聞けない言葉、王と宰相は盗み聞きする
カイゼルは思い出した、去っていった元妻を。
思わず、目の前の女と思わず比べてしまう。
あの女は常に上を見ていた。
少しでも余裕ができれば、綺麗な服がほしい、立派な家に住みたい。
薄汚い農村で泥にまみれて暮らす事に対して不満を抱いていた。
そして最後にはいなくなった。
追いかけようという気にはならなかった、どこかでほっとした自分がいた。
だが、眼の前の女はどうだ。
鍋ひとつで嬉しそうに笑い、自分を気遣う。
無欲さと優しさが心に染みるほど、過去に心に受けた傷痕が疼く。
この生活が、いつまで続く、側にいてくれるのか。
ここにいてくれるのかと返事を聞くのが怖くて言い出せない。
「俺の顔の傷、気にしないんだな」
思わず聞いてしまった、すると美也は、どこか寂しそうに笑った。
「私の国でもいました」
自分に似た人間がいたのか、知り合いだろうか。
男、女、家族、友人、もしかして。
答えを聞こうと言いかけて、カイゼルは言葉を飲み込んだ。
聞いてしまえば終わってしまうかもしれない、以前とは違う、この日々が。
臆病な己を呪いながらも、深く踏み込むことができなかった。
「行きますか、森の近くです。護衛をつけたほうがよかったのでは」
アイザックの言葉に迷いながらも、王は近くまで見に行こうと言葉を続けた。
今、ここで帰ってしまえば次に来るのがいつになるかわからない。
城を抜け出すのも簡単ではない。
今頃、自分が城を抜け出したことはバレているかもしれない。
「アイザック、今、帰ってしまうのは簡単だ」
気持ちがわからないでもない。
「わかりました。ただし、家の近くまでです」
「あそこですね」
しばらく歩いて、一軒家が見えてきた。
「もしかして、会うつもりですか」
「ここまで来たんだ」
王は意を決したように家の近くまで歩く。
家の周りの畑を見て驚いた。
芋、トマト、葉や茎が青々として大きく育っている。
「これは野菜か」
王は驚いた。
「そのようです、でも」
「城で出されるトマトとは違うようだな、小さいぞ」
「ですが、色が濃いです」
「食べてもいいだろうか」
アイザックが止めようとしたときだ。
王が思わず声をもらした。
「どうしました」
伸ばした右手から細かい傷、血も滲んでいる。
「棘だ」
王は驚いた声だ。
「棘、ですか?」
アイザックも驚いたようだ。
その時だ、アイザックが気づいた。
「王、誰か、帰ってきたようです」
隠れるか、立ち去った方がいいか、二人は悩んだ。
「会おう、話が聞きたい」
「いえ、駄目です」
アイザックは首を振った。
二人は家の影に隠れて様子を見守った。
「夕飯はトマトのサラダにしませんか」
女の柔らかな声に二人は驚いた。
「ああ、幾つ食べる」
「熟しているものは食べないと味が落ちますよ。棘に気をつけてください」
「街のトマトは棘なんてないぞ」
カイゼルの言葉に女は笑った。
「水をあげすぎなんですよ」
美也の言葉にカイゼルは驚いた、意味がわからない。
作物を育てるには水をたっぷりやらなければ駄目だろう、そう思っていたからだ。
「大きいトマトが食べたければ、それでもいいんです。でも水や肥料をたくさんあげると美味しい野菜ができるってわけじゃないんですよ」
(……水をあげすぎている、だと……?)
アイザックは驚いた。
宮廷では水と極上の肥料を、たっぷり与える、それが大きくて味の良い野菜を作る秘訣だ。
自分は書物で学んだつもりだった。
「水と肥料を減らして育てると植物が種や実を作ろうとする、見極めが難しいんですけど」
カイゼルは頷いた。
「昔、祭りで城の料理人が野菜の料理を振る舞っていた、だが、そのトマトより」
アイザックの知性が揺さぶられた。
顔に傷のある男は最後まで言葉を口にしない、だが表情で分かってしまった。
眼の前の畑の野菜が街で売られている、城の料理人が提供したものよりうまい?
そんなことがあり得るのか。
「干し野菜を作りませんか、カイゼルさん、いつでも食べられますよ。作物が育たないときでも、トマトや茄子、芋だって半年一年ぐらいもちます」
「そんなに?」
カイゼルは驚いた
一年中、季節を問わず野菜が食べられる、そんな事、考えたことがなかった。
だが、この会話に驚いたのは隠れて聞いていた二人もだ。
城への帰り道、歩きながら王とアイザックは無言だった。
トマトに棘があること、干し野菜を作れば、いつでも食べられる。
寒い冬でも野菜が食べられる。
そんなことを考えもしなかった、この国に呪術や魔法など存在しない。
それだけに女の言葉は驚きだ。
「黒髪だった、あの女」
「はい、珍しいですね」
「この国では見たことのない色だ」
「他所からきたのでしょう。陛下、何を考えているか当ててみましょうか」
すぐには返事ができなかった。
「愛妾にしたいと思っているのでは、それだけはやめてください」
「何故だ」
「今まで何人の女を妾にしてきました」
返事はない。
「俺を愛しているわけではない、贅沢な暮らしができるから、愛しているふりをしているだけだ」
「そうですよ、国の王で金と名誉があるから従っている愛しているふりをしているだけです」
アイザックの辛辣な言葉。
もし、ここが城の中なら聞いていた貴族たちは怒って、死刑にしろと言いかねない。
「あの男の前妻がいなくなった理由は街の人間も知らない、貧乏が嫌だったのか、男の顔の傷に耐えられなかったのかもしれません」
「それは」
「ひどい傷です、でも、男に笑いかけていた、夕飯は何にしますと声をかけていた」
アイザックの口元には皮肉な笑いが浮かんでいた。
王の身勝手さに嫌気を感じていたのかもしれない。
「贅沢な鳥籠の中で、あなたの財布と権力だけを愛しているふりをしている愛妾たちと、あの女を比べること自体が、根本的に間違っています」
現実をつきつけられた、剥き出しの辛辣な正論に王は無言だ。
何を言えば良いのかわからなかったのかもしれない。




