再決意
「すっきりした?」
リシアが落ち着くまで二十分弱ほどの時間を費やした。
最初はぐずぐずと泣いていた彼女も、今では僕の膝を枕にして頬をすりすり喉をゴロゴロと鳴らしてくつろいでいる。
顔を覗くと涙は引いており、鼻を啜る様子もない。頬はまだ若干赤みが残っているが、それも数分もすれば落ち着くだろう。
頭を撫でると「にゃ〜」と気持ちよさそうに返事をしてきた。
「はは、鳴き声だけじゃわからないな」
「リシア、甘えすぎてはメッですよ」
大きいソファーに三人で並んで座る。
バルディーク家で過ごした夜はこうやって語り合うのが日常だった。
甘えすぎては駄目だと言いつつ、キキョウも僕の隣を陣取りピッタリとくっついている。
昔から続く同じようなやり取りだ。
ただ今回は、久しぶりに会った――といっても数ヶ月ぶりでしかないのだが、いつも以上に距離が近い気がする。
「……早とちりしてごめんなさい」
「謝る必要はないよ。……まぁ、ガチ泣きされた時は驚いたけど」
「にゃー」
誤魔化した。
ちょっと可愛い。
「……約束だったから」
「ん?」
「大人になったら眷属にしてくれるって、主様との約束、ずーっと楽しみにしてたから」
「……色々あって延期にもなっちゃったしな」
「でも今年はずっと主様の近くにいることができますよ。姉様と一緒にお引っ越しも済ませました」
引っ越しとはあのパン屋のことだろうか。
二人がどうしてパン屋で働くことになったのか気になるけど、その前に確認しなければならないことがある。
……もしかしたらまた泣かせてしまう――下手したらキキョウまで泣かせる可能性があるので、言葉を選んで慎重に伝える必要がある。
「リシア、そしてキキョウも。少しだけ僕の話を聞いてほしい」
「「……」」
姉妹が顔を見合わせ居住まいを正した。
僕の声色や雰囲気から真面目な話だと察したのだろう。
ソファーから降りて僕の足元で正座している。
「誤解させてしまうかもしれないから最初に釘を刺しとくね。たとえ僕の話を聞いて驚いても最後まで話を聞くこと。いいね?」
「はい」
「にゃん」
「うん、いい返事だ」
さて、どう切り出そうか。ずばっと本題から入ってもいいけど彼女たちには刺激が強すぎるかもしれない。リシアのことがなければ今日話すつもりはなかった内容だし、行き当たりばったりではあるんだよなぁ。
う〜ん、悩む。
でも、だからと言って沈黙を続けていたら今度は余計な不安を与えてしまうだけだ。
だったらもう僕の考えていたことを正直に語っていくしかないか。
「前々から思ってたんだけどキキョウとリシアは僕の眷属にならなくてもいいんじゃないかって」
「「!?」」
二人の猫耳と尻尾がぴんと立ち、目が丸くなる。
姉妹だから驚き方までそっくりだ。
最後まで話を聞く、という言いつけを守っているからそれだけのリアクションで済んでいるが、それがなかったら「なんで」「どうして」と縋り付いてきたかもしれない。
「二人が僕のことを慕ってくれているように、僕も君たちのことを信頼している」
「若様には忠誠を捧げています! 身も心もすでに若様のものです!」
「ありがとう、キキョウ。その気持ち嬉しく思うよ。出会いは偶然だったけど、約七年になるのかな? よく仕えてくれた」
「でしたら――」
「でも、それならなおさら僕の【吸血鬼】の能力で縛る必要はないんじゃないかって思ったんだ」
姉妹を眷属化させたのは打算でもあり苦し紛れの策でもあった。出会ったばかりの獣人姉妹を僕の甘さで生かすには何かしらの枷をかけるしかなかった。
それが眷属化だ。
けれど今は違う。
信頼関係が築かれた今、その枷は本当に必要なのだろうか。
「二人は僕の眷属じゃないと一緒にいてくれないの?」
「そんなことありません……!」
