会えなかったことを悔やむ男
約束の場所に行けなかった。
彼女に謝らなければいけないと思ったが、今となっては、それもできない。
何故なら、自分は死んでいるからだ。
思い出すのは診療室でのやりとりばかり。
患者と医者なのだから当たり前だ。
カルテに書き留める為に容態を聞くと大丈夫ですと頷く。
「本当に、大丈夫ですか。痛みはありますか」
十代の怪我や骨折なら治りも早いだろう、だが、成人友なるとそうは行かない。
「少し、痛みがあります」
「ひどくはないんです」
少し、きまり悪そうな笑いで答える。
それを自分は可愛いと思ってしまった。
病室だけでしか会うことがない、だが、偶然、姿を見たことがあった。
専門書もある大型書店で、声をかけようと思った。
「体調はどうですか」
だが、熱心に本を見ている横顔に声をかけることができない。
気になってしまった、彼女が立ち去った後、何を見ていたのか気になって、棚の前に行ってみた。
棚に並んでいるのは専門書ばかりだ。
どうして、こんな本を見ていたのかと不思議に思う。
医学書、それも自分が専門とする分野ばかりだ。
あの日、映画の試写会のチケットがあると言われた時。
内容は医療関係、明るい内容ではないし、友人を誘うのも躊躇ってしまう。
「先生、もしよければ」
誘われた時は驚いた、何故、自分を誘う、理由がわからない。
もしかして、頭の中によぎった、まさか、そんな筈はないと思ってしまう。
映画の内容が医療関係ならと、行くことを了承すると彼女は笑った、嬉しそうに、安堵した表情だった。
断られることを予感していたのか、それとも……。
あなたは、もしかして、父親ほども歳の離れた男に対して。
診療室での会話を思い出す、やりとりを。
だが、全ては終わった後、待ち合わせの場所に行けなかった。
すみませんと謝ることもできない。
過去のことなのだ。
「カイゼルは、あんたのこと、平民じゃないと見抜くぞ。だから会話のやりとりは俺に任せてくれ」
宿の主人はアイザックに何度も念を押した。
「わかっている」
「あんたのことは信用している」
意味深な言い方だとアイザックは思った。
「ここだけの話だ、少し前、愛妾が他国の王を怒らせたらしいな」
アイザックの顔が曇った。
「商人たちが、ぼやいていた。絹や特産品の取引先に支障が出たと」
「仔細を知っているのか、皆」
「隠せると思っているのか。商人にとって商売の取引が、どんなに大事か、あんたなら、わかるだろう」
死活問題だと言われてアイザックは頷いた。
「一部では国を離れる商家もでるんじゃないかって」
そこまでか、アイザックは顔を曇らせた。
家の前まで来たアイザックは畑を見た、野菜は青々と育っている。
「ここの畑の野菜、凄くうまいんだ」
「食べたことが」
言いかけたアイザックだが、そうか、色々手伝ったお礼にあの芋をもらったと言っていたことを思い出した。
「うまかったか」
「ああ、街で売っている野菜とは違う」
思い出したようなに男は笑った。
「実は、ここの芋がうまいから、もらったやつを自分の畑に植えた人間がいたんだ。金になると思ったらしい」
アイザックの表情が変わった。
「だが、諦めたらしい」
「何故だ」
畑に植えて実がなれば、その芋が美味く売ることができれば生活が潤うとアイザックが思った。
「夜中にブラックボアが来て畑の芋を掘り起こして食った」
返事ができなかった。
「他の農作物、野菜には目もくれず、芋だけを食ったんだ」
男は笑った
「あいつらは鼻がいい。うまいものを嗅ぎ分ける鼻を持っているんだ」
「カイゼル、いるか」
大きな声で呼ぶとドアが開き、顔を見せたのは黒髪の女だ。
アイザックはどきりとした、遠目からでも目立つがこうして間近で見ると綺麗な女だと思った。
顔を合わせているので女は笑いながら、どうぞと二人を招き入れた。
「すまないな。実は、この間もらった山で採った芋、こいつが凄く気に入ってな」
アイザックをジロリと見た後、カイゼルは宿の主人を見た。
バレたと主人は思ったのだろう。
そのとき。
「少しありますよ。食べますか」
カイゼルが、わずかに顔をしかめた。
だが、しばらくして女が台所から戻ってきた。
「香草と塩水に漬けているんです。一週間たっているから味も馴染んで美味しくなってていると思います」
「へえっっ、どれ」
皿から短冊に切った芋をとり、口に入れた男の表情が変わった。
「塩だけのもいいが、これは酒のつまみだな。うまいぞ」
食べてみろと言われ、アイザックも一本、手に取り口に運んだ。
塩気だけではない香草の香り多少、油もあるのだろう。
今まで食べたことのない、これは珍味だと思った。
「山芋が欲しいんですか」
美也が二人に尋ねた。
