楽園の王、降臨
「総員、守護態勢」
倉庫に残された月季率いるエデンブーケと、ゼナヴィア、リズリィは、たった一人立ちあがった賊のリーダーと対峙していた。
月季の号令と同時に、エデンブーケの構成員たちが警護対象である二人を守るように囲む。
その対応にリズリィは疑問を抱いた。
「月季さん。余計なお世話とは承知の上ですが、発言をしてもよろしいでしょうか?」
「許可しましょう。なにかしら?」
「私たちを守るより敵に止めを刺した方が早いですよね? 月季さんと部下の方々なら難なく可能とお見受けします」
「正解よ。でも、いいの」
当然の疑問だと言わんばかりに月季は頷いた。
だがそれは彼女にとって些末なことでしかないようだ。
月季は敵から目を逸らしてはいなかったが、決して余裕の笑みを崩すことはなかった。
「泳がせているの。生き残ったあの男がどんな悪あがきをするのか眺めていましょう。きっと素敵な景色を見せてくれるわ」
強者の余裕とはこのことだろう。
世界には千差万別のスキルが存在する。
未知の能力があるのは当然であり、それを蔑ろにするのは戦闘において死を意味する。
その前提を踏みつける月季の風格は、どのようにして培われたのか。
リズリィには想像もつかなかった。
「月季ちゃんって本当に強いんだね」
嫌味ではなく純粋な敬服がゼナヴィアの口から漏れた。
同時に、月季の自信の源がどこから湧いているのか、気になった。
「わたくしの強さは彼によって与えられたもの」
「彼?」
「我らエデンブーケの主、花の冠を戴く楽園の王――プロテア」
ゼナヴィアもリズリィも、その名を聞くのは初めてだった。
ただ月季の声色から、その人物を心から敬愛していることだけは容易に想像できた。
「お前らァ! よくもやってくれたなァ!!」
賊のリーダーが立ち上がり、吠える。
全身を覆っていた外装はボロ布のように破け、その下の衣服も血と埃で薄汚れていた。
頭を覆っていたフードも引き裂かれ、もはや顔を隠す役目を果たしていない。露になったのは四十前後と思わしき男の顔だ。
額から流れた血は頬を伝い地面へと吸い込まれる。直立することができない体を壁に預け、荒い呼吸を繰り返す。
満身創痍。
誰の目にも、男が限界寸前であることは明らかだ。
「あらあら先ほどの余裕はどこへ行ってしまったのかしら? 声を荒げるなんて野蛮な人ね」
月季の役目は時間を稼ぐことである。
挑発に乗ってくるならよし。舌戦でも交戦でも軽くあしらうだけだ。
「我々は”選ばれなかった者”として、生きることを許された選ばれた人類である!」
「……え? どういう意味?」
「彼が所属している組織の教義のようなもの、でしょうか」
返ってきたのは理解し難い宗教めいた言葉だった。
ゼナヴィアやリズリィのような事情を知らない者が聞けば首を傾げるしかない。
だが月季やエデンブーケの構成員たちは冷ややかな視線を男に向けるだけで、誰も口を開こうともしなかった。
「今こそ! 我がスキルを発動しよう! 神はここですべてを解き放てとおっしゃっている!!」
「防衛陣展開」
月季の指示を受け、構成員のうち三人が集団から躍り出た。
互いに一定の距離を保ちながら配置につき、月季たちを囲むように三角陣を形成する。
次の瞬間――足元には淡く光る円形の魔方陣が浮かび上がり、さらに透明な半球状の結界が彼女たちを包み込んだ。
「すごい――! 防御系のスキル持ちが二人もいる!」
防御系のスキルと一口に言っても、その種類は多岐にわたり、性能にも差がある。
盾を出現させるものや、自分をバリアで覆うものなど、”個人”を守るスキルが一般的だ。
だが月季は違う。
たった一つの命令でこの場にいる味方全員を護ることができる。
その事実こそが、エデンブーケの人材の豊富さと、構成員たちの練度の高さを雄弁に物語っていた。
ゼナヴィアが呑気に感心してしまうのも仕方のないことだ。
「こちらの方は見たこともないスキルですね」
月季の指示に従ったのは三人。
一人が足元の魔方陣、一人が周囲の結界。
最後の一人は月季たちの前で膝をつき、祈りを捧げている銀髪の少女だ。
視認できないだけで何かしらのスキルで自分たちを守ってくれているのだろう、というのはゼナヴィアとリズリィでも容易に想像ができた。
「……緊張感がないわね」
安置を提供した身としては、保護対象が落ち着いているのは歓迎すべきことだ。
その理由にも見当がつく。
彼女たちが月季を信頼しているからだ。
「警戒しなさい。”やつら”のスキルは強力ではないけど扱いづらくて手に余るモノばかりよ」
忠告が終わると同時に男の身体に変化が起きた。
服の下で肉体がボコボコと蠢き、まるで何かが飛び出そうとするように激しく膨れ上がる。
そして――