「主様と一緒にいるのはあたしたち意思です!」
眷属じゃなくても仕えてくれることはリシアが証明している。
「じゃあやっぱり眷属になる必要はないと思うんだけど、どうだろう?」
「……若様」
「なんだい?」
「そもそも眷属化を解くことは可能なのですか?」
すでに眷属になっているキキョウが当然の疑問を口にした。
「いい質問だね。……最近、僕の吸血能力が強化されたんだ。眷属の血から吸血鬼の力を回収する能力だ。そうだな……回帰吸血とでも呼ぼうか」
スキルスクロールに載っていた能力であり適当な生き物で実験も済ませてある。
僕がキキョウから回帰吸血を行えば、彼女は吸血猫からただの猫獣人に戻ることができるだろう。
「眷属をやめれば吸血衝動に悩まされることもなくなるよ」
「最初は我慢できなくて大変でした。でも今は半年は我慢できます」
キキョウが吸血猫になった当初は、一週間に一度は僕の血を飲む必要があった。そうしなければ血に飢えて誰彼構わず襲ってしまう危険があったからだ。
今では周期が伸びて数ヶ月の余裕がある。
指摘するつもりはないけど、キキョウの言う半年はちょっとだけサバを読んでいる。
「リシアが眷属になったらまた一週間ごとに僕の血を飲まないといけないよ?」
「若様のお手を煩わせるのは不本意ですが……」
「吸血がなくなったら主様があたしたちに会ってくれる理由が減っちゃうじゃないですかー……」
「それは……」
そんなことを考えていたの?
確かに定期的な吸血は集まる口実にはなるけれど。
んー……切り口を変えてみるか。
「眷属をやめれば体の成長を取り戻すことだってできるよ。キキョウ」
「あ、それは問題ありません」
あっさりと斬り捨てられてしまった。
「やろうと思えば変化能力で大人の姿にもなれますし、こっちの姿の方が子供たちと遊びやす――」
「姉様」
リシアに脇を小突かれキキョウが「にゃっ」と慌てて口を塞ぐ。
そりゃあ見た目が11歳ぐらいなら“ちょっと年上のお姉さん”に憧れるショタたちと触れ合うこともできるだろうけどさぁ。
……え? もしかしてそのために眷属のままがいいとか言わないよね?
もしそうならさすがに眷属化を解いちゃうよ? 僕の配下からそっち系の犯罪者を出すわけにはいかないからね。
あくまでもイエスショタノータッチの精神を心がけてほしい。
「こほん」
わざとらしい咳払いをひとつ。
姉妹が再び姿勢を正したのを確認してから、僕は一番懸念していることを口にすることにした。
「パン屋はどうするの?」
「……え?」
「はい?」
そんなに僕の言葉が意外だったのだろうか。
姉妹並んで首を傾げる姿は可愛いけど少し不安になる。
「不老というのはエルフみたいな長命種の特権みたいなものだ。獣人はそれには当てはまらないだろう? 変化の能力で一時的に大人や子供になれても老いることはできない。これから十年は誤魔化せたとしても二十年三十年と老けることのない獣人は目立つ。眷属化するってことは、一つの場所に長く定住することができないってことだ」
「……里以外に私たちの居場所はなくなる、と。若様はそうおっしゃりたいのですね」
僕は静かに頷いた。
彼女たちの里は特殊だ。
僕の眷属であることを容認どころか歓迎しているぐらいだ。
だが、それはやはり例外でしかない。
僕にとってここは異世界でも、彼女たちにとってはここが世界そのものだ。
世界の常識から外れれば周囲からは異端と見做される。
僕だけが「老けない獣人がいてもよくね?」と思っていてもそうは問屋が卸さない。
「眷属をやめない限り、パン屋で働けるのは今だけだ。そしてそれはパン屋に限った話じゃない」
「お言葉ですが若様」
「ん?」
「パン屋は王都に移った若様を追うための隠れ蓑であり手段でしかありません。目的はあくまで若様のお側に侍ること。何も変わっていません」
