第11話:『パスポートと紅茶と、ロンドンの予言』
【語り:真衣】
ママの体調も完全に復活し、玉木家のリビングには再び賑やかな毎日が戻っていた。
「よーし! ママ、新作の構想が固まってきた〜!」
緑のヨギボーに深く埋もれながら、ママがご機嫌にノートPCを開く。今回のテーマは『ロンドンに音楽留学している男の子の物語』。
「ロンドンの街並みとか、現地の空気感をもっと知りたいなぁ」とママが呟いた翌日。我が家にやってきた佐藤さんは、ずっしりと重い分厚いバインダーをテーブルに置いた。
「先生、どうぞ。ロンドンの主要エリアの地図、気候、地下鉄の路線図、それから現地留学生の生活スタイルをまとめた資料です」
「……えぇ!? 佐藤さん、これ自分で作ったの!?」
完璧にファイリングされた資料を見て、私と結は目を丸くした。写真や現地での豆知識までびっしり記載されている。まさに完璧すぎる「影のマネージャー」だ。
「先生の取材旅行と、B:DASHのライブ観戦を兼ねたロンドン行きの計画ですからね。事前準備は怠りません」
落ち着いた笑顔で紅茶を淹れてくれる佐藤さん。そこへ、変装したレンくんが飛び込んできた。
「薫さん! 俺もロンドンの現地の写真と、現地の音楽シーンの資料持ってきましたで!!」
対抗心を剥き出しにしてスマホの画面を見せるレンくん。
「レンくんありがとう。現地アーティストが通うライブハウスの情報かい? 助かるよ」と冷静に受け流す佐藤さんに、レンくんは「〜〜っ! このオッサン、隙がなさすぎる……!」と一人で悔しそうに髪を掻きむしっていた。
◇
そんな中、始まったのが玉木家の一大イベント『パスポート取得ドタバタ劇』だ。
「ちょっとママ! 申請書の渡航目的の欄に『息子の応援と妄想取材』って書かないで!」
「え〜?ほんとのことなのに? じゃあなんて書こうか?」
パスポートセンターに提出する書類を前に、リビングは大混乱。
証明写真の撮影では、ママが直前で笑ってしまって目が半開きになり撮り直し。結は前髪の角度を15分も気にし、蓮は「パスポートセンターまで走って行ったら何分かかるかな?」と見当違いな気合いを入れている。
「真衣ーーー! 戸籍抄本どこ置いたっけ!?」
「もう、さっき机の上に置いたでしょ!」
パニックになる私たちを、佐藤さんは温かい目で見守りながら「大丈夫ですよ、書類の確認は僕がしますからね」とテキパキとチェックしてくれた。
その夜。ママが新しく書き始めたノートの冒頭を読ませてもらった。
『雨のロンドン。夢と現実の狭間で迷う留学生の少年は、小さなライブハウスから漏れてくる日本の熱いビートに、固まっていた心が解けていくのを感じていた——』
それを読んだレンくんは、深く息を吐き、静かに拳を握りしめた。
「……薫さん。俺、絶対にロンドンで最高のライブやってきます。薫さんの物語に出てくる男の子みたいに、誰かの心を震わせるようなパフォーマンス、絶対見せますから」
「ふふ、楽しみにしておくね、レンくん」
言葉と夢が、ロンドンという未来に向かって力強く走り始めていた。




