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第五三話 過去編「名前」


「聖女様」

「公の場以外でその呼び方はやめてくれる?」

「は、申し訳ありません、フリーダ様」


 勇者のそば付きのメイドが、フリーダを呼び止めていた。


「堅苦しいのは抜きでいいわ。それで、勇者の話?」

「……はい」


 メイドの話は簡潔に言うと、教皇の命令が勇者の情操教育に良くないのでは、と言う話だった。


「教育……ね」

「私のようなものが勇者様の教育についてお話しするなど、分不相応であることは承知しています。ですが……」

「いえ、いいわ。確かにあのバカ勇者には教育が必要よ。じゃないと……」


 ただ何かを破壊する。それだけの化け物になりかねない。そうフリーダがこぼすと、メイドもその表情を険しくして頷いた。


「教皇猊下に、進言することはできないのでしょうか」

「難しいでしょうね。教皇はむしろ、勇者を殺戮の道具とすることを目指している節さえある。自分の言うことだけを素直に聞く、そんな化け物に」

「そんなこと、あってはなりません!」


 フリーダの言葉に拒否反応を示すように、メイドが大声を上げる。


「申し訳ありません、フリーダ様……」

「いえ、いいのよ。あなたの不安は理解できるわ」


 するとそこへ、ちょうど任務を終えたばかりの勇者が帰ってきた。


「フリーダ?」


 そして聞きなれぬ単語を、何の意味かと聞き返す。


「そういや、あんた、固有名詞ってものに触れてないわね。フリーダと言うのは私の名前よ」

「名前、せいじょじゃなかったんだな」

「聖女はそうね、役職みたいなものよ。ちなみに、教皇もメイドも名前じゃないからね」

「じゃあ、教皇は何て名前なんだ?」

「教皇様はルドルフと言う名前でいらっしゃいます」

「じゃあメイドは?」


 ラウルがメイドの目を正面から見据えて尋ねる。自分の名を尋ねられていることに気付いたメイドは「私の名前など……」と恐縮した態度を見せるが、フリーダが「教えてやりな」と背中を押すことで落ち着いた。


「私は、マリナと申します」

「へえマリナか。フリーダもだけど、きれいな響きだな」

「あんた響きとかわかるのね」


 フリーダが呆れ半分、関心半分でつぶやくと、「あれ?」と勇者が自分を指さした。


「おれの名前は、ゆうしゃ?」

「勇者様のお名前は……」

「勇者……ではないわね」


 歴史的に見れば勇者の名前は初代の勇者「レナード」になるのだろうが今の勇者と歴史上の勇者が同一人物であるという確証はない。


「じゃあ、おれって名前ないんだ」


 どことなく落ち込んだ様子を見せる勇者だったが、それをマリナが元気づけようとした、その時だった。


「あ、じゃあさ。マリナがおれの名前つけてよ!」

「え、ええ⁉ 私などが勇者様のお名前を⁉」

「いーじゃん、おれもマリナに付けてもらったらうれしいし」


 マリナはこの場の最高責任者であるフリーダの方を仰ぎ見るが、フリーダもどうでもよくなったのか、ため息交じりに「いいんじゃない」と答えるだけだった。


「そんな、どうしましょう」


 日常会話からいきなり重大事項を決めることとなり、慌てふためくマリナだったが、勇者はそんなこと気にせず、


「楽しみにしてるから!」


 と私室へと駆けていった。



 勇者が魔族を見逃して以降、アイエルツィア周辺で魔族の目撃情報が増えていた。逃した一人だけではなく、グループで活動していると思しき被害状況も確認できている。


「勇者よ、お前が逃がした魔族が起こした被害だ。この責任はお前にあると知れ」

「責任って、おれのせいでこんなことが起こってるってことだよな」


 教皇が勇者に非難の視線を向ける。勇者は居心地が悪そうに体をひねり、まるでその視線から逃れたいようだった。マリナから教わる慈しみにあふれた言葉と、教皇から向けられる冷たい命令の言葉、その二つの間で板挟みになっている勇者には、一体どっちの言葉を信頼していいのかわからなくなっていた。


「今回こそは魔族を目撃し次第全員、抹殺してくるのだ」

「まっさつ?」

「見つけた魔族は全員殺してこい」

「ん、わかった」


 隷属の首輪の効果もあり、教皇のかみ砕いた命令を実行するように、ラウルはアイエルツィア周辺のパトロールを開始する。そして見つける、人族とは違い、肌が浅黒く、耳がとがり、肌を露出する軽装に身を包んだ魔族。相手は勇者の存在に気付いていない。今ならば安全に殺せる。


「――っ」


 そのはずなのに、勇者は戸惑った。メイドの、マリナの悲しむ顔がふと脳裏をよぎったのだ。だがその瞬間、隷属の首輪がほのかに光る。勇者は見えない力に後押しされるよう

に足が動き、その手は自然、聖剣の柄に伸びていた。


「ふっ」


 鞘から解き放たれた瞬間、聖剣は岩を切り出したような大剣へと変貌する。そして、抜刀の勢いのまま勇者は魔族の命を刈り取った。


「んーなんか、すっきりしない」


 それはマリナの顔が浮かんだからか、あるいは勇者にとって不意打ちという戦術を取ったのが初めてだったからだろうか。今まで勇者は魔獣との戦闘が主だった。正々堂々という言葉は魔獣には通用しないが、勇者は生まれながらの強者であるが故か、常に正々堂々という言葉が似合う戦闘しか体験してこなかった。


