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第五五話 過去編「マリナの言葉」


 勇者がアイエルツィアの教会に帰還したとき、執務室にいつもいる教皇の姿がなかった。複数名いる秘書官のひとりが執務室に残っており、今は謁見の間にいると告げられた。


 謁見の間とは執務室と違い、教皇が公の立場で指令や、文字通り外部の者からの謁見を受ける場である。つまり、現在教皇は外部から謁見を申し立てられているか、何かしら、公式に発言しなければいけない状況にあるということだ。


 謁見の間には教皇の他、枢機卿や一部の大司教など、ハイリアの政治を取り仕切る代表者たちが集まる。そこにいる人々はすでに勇者の存在を知っている人物たちだ。


「ちょ、お待ちください勇者様!」


 で、あれば当然勇者は謁見の間へと直行する。随伴する二名の騎士は公の場で勇者が何かやらかさないかと必死になって勇者を止めようとしたが、騎士二名程度の妨害が効く勇者ではない。騎士を振り切った勢いで、謁見の間に通じる大扉を軽々と開ける勇者。


「ただい……ま……」


 扉を開けると同時に突き刺さる数多の視線に、さすがの勇者も自分が場違いであることを知る。だが、それよりも先に目に入った光景に、勇者は驚いた。


「あれ、フリーダにマリナ? どうしたの?」


 謁見の間では、フリーダとマリナが教皇の前にひざまずき、何かを話している途中だった。


「丁度よい、勇者よ。そなたは今後、私の言うことを聞き続けることに異論あるか?」

「え? そりゃあ、別にないけど」


 謁見の間に突如現れた勇者に驚くこともなく、淡々と教皇が疑問を投げかける。その問いに、勇者は隷属の首輪の効果もあり、平然と答えた。


「恐れながら教皇猊下、勇者は現在、猊下が安全装置として取り付けた隷属の首輪の影響下にあります。その質問は……」

「意味がない、か?」


 フリーダが教皇の言葉に首肯する。そう、教皇ルドルフは勇者に隷属の首輪をつけたことを、いざというときの「安全装置」だと公言しているのだ。


「隷属の首輪はそう完全なものではない。勇者自身がそれを命令だと思わなければ、隷属の効力自体無くなってしまうのだから」


 それは先日教皇自身が体験した失敗談だった。現状においても、勇者は隷属の首輪の効果を自覚しておらず、自分の言われたことが命令だと感じなければそれを実行する強制力は働かない。


「発言をお許しください」


 フリーダと共に跪いていたマリナが発言の許可を教皇に取る。


「よい、許す」

「ありがとうございます」


 頭を下げていたマリナがスッと顔を上げる。その瞳は普段勇者に見せる優しげなものとは違い、毅然として力に満ちていた。


「勇者様の隷属の首輪を、外していただくことはできませんか」

「ほう、何故だ」

「勇者様はひとりの人間です。その意志を捻じ曲げる隷属の首輪は、勇者様の成長に著しく影響を及ぼすと考えらえます」


 勇者は近年の研究で、魔王に対して世界が生み出すカウンターとしての生命、いわばもう一人の魔王であることが知られている。ハイリアではそんな勇者に対して、安全装置として隷属の首輪をかけることは間違っていないと主張する者と、ハイリアの主教である勇使教、その崇拝対象である勇者に隷属の首輪をかけるなど許されないと主張する者がいる。


 マリナはそのどちらの派閥でもない。だが、勇者という存在と一人の人間として触れ合っているため、勇者の人権的立場から隷属の首輪を使用するべきではないと主張しているのだ。


「ほう、私の命令は勇者の成長にはつながらない、あまつさえ邪魔になると、お前はそう申すのか」

「そ、そうではありません! 勇者様には勇者様のお考えがあるのでは、と。それを教皇様の命令で捻じ曲げてしまうのは……」

「ならば問おう。私が勇者に命令をすることに、何か問題はあるか?」

「それは――」

「勇者とは魔王の対になる者。その勇者に、人族の利となる命令をすることに問題はあるか? ハイリアの最終決定権を持つこの私が、勇者の行動を決定することに、何の問題がある」


 教皇の声は決して大きくはない。だが、そこに込められている感情が明確な「怒り」であることは誰の目にも明らかだった。教皇が勇者の行動を決定するのは当然のこと。あまつさえ、現在教皇にもの申しているのはどこの誰とも知れない、一介のメイド風情だ。


