第五二話 過去編「命の重さ」
「なんで……」
「勇者様……今のうちに……」
それは、勇者が召喚されてひと月ほどたったころだった。勇者はほんの些細な失敗から、魔獣に急所を突かれそうになる。亜人型の魔獣で、その手には巨大な斧、そして頭部に巨大な角を持っていた。分類的には、ミノタウロスと言われる魔獣だったが、勇者にとっては関係なかった。
いつものように、ただ敵を屠るのみ。力に任せ聖剣を薙ぎ払い、力に任せ拳を振るい、蹴りを繰り出し、そうすればいつの間にか終わっている。そんな狩りのはずだった。
とどめは刺したはずだった。ところが仕留め損ねていた。後ろからの奇襲。不意打ちだった。
その一撃を食らえばいくら勇者と言えど致命傷は免れない。並の騎士ならば即死の威力。それを、
「どうして、おれを庇ったの?」
騎士はその身を投げ出すようにして、魔獣の攻撃を受けきった。
「勇者、様……。ご無事……です、か」
騎士は勇者の言葉には応えない。ただ、その無事を確認するだけ。
再度攻撃を開始しようとする魔獣を、勇者は片手で仕留める。その間も視線は己を庇った騎士を見つめたまま。
「ねえ、どうして庇ったの?」
再度の問いかけ。だが答える声はない。
「勇者様、彼は……もう」
もう一名の随伴の騎士が、声を震わせながら勇者に告げる。
勇者はその日、初めて亡骸を教会に持ち帰った。
「ねえ」
「……なんだ」
教皇の執務室から出た勇者がフリーダに話しかける。
「なんであの人はおれのこと守ったのかな。俺の方がずっと強いのに」
心底不思議だという風に、勇者はフリーダに疑問を投げかける。この問いに応えてくれるのは、いつも笑顔で、話を聞いているようで聞いていない教皇ではなく、フリーダだと考えたのだろう。
「守るって、強い奴が弱い奴のこと助けることだろ? なのに、なんであの人は俺のこと守ってくれたんだ?」
「あいつがお前を守らなければ、今頃お前はどうなっていた?」
勇者は「うーんと」と考え、素直に告げた。
「すげー痛かったと思う」
「そのすげー痛い間、お前は戦えるか?」
「戦えはするけど、嫌かな」
教皇の命令なら、と言う枕詞がそこに隠れている気がして、フリーダは舌打ちを交える。
「お前が嫌で戦わない間に、代わりに戦わなければならない者がいる。そいつらはお前ほど強くなくてな、犠牲……死んでしまう者も多い」
ここまで言っても勇者はいまいちその先を理解しないようで、フリーダは苛立ちを募らせながらも冷静に最後まで説明する。
「お前が戦えないと、代わりに戦う者がいる。今日、お前を庇ったやつは、そんな奴のために死んだんだ」
「死んだら、どうなるの?」
「そんなことは知らん。神にでも聞くんだな」
最後はそんな聖女らしからぬ言葉でこの会話を締めくくり、フリーダは勇者に背を向ける。勇者はこの日初めて、眠れない夜を過ごすこととなる。
翌日、フリーダの案で勇者にメイドがつくこととなった。毎度毎度、あんな調子で純粋に質問されてはたまったものではないと言うフリーダのわがままでもあった。
「よろしくお願いしますね、勇者様」
メイドは勇者に向かってにこやかに一礼する。勇者もそれに倣い「ん、よろしく」と頭を下げるが、教皇の「メイドなどに頭を下げる必要はない」という言葉により礼は中途半端な角度で終わる。
メイドがついたところで、勇者の一日はそう変わらない。魔獣の討伐、食事、魔獣の討伐、食事、魔獣の討伐、食事、睡眠だ。そんな勇者の一日をメイドが気にかけないはずもなく、命のやり取りを日常的にこなす勇者に、そば仕えとなったメイドは心を砕いた。
「よく眠れましたか、勇者様」
「お着替えでございます、勇者様」
「お食事の用意ができております、勇者様」
「行ってらっしゃいませ、勇者様」
勇者はそれを、「なんか変な感じ」と表現した。
いつも通り魔獣を殺して帰ってきて、それを教皇に報告する。もう教皇は以前ほど勇者に興味がなくなっていた。命令をこなすだけの道具に、心遣いなど必要ないからだ。その役目は、メイドに回ってきた。
勇者はどこでどんな魔獣を殺したと、メイドに逐一報告した。ただ、その中で殉職者が出た時でも、淡々と同じように報告する。メイドがそのたびに悲しそうな表情をすることに、勇者は疑問を抱くばかりだった。
