第9話:『大人の余裕と、勝手なライバル』
【語り:真衣】
翌日の昼下がり。
午前中に仕事をやりくりしてくれた佐藤さんが、わざわざ自家用車でママを病院まで迎えに行ってくれた。
「ただいま〜! いやぁ、点滴って本当にすごいわね! すっかり元気になっちゃった!」
玄関を開けて入ってきたママは、昨日までの熱が嘘のようにすっかり元気に笑っていた。そのすぐ後ろから、両手に大きなスーパーの買い物袋を抱えた佐藤さんが、落ち着いた笑顔で入ってくる。
「先生、退院できたからって調子に乗らないでくださいね。先にスーパーに寄って、消化に良い食材とみんなの夕飯の材料を買っておきましたから」
「佐藤さん、本当にシゴデキ!お迎えだけでも助かったのに、お買い物まで……何から何までお世話になりっぱなしで申し訳ない!」
「いいんですよ。真衣ちゃんたちも昨日はお弁当だけめ満足にご飯を食べていないでしょう?これから僕が作りますから、真衣ちゃんたちは先生のことよろしくお願いしますね。」
佐藤さんは慣れた手つきでキッチンへ向かうと、スーツの上着を脱ぎ、エプロンを身につけた。
「ママ、病院から帰ってきたばかりなんだから、ちゃんと自分の部屋のベッドで横になってて!」
私と結がママの背中を押して部屋へ促そうとすると、ママは「えぇ〜」と子供みたいに口を尖らせた。
「だって、せっかくみんながいるのに部屋に一人でいるの寂しいじゃない。みんなの近くが良いの〜」
結局ママは譲らず、リビングのソファーに横になり、結が上からふわふわのブランケットを優しく掛けてあげた。
「ふふ、やっぱりリビングが一番落ち着くわぁ」
ソファーで満足そうに目を細めるママを見守りながら、佐藤さんは手際よく包丁を動かし始めた。出汁のいい香りと、トントントンというリズム良い音がリビングを満たしていく。
あっという間に出来上がったのは、ママのための「鶏ささみと三つ葉の優しいお粥」と、私たち子供たちのための「具だくさんの豚汁と鶏肉の香草焼き」だった。
「わぁ〜! 佐藤さんのお粥、料亭みたいに美味しそう! それに豚汁も!」
ソファーから身を起こしたママが目を輝かせる。佐藤さんは呆れつつも、すごく柔らかい表情でお粥の器をママに手渡した。
「先生、どうぞ。熱いので気をつけてください。それと真衣ちゃん、結ちゃん、蓮くんの分も出来ていますから、遠慮なく食べてくださいね。今週の先生の打ち合わせはすべて来週に延期しておきましたから、原稿のことは忘れてしっかり休んでください」
「えぇ〜、佐藤さん仕事が早すぎる〜。でもありがとう、いただきます!」
お粥を美味しそうに頬張るママを、佐藤さんは本当に愛おしそうに見つめている。その甲斐甲斐しい世話焼きぶりと包容力は、まさに完璧な大人の男性だった。
◇
「……失礼しまーす」
そこへ、変装用の帽子を深めにかぶったレンくんがやってきた。仕事の合間を縫って、薫さんの様子を見に飛んできたらしい。
「あ、レンくん! いらっしゃい」
「薫さん! 体調はどうですか……って、あれ?」
リビングに入ってきたレンくんは、手際よくキッチンを片付け、子供たちに「おかわりもあるからね」と声をかけている佐藤さんの姿を見てピタリと足を止めた。
「やあ、レンくん。昨日ぶりですね。先生ならお粥を食べて、今ソファーでウトウトしていますよ」
佐藤さんが爽やかな笑顔で声をかける。だが、レンくんの目はあからさまに警戒モードに入っていた。
「……佐藤さん、お仕事はいいんですか? 薫さんの看病なら、俺らでもできますけど」
少しトゲのあるレンくんの言葉に、佐藤さんはフッと大人の余裕漂う微笑みを浮かべた。
「お迎えのついでですよ。それに、先生は昔から無理をしがちだから、ちゃんと見ておかないと心配でね。レンくんもドームツアーの準備で忙しいでしょう? 無理しないでくださいね」
「……っ、俺は全然平気です! 玉木家のためなら何でも!」
むっと対抗心を燃やすレンくん。
だが、当のママは「ふぁ〜あ……佐藤さんのお粥おいしかったぁ……」と、ソファーの上でブランケットにくるまりながら、早くもスヤスヤと寝息を立て始めていた。食後に飲んだお薬が効いたのか、安心したのか、呑気なもんだ。
「ふふ、おやすみなさい、先生」
佐藤さんは優しくブランケットを掛け直すと、私たちに「じゃあ、僕は会社に戻りますね。何かあったらすぐ連絡してください」と言い残し、颯爽と去っていった。
その背中を見送りながら、レンくんは悔しそうに髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
「……なんなんのオッサン! 料理まで完璧すぎるやろ……! 薫さんにあんな顔されたら、やることないやん…!」
「ちょっとレンくん、声が大きいよ! ママが起きちゃうでしょ」
私が注意すると、レンくんは「だって真衣ちゃん! あの人絶対薫さんのこと……!」と訴えかけてきたが、それ以上は言えず、ガックリと肩を落としたのだった。
◇
その日の夜。
ママが熟睡し、家中が静まり返った頃。
レンくんと、陸上部から帰ってきた蓮の二人が、夜風の吹き抜ける縁側に並んで座っていた。手に持っているのは、冷えた缶コーラとスポーツドリンクだ。
「…レン兄、昼間佐藤さんとバチバチだったって結から聞いたよ」
蓮がニヤニヤしながらコーラを飲む。
「バ、バチバチじゃないし! 俺はただ、薫さんを心配しただけ!」
「ふーん。でもさ、佐藤さんって本当カッコいいんだよ。僕が小さい頃からママのこと助けてくれて、今日も僕たちの夕飯まで作ってくれてさ。……正直、本当の父親がああいう人だったらなって、たまに思ったりしたよ」
蓮の素直な言葉に、レンくんはハッとして言葉を詰まらせた。
「……そうか。蓮たちにとったら、佐藤さんは『理想のお父さん』なんやな」
「うん。でもね、レン兄」
蓮は缶を置いて、真っ直ぐな目でレンくんを見つめた。
「僕たちにとって、レン兄は『一番カッコいいお兄ちゃん』だよ。佐藤さんとはまた違う、特別な家族なんだからさ。……だから、変に焦んないでよ」
中2になって背も伸び、少し声が低くなった蓮の言葉。そこには、いつの間にか育っていた頼もしい男の顔があった。
「……蓮……お前、いつの間にそんな生意気なこと言えるようになったん」
レンくんは気恥ずかしそうにそっぽを向いたが、その口元は少しだけ緩んでいた。
「へへっ、陸上部で鍛えてるからね! あ、そうだレン兄、今週末の100mの予選、絶対自己ベスト出すから見に来てよ!」
「おう、当たり前でしょ! 俺もドームツアーで最高のパフォーマンス見せなきゃな!」
Wレンの拳が、カチンと静かに合わさる。
大人たちの秘めた想いと、成長していく子どもたちの絆。
静かな夜の縁側で、二人(Wレン)の誓いは力強く交わされるのだった——。




