第2話:『赤本と評定と、未来の足音』
【語り:真衣】
季節は秋へと移り変わり、玉木家のリビングはかつてないほどの真剣さに満ちていた。
テーブルの右側には、高3の結が広げる大学の過去問集(赤本)と、音楽理論の分厚い専門書。
そしてテーブルの左側には、中3の蓮が取り組む定期テスト対策のプリントと、陸上部のトレーニング日誌。
「う〜ん! この和声法の課題、どうしても導音がきれいに解決しない〜!」
「結、声が大きい! こっちは歴史の年号が全然頭に入らなくてパニックなんだから!」
実は蓮、関東大会での激走が評価され、都内にある陸上の強豪高校から「ぜひ推薦で来てほしい」と声がかかっていたのだ。
スポーツ推薦が内定しそうなのは本当にすごいことなのだが、だからといって羽を伸ばすわけにはいかない。推薦を正式にもらうためには、学校の定期テストで一定以上の評定(内申点)をキープし続けなければならないからだ。
もともと走るのは得意でも、お勉強はちょっぴり苦手なタイプの蓮。
「走るのなら何キロでも耐えられるのに、なんで英語の文法はこんなに頭に入らないんだ……!」と頭を抱えながらも、目標の高校で思い切り走るために、まっすぐに机に向かってペンを握りしめている。
テレビのニュースでは、現在アジアツアー中のB:DASHが現地で大フィーバーを起こしている映像が流れていた。画面の中で何万人もの観客を熱狂させているレンくんの姿に、結と蓮は「レン兄ちゃんも遠い国で戦ってるんだから、僕たちも負けられないね」と大きく頷き合っている。
そんな二人を見守りながら、真ん中でママは静かにノートPCを開いていた。
「ふふふ……この物件、リビングが広くて日当たりも最高ね。地下に防音スタジオがあって、近くには大きな陸上競技場がある公園もあるんだ……!」
ママが画面に映し出しているのは、佐藤さんと一緒に厳選した『都内の厳選物件リスト』だ。
「ちょっとママ、僕が必死に赤点回避の勉強してる目の前で楽しそうに間取り図見ないでよ〜! 集中できない!」
「そうだよ〜! 引っ越し先の心配より、まず私たちがしっかり結果を出さないと意味ないんだからね!」
文句を言いながらも、二人の表情はどこか嬉しそうだった。
ママが楽しそうに提示してくれる「都内での新しい暮らし」という未来のイメージが、過酷な勉強に挑む二人にとって何よりのモチベーションになっていたのだ。
「結はね、都内の大学に通いながら、夜はライブハウスやスタジオで自分の音を磨くの。蓮は強豪校の陸上部で、休日は緑豊かな公園で思う存分走り込む……ほら、すごく素敵な未来が見えるでしょう?」
ママのほんわかとした声で語られる「予言」。
それを聞くと、どんなに難しい文法も過去問も、乗り越えるべき楽しいハードルのように思えてくるから不思議だ。
◇
週末、我が家にやってきた佐藤さんは、ずっしりと重いクリアファイルを取り出した。
「先生、ご要望のあった『防音性能とアクセス、周辺のスポーツ環境を兼ね備えた都内物件』の現地調査レポートを作成しました。管理会社への確認も完了しています」
「ほっとに! 佐藤さん、仕事が早すぎるわ……!」
間取り図だけでなく、最寄り駅から学校や競技場までの徒歩ルート、夜間の街灯の多さや防犯面まで完璧にリサーチされた資料。さすがは「影のマネージャー」佐藤さんだ。
「蓮くん、陸上強豪校への推薦を確実にするためにも、次の定期テストの評定は重要ですね。僕でよければ、数学と英語のポイントを教えてあげましょうか?」
「えっ!? 佐藤さん、本当!? 教えてほしい!!」
勉強が苦手な蓮にとって、教え上手の佐藤さんはまさに救世主! さっそく家庭教師のように優しく解き方を教える佐藤さんに、蓮は目を輝かせてかじりついていた。
「結ちゃん、蓮くん。君たちが全力を尽くして合格を掴み取ったとき、最高のスタートラインを用意して待っていますよ。だから今は、目の前の課題に集中してください」
「「はいっ!!」」
佐藤さんの頼もしすぎる言葉に、結と蓮の背筋がピンと伸びる。
家族全員の未来を包み込むようなあたたかい計画。
夜、静まり返ったリビングで、ママは新刊の原稿に向かいながら、ふと窓の外の夜空を見上げた。
「みんなで選ぶ未来は、きっと一番素敵な場所につながっているわ」
二人の机の上でシャープペンシルが鳴らすカリカリという音と、ママがキーボードを叩く軽やかなリズム。
それは未来のドアを叩く、愛おしい家族のアンサンブルだった——。