「なあ、どうしてそんな顔するの?」
「勇者様、命がなくなるとは、悲しいことなのですよ」
「でも、魔獣を殺したらみんな褒めてくれるじゃん」
「それは……そうなのですが」
メイドは純粋ゆえの子供じみた勇者の言葉に、時折言葉を詰まらせながら、それでも真摯に向き合い続けた。
その日は、魔族が出た、と報告があった。
魔王軍ではなく、おそらく野良の魔族が獲物を求めてアイエルツィア周辺まで来たのだろう。当然のように、その討伐は勇者に任されることとなった。
勇者にとって、言葉を話す獲物は初めての経験だった。
「ちっ、なんだあのガキは。冗談じゃねえ!」
敵の魔族がラウルの異常性に気づき、戦闘から離脱しようと足を速める。が、身体能力で野良の魔族が勇者にかなうはずもなく、あっけなく追いつかれた魔族は勇者に追い詰められる。
「なあ、なんで逃げんの? そっちから来たんだろ?」
「ああ? 死にそうになったら逃げるのは当たり前だろうが!」
「え、でも、教会の人たちは死んでも逃げないぞ?」
勇者が小首をかしげながら魔族に問う。そう、勇者の周囲には、自らの命を秤にかけられる者しかいなかった。だから、「逃げる」という生存のための一手が全く理解できなかったのだ。
「そりゃあそいつらがぶっ壊れてんだよ。普通は死にたくねえし、死にそうな目にあったら逃げるんだ、俺みてえになぁ」
「お前、死にたくないの?」
「? ッたりめぇだろうが」
勇者はその言葉を聞いて、随伴の騎士を振り返る。
「ねえ、こいつ死にたくないって」
それは魔族にとっても、随伴の騎士にとっても予想外の行動だった。魔族は意味が解らないまま、駆け出し、勇者はそれを一切追うことはしなかった。騎士たちは、勇者が下した判断に疑問を覚えながらも、魔族を追うよりも教皇に報告する方が優先と判断し、その場を切り上げるのだった。
「魔族を、逃がしただと!?」
謁見の間では勇者に随伴したに英の騎士がひざまずき、「申し訳ございません」と謝罪している。その横で、勇者は「だって」と言い訳を口にした。
「だって、あいつ死にたくないって言ってたし」
その当然のように発された言葉に、教皇は絶句する。勇者は人族の希望ではなかったのか、と。
「いや、だって、殺すのって、あんまりよくないんだろ? なら逃がしてもいいんじゃないかってさ」
「勇者よ、私は何と命令した!? 魔族を、殺せと命じたはずだ! ならば殺してくるのが貴様の仕事! いや、魔族だけではない。魔獣も、邪魔をするならば人族でさえも、私の命令ならば殺すのがお前の仕事なのだ!」
隷属の首輪が命令に反応してほのかに光る。
「うん、わかった」
今回、隷属の首輪が役割を果たさなかったのは、勇者が教皇の命令を命令として認識していなかったから起こった、偶発的な事故。本来であれば、魔族を殺せと命じた時点で、あの魔族を殺せなければ首輪が締まり、勇者を絞め殺す寸前まで苦しめただろう。
その後、勇者は私室に戻り、メイドが用意した食事を取りながら今日起こったことを話す。
「だから、ごめんな。おれ、色んなもの殺さないといけなくなったみたい」
「そうですか……。ですが、魔族の方を一人、救ったのですね」
メイドは、いつもの報告ではなかなか見せない笑顔を、その日勇者に見せた。
「救う? 守るんじゃなくて?」
言葉のニュアンスが通じず、勇者が疑問を投げかける。
「ええ、救ったのです。その魔族は、……きっと人を襲うでしょう」
「人を襲うなら、逃がさないほうがよかったかな」
「そう、かもしれません。ですが、その魔族にも家族や、大切にしている仲間がいるかもしれません、魔族も、人族も、同じ人なのですから」
勇者は、この笑顔というものが好きだった。けれど、教皇が見せるそれと、メイドが見せるそれが全然違うように見えることにも気づいていた。
「誰を殺したほうがよくて、誰を守ったほうがいいのか、よくわかんねーな―」
「殺したほうがいい人なんて、本当はいないのです。勇者様には、まだわからないかもしれませんが……」
「じゃあ、なんで教皇は何でもかんでも殺せっていうのかな」
その問いに、メイドは答えられなかった。




