第五〇話「黒幕」
「待ってはくれないか」
尖塔の小部屋の入り口で、ダニエルは聖剣を突き付けているフリーダにそう言い放った。
「……」
予想外の人物の乱入に驚いたのか、フリーダの手が一瞬だけ緩む。だがそのすぐ後には、剣は強く握りしめられていた。
「待つことはない。裏切り者には死、あるのみよ。それが教会のやり方」
「無論、それに異を唱えるつもりはない。だがせめて、本人の口からききたいのだ」
フリーダとダニエルが数秒、見つめ合う。するとフリーダは諦めたように聖剣を下ろした。それと同時に、緊張の糸が切れたように周囲の空気が弛緩する。ダニエルは母であるアンナのもとへ、アル、レヴィ、ラウルは満身創痍のフリーダのもとへ駆け寄っていく。
「フリーダ、傷が」
「お前がそこまでやられてんのは初めて見るな。『Das Licht der Heilung(治癒の光)』」
レヴィがフリーダの患部に手を当て治癒の魔法を使う。フリーダは魔法や鉄扇の斬撃を全身に受け、立って普通に話しているのが信じられないほどの状態だった。
「ありがと、もういいわ」
半ばほど治癒が終わったところでフリーダがレヴィを手で制す。その視線はアンナとダニエルから一瞬たりとも外れない。
「自分の口で説明しなさい。それが今のあなたにできる、精一杯の責任の取り方ってものよ」
「……」
アンナはダニエルを見る。その瞳は助けを求めるでも縋りつくでもなく、ただ、いたずらがばれた子供のような行き場のない瞳だった。
「母上」
ダニエルに呼ばれ、アンナはうつむく。もう逃げ場などないのだと、観念したように。
「そうね……。アイエルツィアに転送魔法陣を敷いたこと、聖女を暗殺しようとしたこと、全て私がやったことで間違いはないわ」
「……」
ダニエルが無言でアンナを見つめる。誰もがアンナの言葉に耳を傾け、何一つしゃべらない時間は静寂が耳に痛いほどだった。
「すべては我が息子、ダニエルを時期教皇として据えるため。そして……」
アンナはうつむいている顔を上げた。その瞳はまっすぐにフリーダを睨みつけている。
「人族を救うために」
「救う」。その単語がアンナの口から出た瞬間、この場にいる全員が頭に疑問符を浮かべた。
「救う、だと」
問うたのはフリーダだ。アンナの言葉を聞き、思わず口から出た。そんな呟きだった。
「ええ。このまま反魔力思想が続けば、やがて人族は魔族に支配される。そうなる前に、人族は魔族と対等な存在になるべきだった。聖女なんて言うシンボルを早々に始末して」
アンナの言葉に嘘は見えなかった。心の底から人族のことを考え、そうして出た答えが、人族の裏切り。
「あなたは十分上にいる人間だ。こんなことをせずとも人族の方向を変えることは……」
「いや」
アルがアンナの言葉に疑問を呈するが、それはフリーダによって止められた。
「現教皇ルドルフがそう簡単に反魔力思想を覆すとは考えにくい」
「そうよ。ルドルフ……我が夫は思想と数の圧力だけで人族が魔族を支配できると考えているようだけれど、魔族というのはそこまで甘くない。圧倒的な暴力によって人族はすぐ支配される側になる」
現に、人族は追い詰められている。真に復活した魔王が徹底抗戦を唱えれば、人族はすぐにでも絶滅の危機に追いやられるだろう。
「じゃああんたが教皇と聖女を暗殺した後はどうするつもりだったんだよ。それこそ魔族に支配されて終わりじゃねえのか」
「魔族側にも和平を重んじる勢力はある。そことコンタクトを取りさえすれば、最悪の状態にはならずに済むわ。人族は一時的な支配を受けるかもしれないけれど、敗戦よりはずっとましな未来を築ける」
「母上……」
ただただ息子をトップに据えたいという母の願いではなかったことは、この場にいる全員が理解できた。
「成程な、それで利用したのが、魔族との契約魔法か」
「ええ、契約魔法『Geass(誓約)』。契約がやぶられれば、契約者双方が重大な呪いを受ける禁呪よ」
「そう言えば、契約書の類は見つかったのかしら?」
「いや、俺らは見つけられなかった。が、今わかったぜ。契約書は隠されてなんかいなかったってな」