「『死体吸収』!」
男がスキル名を叫ぶ。
直後、無数の触手が身体の内側から突き破り、人を――いや、死人を襲った。
人間の腕と同じ太さの触手は回収目標だったゼナヴィアとリズリィ、そして月季たちエデンブーケの面々には目もくれず、すでに事切れている賊たちの肉体や一部の貴族学生の身体に巻き付いた。
「いただきまあああああああすぅ!」
死体が触手に引きずられ男の元に集まっていく。
言葉通り死体を食うわけではない。だが男の肌と死体が接触した部分から肉体同士が混ざり合い、一つになっていく。
融合。
そして肥大化。
倉庫に残されていた死体は綺麗に平らげられ、最後に残ったのはおぞましい肉の化け物だった。
人と犬を混ぜ合わせたような顔に体毛のない禿げた身体。
頭頂は五メートル近くに達している。
四足歩行の脚は人の手を思わせる五本指を持ち、尻尾の代わりに触手が十本ほど生えていた。
「う、わー」
「あのようなスキルがこの世に存在していいのでしょうか……」
さすがのゼナヴィアも言葉を失い、リズリィは世界そのものに疑念を抱いた。
「さすがのわたくしも同情してしまうわね。でも、その醜い姿を選んだのもあなた。力そのものに善悪はなく、力を振るう者が命運を握っているに過ぎない。そして――あなたの運命が来たわ」
月季が語り終えた瞬間。
倉庫の天井が砕け、一人の男が降り立った。
黒いスーツ纏い、仮面で目元を隠した美丈夫。
闖入者であるはずの彼はまるでそこにいるのが当然であるかのようにエデンブーケの先頭へ立ち、暴食の化け物へと向き合った。
「プロテア様」
月季が、己が主の名を呼ぶ。
プロテアは肩越しに振り返った。
表情には出さなかったが。内心では驚いていた。
いつもなら「旦那様」と呼ぶことにこだわっていた彼女が、今日は名前で呼んだからだ。
その意図を察し、彼は即座に応じる。
「すぐに終わらせる。結界は維持しておけ」
「御心のままに」
プロテアは化物へ向き直ると、一瞬で間合いを詰めた。
彼の戦闘スタイルは今も昔も変わらない。膨大な魔力を基盤にした圧倒的な身体能力。
爆発的な加速で距離を潰し、必殺の一撃を叩き込む。
理不尽なまでの肉弾戦だ。
「シャァッ!」
言葉を喋れなくなった化け物の爪が、プロテアに迫る。
だが、
「無駄だ」
プロテアは羽虫でも払うかのように叩き落とした。
「ガアアアアア!?」
悲鳴のような咆哮が上がった。
化け物の爪が割れ、右前脚がひしゃげたようぐちゃぐちゃになっていた。
筋肉を突き破った白骨が覗き、見るも無残な状態だ。
「終わり?」
「ッ……!」
化け物が激怒した。
プロテアの疑問を挑発と受け取ったのだろう。
大口を開き、噛み砕かんばかりの勢いで飛びかかる。
「汚い」
神速――いや、神足の蹴りが化け物の顎を跳ね上げた。
強制的に閉じられた口が自らの牙を噛み砕く。
首は生物として許されない角度まで折れ曲がった。
「ここまでか」
見掛け倒しだった相手に、プロテアは小さくため息を吐く。
どう手加減しても次の一撃で終わる。
彼の直感がそう告げていた。
そして、この戦いの終わりを最も惜しんでいる者が二人いた。
「リズちゃん、あれってさ」
「はい。きっと考えていることは同じです」
ゼナヴィアとリズリィである。
二人はプロテアが登場してからずっと、その緻密な魔力操作と膨大な魔力量、さらにそれを支える肉体の仕組みに目を奪われていた。
まだ適当にあしらっている姿しか見ていない。
あの絶技を学ぶには圧倒的に敵が弱すぎた。
「一思いに終わらせてあげるよ」
ぴくぴくと痙攣し未だに立つことのできない化け物の腹に、プロテアが掌底を叩き込む。
次の瞬間――血の花が咲いた。
プロテアに魔力を送り込まれて化け物の魔力が暴走。肉体が崩壊し爆発。飛び散った鮮血が花火のように宙を舞ったのだ。
「汚い花火だ」
まともに浴びれば全身が赤く染まってもおかしくない量だった。
だが、その中心に立つプロテアは違った。
血を操ることができる【吸血鬼】に獣化していた彼にとって、血で衣服を汚す道理などない。
「……綺麗」
結界の中でその光景を眺めていたゼナヴィアが、思わず息を呑む。
血飛沫が花びらのように宙を舞い、その中心に佇むエデンブーケの主――プロテア。
ゼナヴィアの目にはそれがひどく美しいものに映った。
それは魔力操作のことなのか。
目の前の光景なのか。
はたまた外見のことか。
あるいは、その全てなのか。
目を奪われてしまった彼女には判断が付かなかった。
だが、そんなことはどうでもよかった。
今、彼女にわかっていることは一つだけ。
「――見つけた」
プロテアが身を翻し、その場から姿を消す。
それでもゼナヴィアの瞳の奥には、彼の姿が焼き付いて離れなかった。