「お願いしたいことがあるんです」
「おっ、なんだ、取引か」
「左官屋、鍛冶屋でもいいんです。鉄の筒が欲しいんです」
男が不思議そうな表情になった。
そんなものを何にするのか使う目的が分からないのかもしれない。
「山芋を育てようかと、カイゼルさん、凄く気に入ったみたいで」
アイザックと男の表情が変わった。
「駄目だ」
突然叫んだのはカイゼルだ。
「畑で育てようなんて思っていません」
女は笑った、それではどうやって育てるんだ。
「実は今日、森に行こうと思っていたんです。ベリーの接木の様子も気になるし」
カイゼルは顔を曇らせた二人に聞かせたくない話だと思ったのかもしれない。
「ベリーを育てているのか、赤い実のやつ」
「実がなるまでは時間がかります。今、食べてる山芋だって、数年、五年ぐらいだと思うんです」
三人の男は無言になった、畑の作物の倍以上の年月がかかっている。
「根菜、山の植物って時間がかかるんです。見つけられたのは運が良かったんです。ウリ坊に感謝しないと」
ウリ坊、なんだ、それは。
ごほんと咳払いがした。
カイゼルは男とアイザックを見た。
「悪い、男三人だけで話がしたい」
「あっっ、はい。洗濯してきますね」
部屋の中には男、人だけになった。
「あんた誰だ、貴族、城の人間か」
「カイゼル、この人は」
言ってもいいか、宿の主人はアイザックを見たあと隠せないと思い呟いた。
「宰相だよ」
カイゼルの顔色が変わった、だが、その場に膝をつこうとしたが宿の主が止めた。
「足、まだ痛むんだろう」
「ああ、折れたわけじゃないが。数日は動かすなと」
「彼女が全部やってるのか。畑仕事もか。お前のところの野菜は獣に食われたりしないのか」
カイゼルは無言だが、静かに口を開いた。
「食われたことはない、そう言ったら不思議に思うのか」
何か理由があるのかとアイザックは思った。
「野草を植えてる。獣が好まないやつだ」
「そうなのか、だったら街の畑で植えても大丈夫じゃないか」
カイゼルは首を振った。
「森の野草を持ってきて植えてるんだ。炭の粉、土、色々なものを混ぜて」
「それを、彼女が?」
「聞いてもいいか」
宿の主人が尋ねた。
「ウリ坊ってなんだ、生き物か」
カイゼルの顔が聞くなと言いたげに曇った。
話したくないのが一目でわかった。
宿の主人が頭を下げた。
「この男も苦労しているんだ」
「だろうな。女好きの主君を持つと大変だ」
アイザックは驚いた、いや、自分の主君の至らなさを改めて実感した。
「ウリ坊って言うのは彼女の国の言葉だ。ボアの子供だ」
主人だけではない、アイザックもだ。
何を言っているのか、すぐにはわからなかったのだろう。
ボアの子供、まさか、ブラックボアの子供のことか?
「大人と違って好奇心が旺盛だ。小さいが、本気でぶつかってきたら、怪我では済まないぞ」
「大丈夫なのか」
主人は驚いた。
「ボアの子供が掘っているところを彼女が見つけて。近くに自生しているだろうと芽を見つけて掘ったんだ」
アイザックだけではない、主人も驚いたようだ。
「芋の芽なんてわかるのか」
「難しいだろうな。木に絡まっているツルを探しても途中で切れて、枯れているだろう。それを根気よく、地面まで辿って」
「山芋、育てるのか、鍛冶屋に立て頼んでも」
主人の言葉にカイゼルは無言だ。
多分、ここで断っても、彼女は、自分を通さず頼むかもしれない、そんなことを思ったのかもしれない。
「金は俺が出す」
カイゼルの言葉に主人は無言になった。
「いや、それより野菜を分けてくれないか。あと山芋が採れた時でいい、オヤジに食わせたら気になった」
カイゼルは驚いた。
「他所の国なら魔法やポーションなんてもので元気がるんだろうが。あれは一時的なものだし、金もかかる」
確かに、カイゼルだけでないアイザックも考えた、他国では呪術、ポーションが普通に利用されて当たり前だ。
だが、全ての国が、そういうものを使える、知っているというわけではない。
「お前、自分の畑で育つ野菜の価値が分かっているか」
聞かれて、カイゼルはすぐには返事ができない。
だが、心の中では、分かっていると言いたかった。
白いふわふわとした綿帽子のようなもの。
子供のような声、あれは最近になって昼間でも見えるようになった。
野菜の成長がはやくなっているは、あれが関係しているのだと思った。
だが、そのことを話すつもりはなかった。
宿屋の主人だけなら……だが、国の宰相が。
最初は何か悪いものではないかと不安を感じていた、だが、ときには自分に話しかけてくることもある。
「ここ、掘って、もっと深く耕してエエッッ」
「お水は少なめにしてね」
「日よけをしてね。葉っぱが焼けちゃう」
驚いたのは彼女には、これが……。