レヴィが皇妃を見つめて言う。
「隠されていなかった?」
「ああ。そもそもこの狡猾な女がそんな重要なものを自分のそばに置いておかないはずがない。そして、聖女に最も近い、なんていわれる女が、普通の人間大の魔力を持ってるはずがなかったんだ。なのに魔力探知には常にこの女のそばに大きな魔力反応を示していた」
「どういうこと?」
レヴィの言うことを理解しきれないラウルが疑問の声を出す。それはフリーダやダニエルも同じだったようで、ラウルと共に疑問の視線をレヴィに向けた。
「まさか……」
レヴィの言わんとすることを悟ったアルが、その視線を付き人のケーナに向けた。
「ああ。その女が契約書だ。肉体に魔法を刻み込んだんだろうぜ」
全員の視線がケーナの元で一つに束ねられる。
「まさか、そんなことが……」
「禁呪『Geass』による契約書はあらゆる魔法に耐性を得る。その特性を逆手に取った、魔法の盾だ。よく思いついたもんだぜ。契約が破棄されればその命も燃え尽きるって―のに」
「私の命は、皇妃様によって救われたもの。いまさら命は惜しくありません」
「覚悟ガンギマリかよ」
レヴィはケーナの態度に、くだらないとばかりに舌打ちをした。その瞬間だった。
「――っ、なに、これは⁉」
ケーナの身体が中央から裂け、裂け目からは紙が燃えるように炎が吹きあがる。
「きゃぁああああああ――っ!」
「な、なんだ⁉」
「これは、契約の破棄⁉」
「このタイミング、まさか魔族側に情報が漏れているのか!」
激しい炎に気圧され、誰もケーナに近づくことはできない。いや、仮に近づくことができたとしても、契約書であるケーナの炎は誰にも止めることはできない。
「そんな、ケーナ!」
「皇妃……さま……」
ケーナがアンナに手を伸ばす。だがその手が取られることはない。
「母上、離れて!」
腹心の部下であるケーナを突然襲った炎に、アンナは叫び声をあげて救出に向かおうとするが、それもダニエルによって止められる。ダニエルは直感したのだ。この炎がだれにも止められないことを。
「契約を破棄すれば契約者は呪いを受けるはず……」
フリーダの言葉に全員の視線がアンナに集まる。
「相手の契約者は魔族の代表者のはず、確かに見た、相手はダグナ……黒髪の女のはず……!」
アンナの疑問はすぐに解消された。ケーナの身体からあふれる炎がひとりの魔族の姿を形どったのだ。
「こ、これは……」
「……ダグナ!」
アンナにダグナと呼ばれたその炎の人影は、哄笑を上げながらその口を開いた。
『ごきげんよう、アンナ・ハイリヒ・シェーンベルク』
その声は炎の燃え盛る音に遮られることなく、全員の耳に良く響いた。
『今までよく働いてくれたわ。けど、貴女もう用済みなの。アイエルツィアを落とせないどころか、聖女のひとりも殺せないなんて。まったく、駒としては出来損ないね。もっともこちらが提示した契約魔法を疑うこともなく受け入れた時点で、期待はしてなかったけど』
「貴様っ!」
アンナがその手に魔力を纏わせて炎を殴りつける。が、実体のない炎にそんな攻撃が効くはずもない。アンナの苦し紛れの反撃は、ダグナの高笑いによって打ち消された。
『初めまして、聖女フリーダ、それに――勇者。私はあなたたちのことをずっと待っていたの。何せ、魔王様の復活にはあなたたちの力が必要なのだから』
「ふざけたことぬかしやがって、フリーダ、ラウル、真に受ける必要はねえぞ!」
「ああ。察するに、今回の黒幕は貴女なんだろう。だったら僕たちは、貴女を殺す。喧嘩を売られて黙っているような性格じゃないんでね」
レヴィが杖を、アルが鎌を炎の幻影に突きつける。
『とてもいいわ、こちらまで届きそうなその殺気。ならあなたたちがここまで来ることを私も楽しみに待っていましょう』
その言葉を最後に、炎は徐々に弱くなっていく。
「待て!」
ラウルがその炎に向かって飛び掛かるが、それより早く炎は燃え尽き、その場には何も――ケーナの死体すら残らなかった。
「……こんなはずじゃなかった」
力なくうなだれるアンナがぼそりとつぶやいた。
