第7話:アザレアの予感と、小さなファンレター
あの嵐のような逃亡劇から数週間。
季節は進み、キャンパスの街路樹もすっかり深緑の装いを見せていた。
「真衣ちゃん! ついに……ついに来たでーーっ!!」
講義前の静かな教室。
カバンを揺らしながら走ってきた吉野 琴音が、スマホの画面を私の目の前に突きつけてきた。
画面に表示されているのは、歌い手『YUI』の公式アナウンス。
映画挿入歌としての新曲『アザレアの予感』の配信リリースと、YouTubeでのMV同時公開の通知だった。
「ついに解禁や! 映画の予告でサビだけ聴いた時から鳥肌止まらへんかったけど、フル尺とMVは今日が初解禁なんよ!」
「そうなんだ。琴音、まずは落ち着いて。まだ講義まで時間あるから、一緒に聴こうか」
私は自分のカバンからイヤホンを取り出し、片方を琴音に手渡した。
(……実は、完成した音源もMVのチェック動画も、我が家のリビングで結とママと、ついでにWレンも一緒に一足先に見ちゃったんだけどね)
心の中で静かに苦笑しつつ、二人でひとつのイヤホンを分け合い、再生ボタンを押す。
◇
ピアノの静かなイントロから始まり、YUIの透明感あふれる歌声が鼓膜を揺らす。
『夕暮れの改札口 人波に消える影 伸ばしかけた手と、零れ落ちた言葉』
『すれ違う足音のなかで 君が振り返る理由を 私はまだ知らない——』
あの夜、我が家の緑のヨギボーに深く埋もれ、大好きなミルクティーを飲みながら私が書き上げた歌詞。
結が心を込めて歌い上げ、あの日レンくんが連れて行ってくれたレトロな喫茶店『カフェ・ド・ミモザ』が、情緒あふれる美しい映像となってMVの中に広がっていく。
曲が終わると同時に、琴音はぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。
「……すごすぎるわ。言葉の一つひとつが、胸の奥の柔らかいところにスッと染み込んできて……切ないのに、すごく温かい気持ちになる……」
琴音は目元をハンカチで拭いながら、しみじみと呟いた。
「ミモザ様って、きっとすごく優しくて、人の痛みがわかる人なんやろな。幼い頃の記憶とか、言えなかった言葉とか……そういうのを全部包み込んでくれるような歌詞やもん」
琴音のその言葉に、胸の奥がキュッと締め付けられるような、あたたかい愛おしさが込み上げてくる。
幼い頃、場面緘黙ぎみで自分の気持ちを上手く話せなかった私。
母の薫がくれたノートとペンから始まった「言葉」の世界。
今、自分が紡いだ言葉が、目の前で大好きな親友の心をこんなにも揺らしている。
母譲りの「予言」の不思議さに驚かされることもあるけれど、作詞家「ミモザ」として言葉を紡ぎ出して本当によかったと、心から思えた瞬間だった。
「……ありがとう、琴音。ミモザさんも、琴音にそう言ってもらえたら絶対に嬉しいと思うよ」
「へへ、真衣ちゃんに言われると、ほんまにミモザ様に届いてる気がするわ!」
涙を拭いた琴音は、カバンの中から一通の可愛らしいピンク色の封筒を取り出した。
「実はな……真衣ちゃんにお願いがあるねん」
「お願い?」
「これ……ミモザ様へのファンレター。レン様たちが『チーム・ミモザ』の関係者なんやったら、次の機会に、そっと手渡してもらうことってできへんかな……?」
少し照れくさそうに、けれど真剣な瞳で差し出された手紙。
そこには丸っこい琴音の文字で『ミモザ様へ』と書かれていた。
「……うん。絶対に、責任を持ってミモザさんに渡してもらうね」
「ほんま!? ありがとう真衣ちゃん! 大好きやでー!」
手紙をしっかりと受け取り、カバン中のクリアファイルに仕舞い込む。
(……今日の夜、家に帰ったら自分の部屋でそっと読ませてもらうね、琴音)
親友からの真っ直ぐな想いが詰まった手紙の重みを感じながら、私は静かに微笑んだ。
母・薫が緑のヨギボーから紡ぎ始めた言葉の奇跡は、今、作詞家「ミモザ」としての私へ、そして大切な仲間たちへと、確かに受け継がれて広がっている。
「さ、琴音。もうすぐ講義始まるよ」
「は〜い! 今日もミモザ様の曲聴きながら頑張るで〜!」
爽やかな初夏の風が吹き抜けるキャンパス。
私は親友と並んで歩き出し、新しい物語の1ページを静かにめくるのだった。
(玉木真衣編・完)




