグルーヴの結の歌声とベースライン。そこに重なるのは、鮮やかで情熱的なアルトサックスの音色だ。
一時帰国を果たした、あのロンドンのコヴェント・ガーデンで出会ったサックスの青年——一ノ瀬 奏くん。彼が結の防音室を訪れ、二人の約束だった初セッションが繰り広げられていたのだ。
汗をかきながらベースを弾き、歌い手として伸びやかな声を響かせる結。その歌声と低音に寄り添い、時に問いかけるようにサックスの音を重ねる一ノ瀬奏くん。言葉以上の会話が、音となってリビングまで心地よく響き渡ってくる。
「……うわっ、皮がモチモチで肉汁すごっ! うまっ!!」
「やっぱり大阪といったらこれやろ! 薫さん、ツアーのお土産ごちそうさまです!」
その極上のアンサンブルを一番のBGMにしながら、ダイニングテーブルで豪快に大阪名物の肉まんを頬張っていたのは「Wレン」の二人だった。
ツアー土産の肉まんに真っ先に飛びついた体育会系の蓮と、二つ上のフロアから匂いを嗅ぎつけて(正確には蓮からのLINEで)やってきたレンくん。
「Wレンさんたち、よく噛んで食べなさいねぇ」と笑う私をよそに、二人はハフハフと口を火傷しそうになりながら、交互に肉まんを口へ放り込んでいる。
「……それにしても、Wレンで並んで食べると本当の兄弟みたいね」
「蓮、お前ほんま美味そうに食うなぁ! ……それにしても、防音室から聴こえるこのセッション、激シブやん。結も一ノ瀬奏くんも、めちゃくちゃいい音鳴らすわ」
レンくんが肉まんを手に持ったまま耳を傾け、蓮も「結のベース、相変わらずカッコいいなぁ」と嬉しそうに頷く。
Wレンの微笑ましい会話と、防音室から溢れ出る一ノ瀬奏くんと結の楽しそうな爽やかな音色。そして真衣の晴れやかな笑顔。
ヨギボーに沈み込み、温かいコーヒーを一口含みながら、私はそっと目を閉じた。
サイン会で出会った読者の温もり、真衣の社会への輝かしい一歩、結と一ノ瀬奏くんが響かせる新しい音律、そして我が家に溢れる温かな笑顔。
子どもたちの未来は、どこまでも自由に、どこまでも豊かに広がっていく。その愛おしい輝きを胸に抱きながら、私はまた、ノートPCに真新しい物語の一節を紡ぎ始めるのだった——。