「私は……ダニエルのため……人族の、為に……」
間違った方向に向かったとは言え、アンナの望みは確かにダニエルや人族のためを思っていたのだろう。悔しさからか、涙をぽろぽろとこぼしながら、アンナはその顔を手で覆った。
「母上……。すまないフリーダ。納得はできないだろうが、今日はここまでにしてもらえないだろうか。母には、少し休む時間が必要だ」
「……フリー、ダ」
アンナに寄り添うダニエルがフリーダにそう問いかける。フリーダも、現状でさらにアンナを尋問にかけようとは思わない。ダニエルの提案に頷こうとした、その時だった。
「フリーダ……聖女……」
「ん?」
もはや正気を保つことすらやっとと思われるアンナが、フリーダの名前に反応を示した。何かヒントになることを思い出したのかと、ラウルを除く全員がアンナの言葉に集中する。
「フリーダ、あなたさえ……いなければ――‼」
正気を失ったゆえか、あるいはダグナにそう仕組まれていたのか、アンナはスカートの中に隠し持っていたナイフで目の前にいるフリーダに奇襲をかける。
「フリーダっ危ねぇ!」
いち早く気づいたのはアンナの言葉ではなく行動に注目していたラウルだった。ゼロ距離に近いフリーダとアンナの間に身を滑り込ませ、身を挺してフリーダを庇う。
「ラウル!」
ラウルが来る痛みを覚悟してきつく目をつむる。が、いつまでたっても痛みはやってこなかった。
「……っ」
恐る恐る目を開ける。すると目の前に広がるのは深紅に染まった己の腕。
痛みはない。当たり前だ。
フリーダを庇ったラウル。だがラウルは魔封じの薬の影響で、普通の子供程度の身体能力、頑丈さしか持ち合わせていない。そんな状況でフリーダを庇ったらどうなるか。
一瞬でそこまで考えてしまったフリーダは、己を庇ったラウルを抱き寄せ、自身の身体を盾にした。
「フリー……ダ?」
背中から腹部を深く一突きにされ、血を流すフリーダ。それを両腕に抱えるラウル。何が起こったか分からなかったラウルも、一瞬の後に理解した。庇ったはずの自分が、逆に庇われたのだ、と。
「テメェ!」
アンナをフリーダから引きはがすレヴィ。引き抜かれたナイフはアンナの手に。それは根元までもが真っ赤に染まり、傷の深さがうかがえる。
「レヴィ、早く治癒魔法を!」
「わぁってる!」
血に染まるラウルの腕の中でレヴィが治癒の魔法を何度も重ねて詠唱する。それをラウルはそこか遠い場所の出来事化のように呆然と見ていた。
「出血が止まらねえ、内臓が傷ついてる! 応急処置じゃ間に合わねえぞ!」
「止血を最優先、ラウルは教会の魔法師を集めて――ラウル?」
「おれを……庇って……」
充満する血の匂いが、鼻の奥にこびりついたように離れない。拭っても拭っても、溢れる血が何度もその手を赤く染める。
「ごめ、おれ……フリーダに謝らないといけないこと、あったはずなのに……」
何も考えられないまま、ぽたぽたと続く血痕を視線で追う。フリーダから続く血痕の先には、ナイフをしっかりと持ったアンナの姿があった。
「お、まえが」
「ラウル……?」
フリーダを抱く腕にだんだんと力が入っていく。力が籠められると同時に、封じられていたはずの魔力がラウルの周りに集まってゆく。
手に力が入りすぎて、フリーダの青白い肌に爪が食い込む。つぅっと新たな雫が肌を伝う。
「ラウル!」
「あ、ああ、ああああああああああああああ」
魔封じの薬など初めから効果がないかのように、魔力の高まりは留まることを知らない。
そして、ラウルの左胸に輝く鎧に、ひびが入る。
「ラウル、魔力を抑えて!」
アルが叫んでも、その声が届くことはない。感情の高ぶりが魔力を活性化させる。レンブルクで魔族の少年がその魔力を暴走させたように、ラウルの中でも魔力が暴れている。だが未熟な魔族の少年と勇者のそれとでは規模が違う。
本来勇者が持つ魔力の量は、一魔族とは比べ物にならない。それを個人の力で制御できるように抑えているのが、ラウルが胸につけている鎧であり、生まれながらに装着していた魔力抑制装置の役割。
「ラウルの魔力抑制装置が……」
それがたった今、砕け散った。