「でも楽しそうに働いていたじゃないか。未練が残る可能性だってある」
「三年間だけお世話になるねっておばあちゃんたちには伝えてます。ルヴェルくんが騎士学園を卒業したら王都に住む意味なくなっちゃいますし」
まっすぐな瞳。
まっすぐな言葉。
どうやら僕の気遣いは完全に余計なお世話だったらしい。
昔から僕を支えてくれている彼女たちにそういう選択を提示できたことは悪いことではないと思う。でも結果だけ見れば、僕がうだうだと講釈を垂れた挙句、彼女たちの忠誠心を再確認しただけだった。
見くびっていたわけじゃないけど、彼女たちには面白くない話だったかもしれない。
「……若様は最初にこう言いました『眷属じゃないと一緒にいないのか』と」
どうやらまだ伝え足りないことがあるようだ。
僕は「言ったね」と軽い相槌を打って続きを促した。
話を切り出したのはキキョウだったけど答えたのはリシアだった。
「逆ですよ、主様」
「逆?」
「眷属にならないと一緒にいられないじゃないですか。主様はきっと獣化スキルで長生きするから、あたしたちが眷属にならないと置いてけぼりになっちゃいます」
「……」
ルヴェルが人として天寿を全うした後、僕はスキルの力を使って生き返るつもりだ。
灰から蘇る不死鳥のように。
僕だけの人格、僕だけの肉体、僕だけの時間。
本当の意味で自由になるのはその時だと心に決めている。
「若様が私たちの居場所だということを、どうか忘れないでください」
「置いてっちゃ、駄目ですからね」
老いて逝くのはみんなの方だよ、なんて冗談は言えそうにないや。そうならないためにも眷属になりたいと彼女たちは言ってくれているんだから。
じゃあ、言うべきセリフはもう決まっている。
「……シアを――リシアンサスを眷属化させる正確な日付を決めようか」
「若様!」
「主様!」
こうしてキキョウだけでなくリシアも僕の獣化【吸血鬼】の眷属として生きることになった。
本人は今すぐにでも眷属になりたがっていたけど、最初のうちは僕の血を毎週飲まないといけない。二人が働くパン屋には定休日があったので、その休日前夜を僕たちの定例日とすることに決まった。
「じゃあ眷属化は来週に持ち越し。改めて契約を結ぼうか」
「はいっ! 主様大好きです!」
「ありがとうございます。若様」
リシアが感極まって。
キキョウはどさくさに紛れて。
二人とも僕に抱きついてきた。
がっちがちの主従関係を築いてきたわけでもないのでよくある光景ではある。
僕も拒絶する理由はないし彼女たちも時と場所を弁えているので問題はない。
(獣化した姿で女を侍らせてふんぞり返っていてほしい……なんて僕にお願いする娘もいるけど)
マンガやアニメに出てくる悪党の登場シーンじゃあるまいし。
……と思わなくもないけど、そもそも僕は悪の怪人に憧れて獣化スキルを活用しているので当たらずしも遠からず。
そういえば彼女はまだ来ないのだろうか?
僕にこの屋敷を捧げようとする太っ腹な貴族令嬢はいったい今どこにいるのやら。
やっぱり彼女も学園生になったばかりだから色々忙しいのかな?
「ご主人様、お嬢様がお見えになりました」
おっと、噂をすればなんとやらだ。
部屋の外からノック音と共にメイドさんの声が聞こえた。
「通して」
一声かけると静かに扉が開く。
そこから現れたのは、寝巻き姿のハーフエルフの少女だった。
「ご機嫌麗しゅう、旦那様」
なんで寝巻き姿なの?
というツッコミは時間帯を考えればおかしくはないので飲み込む。
代わりに僕は、彼女に与えたコードネームを口にすることにした。
「久しぶりだね、月季」
月季。
僕にそう呼ばれた彼女――エルマリアは、学園にいた時とはまた違った艶いた笑みを湛えたまま、優雅に僕の前へ跪くのだった。




