第3話:『サクラサク春と、新しいドアの鍵』
寒さが和らぎ、春の足音が近づいてきた2月。我が家の運命を決める合格発表の時期がやってきた。
まず吉報を運んできたのは、蓮だった。
「 都内の陸上強豪高校、スポーツ推薦で正式に合格確定したーっ!!」
学校から帰ってくるなり、玄関のドアを勢いよく開けて叫んだ蓮。佐藤さんの根気強いマンマンツーマン指導のおかげで、苦手だった英語と数学の点数が跳ね上がり、見事に目標だった内申点をクリアしたのだ。合格通知書を掲げる蓮の顔は、やり切った誇らしさで輝いていた。
「蓮、本当によく頑張ったわねぇ……!」
私は涙ぐみながら蓮をギュッと抱きしめた。
そして数日後——結の大学受験の合格発表。画面の前で息をのむ私たち。スマホに『合格』の二文字が表示された瞬間、リビングに割れんばかりの歓声が上がった。
「やったぁぁぁ! 合格した……! 大学で音楽も勉強も本気で頑張れる……!」
結は泣きながら私と真衣に飛びつき、蓮も「結、すげえよ!」と大はしゃぎ。高校受験と大学受験という二つの大きな山を、二人は見事に乗り越えたのだ。
◇
「——さて、皆様。本当におめでとうございます」
合格の余韻に浸る我が家にやってきたのは、スーツ姿の佐藤さん。その手には、ずっしりと重いクリアファイルと真新しい鍵が握られていた。
「二人が最高の成果を掴み取ってくれた以上、次は僕の番です。先生と進めていた『都内引っ越しプロジェクト』、すべての契約と防音検査が完了いたしました」
テーブルの上に置かれたのは、都内の利便性の良い場所に立つ、防音設備完備の素敵なマンションの間取り図。
結がいつでも練習できる防音ルーム。徒歩圏内には蓮が走り込める大きな公園。そして真衣の通学時間も大幅に短縮される最高のロケーションだ。
「佐藤さん……! 本当に、家族全員の夢が詰まった完璧なマンションね……!」
感極まる私に、佐藤さんは優しく微笑んだ。
「先生の『なんとなく』の直感が描いた未来を、形にするのが僕の役目ですから。さあ、新しい物語の舞台へ引越し準備を始めましょう」
◇
3月下旬。長年過ごした家からダンボールが運び出され、私たちは都内の新しいマンションへと向かった。
引っ越し当日、ツアー先のアジアから帰国したばかりのレンくんも、変装してこっそり手伝いに駆けつけてくれた。
「結、蓮! 合格ほんとにおめでとう! 薫さん、引越しおめでとうございます! 高層階で景色もええし、東京でライブがあるときも遊びに来やすくなったね!」
「レンくん! ありがとう! この防音室で、また一緒にセッションしようね!」
広々としたリビングに広がる新生活のダンボール、窓から見える都会の街並み。
引っ越し作業が落ち着いた頃、リビングの最も日当たりの良いコーナーに私の執筆スペースである「聖域」がセッティングされた。大きな観葉植物たちと、長年愛用しているヨギボー。
日差しを浴びる緑に囲まれ、ヨギボーへ深く沈み込みながら、窓の外の澄み切った空を見つめる。それがとても愛おしく感じた。
これまで暮らしてきた前の家も、家族の思い出がたくさん詰まった大切な場所だった。けれど、そこにはどこか元旦那の残像や、過去の重たい気配が微かに漂っていたのも確かだ。私は「なんとなく」その気配を吹っ切りたくて、ずっと新しい場所を探していたのかもしれない。
(この明るい部屋なら……子どもたちも過去の呪縛からどんどん解放されて、自分たちの足で未来へ飛び立っていけるわ)
内心でそう強く願いながら、ふにゃりと柔らかい笑顔を浮かべた。
「う〜ん、やっぱりこのクッションと緑がないと落ち着かないわねぇ」
ヨギボーにもたれかかったまま、膝の上のノートPCに向かって嬉しそうにキーボードを叩き始める。
「新しいマンション、新しい街、そして成長していく子どもたち……。次はどんな物語が生まれるかしら」
子どもたちの受験、過去とのしなやかな決別、そして都内マンションへの引越し。ひとつの大きな節目を乗り越えた玉木家は、たくさんの希望を胸に、新しい未来のドアを開いたのだった——。




