第五一話 過去編「純粋」
「ここ、どこ?」
フリーダの目の前にいる裸の少年は、目を覚ますなりそう言った。あたりを見渡し、フリーダと、隣に座る教皇ルドルフの姿を認めると、「あんたたち、誰?」とも。そしてそのあと、
「あれ、おれって……なに?」
それは哲学めいた問いではあったが、この場にはそれに応える言葉があった。
「君は、勇者だ」と。
人族の生活は困窮していた。流通路の分断、各都市の孤立、環境が安定しない狩場、家畜被害。全てはフルーフ・ケイオス、魔族の凶暴化による弊害だった。
魔王が復活した。
それはフルーフ・ケイオスが発動した当初から語られていた噂であったが、ここにきて一気に信憑性が増すこととなる。
勇者と言うのは、魔王のカウンターだ。世界が魔王という存在を確認したとき、それと対となって現れる、いわばもう一人の魔王。それが今、フリーダとルドルフの前に姿を現したのだ。
タイミングはまだよかったと言えるだろう。勇者の存在は人族にとって希望であり、魔王の復活を決定づける絶望でもある。ルドルフとフリーダの謁見の場に現れたのは、情報規制等の面で実にありがたかった。
少年が勇者であると決定づけるには十分な証拠があった。それは、五百年前の伝承にあるように、まず虚空より現れたこと。そして、左胸から腕にかけて、大きな魔力抑制装置を身に着けていること。さらには、王座に保管されていた聖剣を少年に渡したところ、それは輝きを放つとともに岩を切り出したような大剣へと一瞬で形を変えたのだ。聖剣は選ばれたものにしか扱えない特別な武器。聖剣が扱えることからも、少年が勇者であることは間違いようのない事実となった。
ルドルフは、己とフリーダしかいないこのタイミングで勇者が現れたことに歓喜した。
「その姿のままでは話もままならん。まずは衣服を渡そう」
勇者は魔力抑制装置以外の装備を身に着けていなかった。教皇は手を叩き側近を呼ぶと、すぐに勇者の衣服を取ってこさせた。
勇者が着替え終わるのを見計らって、「最後にこれを」と恭しく勇者に首輪を差し出す。
「っそれは」
フリーダが制止しようとするのも聞かぬまま、勇者である少年は差し出されたそれを何の迷いもなく首にはめてしまった。それが、隷属の首輪――奴隷に着けるものであるとも知らずに。
魔法による契約で、装備者は契約者に絶対服従となる、奴隷の中でも犯罪奴隷につけられる首輪だ。
「では勇者よ、こちらに来なさい」
「ん」
勇者はどこか違和感を覚えながらも、ルドルフの前に歩み寄る。自分の意志に隷属の首輪による強制力が働いている、ということにまだ気づいていないのだ。
「君には人族の希望としての責務がある。私の言うことを聞いてくれるね?」
「ん、よくわかんねーけど、いいよ。わかった」
そんな気の抜けた返事に、教皇はその笑みを深くし、フリーダは呆れからため息をついた。
勇者としての仕事はすぐに始まった。教会騎士の手には余る凶暴な魔獣の討伐だ。教会も、魔法師と騎士で班を組み、アイエルツィア周辺の警戒は常に行っている。その中で脅威となる魔獣は狩っているが、どうしても一般の騎士、魔法師の手に負えない魔獣というものが一定数存在する。
それは特別討伐対象、いわゆるネームドと呼ばれる存在であったり、弱い魔獣が群れを成していたりと様々だ。いずれにせよ、そのような教会の手を煩わせる存在の対応に、勇者は使われることとなった。
「猊下、このまま勇者を遊ばせておいてよいのですか?」
フリーダはこの勇者の扱いに疑問を隠せなかった。勇者は対魔王の切り札だ。このままアイエルツィア周辺の警護だけにその力を使い続けるのは惜しい。一刻も早く小隊を編成して各都市の救援と魔王討伐に赴くのが勇者の正しい在り方だと、そう感じていた。
だがそれに対する教皇の言い分は、こうだ
「アイエルツィアの安全すら確保できない今、勇者を外に出すわけにはいかない」
