第5話:『重なる音符と、密かなたくらみ』
【語り:真衣】
都内マンションでの生活が馴染むにつれ、玉木家の日常には新しい「音」と「予感」が増えていた。
その最たるものが、高層階の我が家に響く頻繁なピンポーンというインターホンの音だ。
「薫さん、ただいまー! これ、今日仕事で行った撮影現場の差し入れの高級イチゴです!」
変装用の帽子とメガネをパッと外して、リビングのソファに滑り込んできたのはレンくんだった。
都内のマンションに越してきてからというもの、アクセスが格段に良くなったこともあって、レンくんの我が家への「出没率」は急上昇していた。アジアツアーから帰国したばかりだというのに、仕事の合間を縫ってはふらりと顔を出しては、ママの淹れたお茶で深々と息をついている。
「レンくん、いつもありがとうねぇ。でも、あんまり無理しちゃだめよ?」
「薫さんの淹れてくれたお茶飲むのが、一番の休まるんだよ。玉木家来る方がその辺のカフェ入るのよりずっと落ち着くし!……あ、そう言えば佐藤さん、このマンションの別のフロアって、近々空きが出る予定とかないですかね?」
「……レンさん、まさかとは思いますが」
薫が入れた緑茶に手を伸ばしながら、佐藤さんがメガネの奥の目を光らせる。
「いや〜、真面目な話、セキュリティもバッチリだし、防音も効いてるし、何より玉木家の近くに住めたら最高じゃないですか。本気で引っ越し検討中なんです」
「えーーー?! レンくんが同じマンションに住んだら、毎日賑やかになりそうねぇ」
ママはクスクスと楽しそうに笑っているけれど、佐藤さんは「事務所の許可と内情を精査しておきます」と、早くも手帳にメモを走らせていた。レンくんの「玉木家と同じマンションに住みたい」というたくらみは、どうやら本気らしい。
◇
一方、大学に入学した結の周りも、一気に活気を増していた。
高3の受験終了後の春休み、ソロのシンガーソングライターとして目標だった地方ツアーまで見事にやり遂げた結。都内の大学に入学してからは、ソロ活動と並行して、大学の信頼できる仲間たちと新しいバンドを結成していた。
二足のわらじを履き、さらにアグレッシブに音楽の幅を広げている結だが、今は近く開催される「新しいバンドでの初ライブ」に向けて連日スタジオにこもっている。
そんな結には、誰にも言っていない密かな「励み」があった。
「あ、また返事きた……」
自分の部屋でスマホ画面を見つめながら、結がふっと表情を緩める。
実は、あのロンドンのコヴェント・ガーデンで出会ったアルトサックス奏者の留学生の男の子——彼との連絡が、帰国後もずっと続いていたのだ。
お互いに作った楽曲の音源を送り合ったり、音楽の悩みを相談し合ったり。そして最近知って驚いたことに、彼は渡英する前、なんと結が今通っている大学に在籍していたのだという。
『僕が休学前に通っていたキャンパスに、君が今通っていると思うと不思議な縁を感じるよ。今度の新しいバンドの初ライブ、遠くから応援してる』
メッセージに添えられた彼の言葉を読み返し、結の胸が少しだけキュンと高鳴る。
今は遠く離れたロンドンと東京。けれど、同じ大学の空気感を知り、サックスと歌というそれぞれの音で繋がり続ける二人の距離は、少しずつ、けれど確実に縮まっていた。
◇
「結、なんだかすごく良い雰囲気で音楽をやっているわね」
ヨギボーに深く腰掛け、観葉植物の葉越しに結の部屋から漏れる力強いバンドセッションの音を聞いていたママが、愛おしそうに呟く。
新居での穏やかな時間、レンくんの密かな引っ越し計画、そして結の新しいバンドでの初ライブに向けた挑戦——。
都内へのお引越しは、ただの住む場所の変化ではなく、私たちの未来がさらに大きく花開くための、最高の「助走」だったのだと実感する。
ママの膝の上で開かれたノートPCには、これから訪れる波乱と希望に満ちた物語のページが、どこまでも軽やかに広がっていた——。