 ここで退けば、何の問題もなかったのかもしれない。


 勇者はただ魔獣を殺し、魔族を殺し、いずれは魔王をも討伐し、人族には平和がもたらされる。そんな運命が、この先には待っていたのかもしれない。


 だが、その未来には勇者の幸せは待ってはいない。勇者を一人の人間として見続けてきたマリナが、それを良しとするわけがなかったのだ。


「――問題だらけです」

「なに?」

「問題だらけだと言っているのです!」


 マリナの声は謁見の間にこだまし、そこに集う人々を驚かせた。感情をあらわにしたマリナは教皇の前に立ち、一歩踏み出した。


「マリナ、堪えろ」


 フリーダがその肩に手を置く。このままマリナを暴走させてはいけないと、教皇のそばにいて長いフリーダは直感していた。だが、すでに言葉を紡ぎ始めているマリナに、そんな制止は効かなかった。


「あなたは、勇者様が毎日笑顔で、わたしにどんな報告をしてくるか知っていますか⁉ 今日は魔獣を殺した、今日は魔族を殺したと、人の役に立ててよかったと、そう笑顔で言ってくるのです!」

「それの何が問題だと聞いている」

「まだわかりませんか⁉ 命の尊さを、勇者様は知らぬまま過ごすのです! 確かに私たちは今、魔族と戦争をしています。戦争とは、殺人が正当化される、もっとも狂った世界です。それを普通だと認識してはいけないのです!」

「勇者は何のために存在している! 魔王のカウンター、つまりは魔族を滅ぼすためだ!」


 ついに教皇が取り繕うことを止め、その口調が乱暴なものへと変化する。だが、マリナはそれでも一歩も引くことはなかった。


「違います、確かに勇者様は大きな力をお持ちです。ですが、それ以外は私たちと何も違いはしないのです、私たちと同じ人間なのです! 普通の日常を送り、普通の幸せを享受する、そのために勇者様は生きているのです!」

「貴様の価値観を勇者に押し付けているだけだ! 勇者自身が幸せだと感じているのなら、ただ人族の役にだけ立っていればよい!」

「その幸せを決定づけるのが日々の生活なのです! 魔族を殺し、魔獣を殺すだけの生活では、何を幸せに思っていいかわかりません! いい加減、あなたの我儘から勇者様を解放してください‼」


 その言葉を言い切った瞬間、謁見の間には一瞬の静寂が訪れた。


「我儘、だと」


 静寂を破るのは教皇。その声音には、今までにはないほどの怒気がにじんでいた。


「――っ、そうです」


 さすがのマリナも、教皇の声音に恐怖を覚える。だがそれも一瞬だ。一瞬の後に、恐怖は勇者を想う心に打ち消される。


「教皇猊下の魔族への憎しみは十二分に理解しております。ですが、それに勇者様を巻き込まないでください」

「マリナ……」


 勇者が、己の居場所を探し求めるようにマリナのすぐそばまで歩み寄る。


「多分だけど、おれのために怒ってくれてんだよな」


 勇者がそのあどけない表情をマリナに向ける。


「ありがとな、やっぱおれ、マリナがいてくれてよかった」

「勇者様……」


 勇者が隣にいることで、マリナは極度の緊張状態から解放されたのだろう、その場にへたり込む。そして言うべきことは言い切ったと、笑顔を勇者に向けた、その時だった。



「勇者よ、そのメイドを殺せ」



 その言葉は静寂に包まれた謁見の間の中で、良く響いて聞こえた。


「私の気持ちが理解できるだと? 戦場に出たこともなく、家族の情も知らぬ小娘に、私の何がわかるというのだ。不敬罪だ。この場で処刑しろ」

「お待ちください猊下! 今の命令を撤回してください!」


 フリーダが慌てて教皇に歩み寄るが、教皇は見るものすべてを敵とみなすほどの目つきでフリーダを睨みつける。


「殺すって、なに……?」

「勇者――!」


 勇者は、今の命令が理解できない――いや、理解することを拒むようにそうつぶやいた。


「殺す、ころ……す?」


 ただ茫然とそうつぶやき、己の手を見る。その手は自然と、マリナの方へと向かう。


 勇者にとって、殺すことは日常だった。召喚されてから今まで、何かを殺さない日はなかった。そんな当たり前のことであるはずなのに、勇者の意思は、殺すことを拒み続ける。


「いやだ、嫌だ……!」


 そう言って首を振る勇者のすぐそばに、教皇が歩み寄る。そして耳元に顔を近づけ、確認するようにゆっくりと呟いた。


「殺せ」

「いやだああああああああっ‼」


 隷属の首輪が、今までにないほどの光を放つ。この場にいる全員が目を背けるほどの光。それはフリーダも教皇も例外ではない。そして光が収束したその場所には――、


「あ、ああ……」


 左胸を貫かれたマリナと、血に濡れた自分の右手を見下ろす勇者の姿があった。



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