もっともらしい言い分をしているが、要するに保身だ。
教皇は勇者が召喚される以前から、教会騎士団長や魔法師団長と言った精鋭たちを魔獣の討伐に送り出すことはせず、いつ起こるかもわからない襲撃のためと言い、自身の護衛にその戦力を割いてきた。無論、フリーダもその一人だ。
ここにきて、自由に使える駒がひとつ増えたことを幸運と思ったのだろう。教皇はようやく自分の保身から自分がいる聖都の保身へと舵を取ったわけだ。
聖都さえ無事ならば人族は負けたことにはならない。それは事実だが、当然間違いだらけだ。教皇はまだ、数の有利から人族が負けることはないと過信しているのだ。ここまで追い詰められてなお、いや、ここまで追い詰められたからこそ、その現実から目をそらし、自分が手に入れた新しいおもちゃを見せびらかして喜んでいるのかもしれない。
「ただいまー」
勇者がノックもなしに教皇の執務室に入ってくる。勇者が帰る場所と言うのはおおむねこの執務室だった。教会の一部のものには勇者が召喚されたことを伝えてある。だがもちろん、箝口令を敷いたうえで、だ。勇者にも私室は与えられているが、勇者は戦い以外は食べて寝るばかり。私室は寝室としてしか機能していなかった。
「おお、良く帰った勇者よ」
にこやかに出迎える教皇は、まるで孫をかわいがる祖父のようにも見えなくはない。だが、その笑顔の裏は打算にまみれている。
「今回の獲物は結構すばしっこくてさー、狩るの大変だったんだ」
「供に付けた二人の騎士はどうした?」
勇者は当然アイエルツィア周辺の地理や常識には疎い。騎士を二名つけてそのフォローをするよう言いつけてあったのだが、今、その二名の姿はない。
「ああ、狩りの途中で動かなくなっちゃった。目覚まさないから置いてきたぞ」
「……っ」
当然のように答え、無垢な瞳を向けてくる勇者に、フリーダは何も言い返すことができなかった。
「くく、それでいい。お前が邪魔だと思ったのならば捨て置くも排除するも自由。次は邪魔にならないものを付けよう」
「んー」
教皇の言葉に勇者は少し考えるそぶりを見せ、「やっぱ心配だからあの二人探してくる」と背中を向けようとした。その時だった。
「そのようなことはしなくてよい!」
教皇が大声を出しそれを制止する。
驚きからか、隷属の首輪がそうさせたのか、あるいは両方か。勇者がぴたりと動きを止める。
「お前についてゆけなかったのはその者らの落ち度。お前が気にすることではない」
勇者は教皇のお気に入りのおもちゃになった。言ったことは必ず達成する、力のあるおもちゃだ。だがそれに振り回される一般人はたまったものではない。
「猊下、勇者の狩りに随伴させるなら副隊長クラスの者を。でなければ生きては戻れません」
「替えの利く者の方が良いだろう。戦力は勇者さえ無事ならばよい」
「それでは無駄に犠牲を増やすだけです」
「その程度で死ぬ者のひとつやふたつ、犠牲の内には入らん。一丁前な口を利くなら勇者と違わぬ戦果を挙げて見せよ」
「くっ」
聖女であるフリーダには市政を預かる身としての公務もある。勇者や騎士のようにそう軽々と町の外へと飛び出し魔獣を狩ってくるわけにもいかない。
「わかったならお前は下がれ。勇者よ、食事にしよう」
「お、もう飯? やった!」
有無を言わさぬ口調でフリーダを下がらせ、教皇は勇者と二人執務室に残る。ひとり外に出たフリーダは、今日の勇者の任務先を調べるところから始めなければならなかった。
「命ってのは……ひとつ、ふたつと数えるものじゃないだろうが」
勇者に悪意がないことはわかっている。諸悪の根源はあの教皇、クソ親父だ、と。だが、勇者のあの屈託のない瞳、その瞳を曇らせないまま、多くの命をその手にかけさせていること。その吐き気を覚えるほどのアンバランスさに、フリーダは不安を覚えることしかできなかった。