「こんなんでいいのかなぁ」

「問題ありません、勇者様。魔族は現在、我々の敵ですので」


 随伴の騎士が勇者にそう告げる。


「敵って、どういうこと?」


 その疑問を勇者が抱くのは当然のことだった。今まで教皇の命令で魔獣を狩ってきたが、魔獣を放置すれば人族が襲われるというのは肌で感じとれることだった。だが魔族が人族の敵、と言うのは直感では理解できないことでもある。


「現在、魔族と人族は戦争状態……つまり、喧嘩している状態であります」


 随伴の騎士が勇者にもわかるよう言葉をかみ砕き説明する。


「それって、仲直りできないの?」


 勇者の口から自然と仲直りの言葉が出てきたのは、マリナの日ごろの接し方のたまものだろう。教皇からの命を受けるだけの勇者ではありえなかった反応だ。


「仲直り……できればいいのですがね」


 言いよどんだ騎士の口調で、勇者でもそれが難しいことなのだと分かる。


「自分にも、魔族の友人がいました。けれどフルーフ・ケイオスで暴走し、とどめを刺したのは、自分の部隊でした。一刻も早く、こんな戦争、終わってほしいものです」


 切実なるその騎士の願いは、勇者がこの場にいる限りはかなわない願いでもあった。



 その日の報告の場でのことだ。


「なんで魔族とは仲直りできないの?」


 勇者は、あろうことか教皇の目の前でその発言を繰り出した。いや、勇者にしてみれば、それは当然の判断だった。現場の騎士に聞いてわからないことなら、もっと偉い人間に聞いてみる。その思考回路に間違いはなかった。ただ、その相手が魔族排斥を目的としている国のトップでなければ、の話だ。


「仲直り、だと?」


 教皇の声音はひどく冷めていた。


「だれだ、そのような世迷言を抜かしたのは」


 教皇が、今日勇者に随伴した二名の騎士を睨む。


「えっと、こいつと。魔族と仲直りできたらいいのにねって」


 勇者が、己の右後方にて頭を垂れている騎士を指す。その場に居合わせたフリーダがまずいと判断し、口を開こうとした、その瞬間だった。


「勇者、その者を殺せ」

「え、うん」


 隷属の首輪が光る。そして勇者は躊躇うことなく右手の手刀で、後ろに控えていた騎士の首を切り落とした。鼓動に合わせて散る鮮血を浴び、勇者はなぜ自分がこの騎士を殺さなければならなかったのかと疑問を抱く。


「なあ、どうし――」

「今後、我の命令に疑問を抱くことを禁ずる」


 先回りするように、命令した教皇は、血にまみれた勇者にそっと歩み寄り、久しぶりの笑顔を向けた。


「良い子だ、勇者よ」


 その頭をなで、勇者を安心させるような声を出す。


「魔族は敵だ。人族を喰い、滅ぼすものだ。そのようなものと仲直りなど出来ないのだ」


 その声音は優しかったが、底冷えするほどに、何の感情も乗ってはいなかった。


 教皇の元を後にして、血にまみれた勇者を見たメイドのマリナは焦って勇者に駆け寄った。


「勇者様、これは……どうされたのですか⁉」

「うん、ごめん。おれ、騎士の人殺しちゃった」

「殺――っ」


 いたずらがばれてしまったようなしょぼくれた顔で、勇者はマリナにそう告げた。


「それは、勇者様の意思で殺したのですか?」

「……わかんねぇ。でも、殺すのはいけないことだって、マリナに教わったはずなのに、全然、そんなこと考えもしなかった……」


 勇者は、己の意思の介在しない行動に戸惑っていた。マリナは勇者の首元に光る隷属の首輪に視線を落とし、それに憎々し気に手をかけた。


「こんなもののせいで!」


 しかし隷属の首輪がそんなことで壊れるはずもなく、鈍いきらめきを放つそれは相変わらず、勇者の首こそが自分の居場所であると言わんばかりに首に巻き付いている。


「あなたは、本来優しいお方のはずです……、それが……どうして……」

「どうしたのマリナ、なんか嫌なことあったのか?」


 勇者の境遇に涙するマリナだが、それは勇者には伝わらない。勇者は己の置かれている環境がどういうものなのか、理解できていなかった。


「誰かにいじめられたのか? そうだ、誰か嫌いな奴がいるなら、おれがそいつのこと殺してこようか?」


 勇者としては、完全なる善意から出た言葉であった。この世界に召喚されて以来、勇者の役割とは常に殺すことだった。それ以外に、勇者は自分のできることを知らない。それ以外に、感謝の気持ちを伝えるすべを知らない。それ以外に、目の前の泣いている女性を慰めるすべを知らない。


「そんなこと――口にしてはなりません!」


 マリナの口から出た初めての叱責に、勇者は驚き、声が出せなかった。叱責された勇者より、誰よりもつらそうな顔をして涙を流すこの女性に、何も声をかけることができなかった。


「殺していい人間など、いないのです……」




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