第7話:『ファインダーの向こうの未来』
『風の選択肢』の発売日当日。
佐藤さんが持ってきてくれた新聞の全面広告や書店の特設コーナーの写真を見て、私はお気に入りのヨギボーに沈み込みながら、思わず深呼吸をした。
(なんだか緊張するわね……)
「先生、発売初日から大反響です! 書店からの追加注文が殺到しており、即重版が決定いたしました!」
「あら……! お疲れさま、佐藤さん。本当に佐藤さんや編集部の皆さんのお陰ね。ありがとう。」
観葉植物の緑が陽差しに透ける新居のリビングで、佐藤さんが胸を張って報告してくれる。前の家の重い記憶の気配を脱ぎ捨て、この都内マンションの「聖域」で子供たちの羽ばたきを見守りながら紡いだ物語。それがこうして多くの読者の元へ届いていくことが、心から嬉しかった。
「薫さん! 引っ越し作業、無事に終わりましたー!」
そこへ、変装用の帽子を脱ぎ捨てたレンくんが飛び込んできた。
なんと今朝、二つ上のフロアへの引っ越しが完了したのだという。本当に動きが早くてびっくりしてしまう。
「これで移動時間ゼロです! これからは朝のご飯も夜のお茶も、気軽に突撃させてもらいますね!」と満面の笑みを浮かべるレンくん。我が家と同じマンションの住民になったことで、都内に引越してからただでさえ高かった出没率が、これでさらに上がること間違いなしだわ。
◇
そんな賑やかな我が家で、最近もう一人、大きな一歩を踏み出そうとしているのが長女の真衣だ。
真衣は「ミモザ」という名義で、フォトグラファー&ライターとしての活動を本格化させていた。都内の大学に通うようになって行動範囲が広がり、結の新しいバンドのアーティスト写真やライブの密着レポートを手掛けたりと、充実した表現活動を続けている。
そして今日、真衣は大きなカメラバッグと一緒に、数冊の就職活動用ノートをリビングのテーブルに広げていた。
「ママ、私ね……『ミモザ』として写真を撮ったり文章を書いたりする中で、将来やりたいことがはっきり見えてきたの」
真衣の真剣な眼差しに、私はヨギボーから少し体を起こして耳を傾けた。
「これまでの家族の記録や、ミモザとしての実績をポートフォリオにまとめて、都内の大手出版社やWebメディアのインターンシップに応募しようと思ってる。大学3年になって、本格的にメディア業界への就職活動をスタートさせたくて」
「うん。 真衣、素晴らしい挑戦だと思う!」
かつて我が家の思い出を静かに記録していた小さなカメラマンが、自分の経験を武器に、社会へ飛び出すための扉を開こうとしている。自分で見つけた大好きな道をまっすぐ見つめる真衣の瞳は、すっかり一人の自立した大人の顔をしていた。
「佐藤さんにもエントリーシートのアドバイスをもらっちゃった! 頑張ってみるね!」と笑う真衣の姿に、胸が熱くなる。
◇
夕方、大学から帰ってきた結が、リビングのソファーに腰掛けてスマホを見つめていた。
「結、どうかしたの?」
私が甘いカフェラテを差し出すと、結は少し照れくさそうに画面を見せてくれた。ロンドンで出会った、あのアルトサックスの留学生の男の子からのメッセージだ。
『結のバンドの初ライブの写真、ミモザさんのレポート経由で見させてもらったよ。ベースを弾きながら歌う姿、本当にカッコよかった。実は僕……近々一時帰国するかもしれない。君の通うキャンパスに顔を出せるかも』
「あら……彼、日本に帰ってくるの!?」
「うん……まだ確定じゃないみたいなんだけど、もし会えたら、ロンドン以来だなって……」
ほんのり頬を染める結。
ミモザ(真衣)が切り取った一枚の写真がきっかけとなり、ロンドンと東京で音を鳴らし続けていた二人の距離が、ついに再び重なろうとしていた。
レンくんの引っ越し完了でさらに賑やかになる日常、就職活動という新しい未来へ踏み出す真衣、そして結のもとに訪れようとしている再開の気配。
ヨギボーに深く腰掛け、成長していく愛おしい子供たちを見つめながら、私はノートPCの真新しいページに、また新しい幸せの予感を打ち込み始めていた——。




