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【JR西じゆうに大賞応募】凪の亡霊 ー 凪の向こうに眠る海鬼の記憶  作者: 鷹司 怜


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【凪の亡霊 特別編】  『三十年の沈黙(三)』 恒一視点長編 春香という風


春香という娘を初めて意識したのは。


事故資料の前ではなかった。


もっと前だった。


まだ小学生だった頃。


祭りの日。


神社の境内だった。


春香は迷子になった子どもを連れていた。


自分も子どもなのに。


泣いている子をなだめながら。


親を探していた。


不思議な子だった。


昔から。


困っている人を見ると放っておけない。


損得を考えない。


思ったことをすぐ口にする。


そして。


間違っていると思ったことには遠慮しない。


島では珍しい性格だった。


小さな島では。


波風を立てないことが大切になる。


黙ること。


見ないふりをすること。


空気を読むこと。


それが処世術だった。


だが春香は違った。


風のような子だった。


真っ直ぐ吹く。


止まらない。


だから時々。


周囲とぶつかる。


それでも進む。


恒一はそんな姿を遠くから見ていた。


少し羨ましかった。


自分にはできなかったからだ。


事故のことも。


真実のことも。


結局は黙ってしまった。


三十年間。


ずっと。


だから。


春香が第七せと丸の名前を口にした時。


心臓が止まりそうになった。


まさかと思った。


誰も知らないはずだった。


誰も辿り着けないはずだった。


木箱は倉庫の奥だ。


資料も古い。


興味を持つ若者もいない。


なのに。


見つけた。


あの娘は見つけてしまった。


三十年沈んでいた真実を。


最初は腹が立った。


いや。


正確には怖かった。


知られることが。


責められることが。


過去と向き合うことが。


怖かった。


だから冷たくした。


突き放した。


忘れろと言った。


関わるなと言った。


だが。


春香は引かなかった。


むしろ前に出た。


「何で隠すん」


「何で誰も話さんの」


「忘れたらあかんやろ」


あの日の言葉は。


今でも耳に残っている。


怒鳴られたからではない。


その言葉が。


昔の自分と同じだったからだ。


二十歳の頃。


木箱を運んだ夜。


自分も同じことを思っていた。


なぜ隠す。


なぜ黙る。


なぜ忘れる。


全く同じだった。


だから答えられなかった。


反論できなかった。


春香が正しかったからだ。


正しい。


だが。


正しさだけでは救えないものもある。


それを知っているのが大人だった。


そして。


それを知らないまま進めるのが若さだった。


どちらが正しいのか。


恒一には分からなかった。


ただ一つだけ分かった。


春香は止まらない。


最後まで行く。


真実へ辿り着く。


そんな予感がした。


そして同時に。


嫌な胸騒ぎもしていた。


昔からそうだった。


海は静かな時ほど怖い。


本当に危ない日は。


不思議なほど穏やかだ。


事故の日もそうだった。


春香が調査を始めたあの日も。


祭りが近づいていたあの日も。


海は凪いでいた。


静かだった。


静かすぎた。


ある夕方。


恒一は港で美咲を見かけた。


遼介と歩いていた。


二人とも笑っていた。


若かった。


未来があった。


見ているだけで分かった。


幸せになれる二人だった。


だからこそ。


胸が痛んだ。


事故を知る人間には。


幸せが壊れる瞬間を見た経験がある。


だから怖い。


失うことが。


何よりも。


その夜。


恒一は神社へ向かった。


倉庫の前に立つ。


木箱はまだそこにあった。


三十年間。


誰にも見つからなかった箱。


そして今。


再び開かれた箱。


恒一は手を置く。


冷たい木の感触。


心の中で呟く。


「もう終わりにする時かもしれんな」


誰に向けた言葉か分からない。


事故の犠牲者へ。


父へ。


若かった自分へ。


あるいは。


春香へ。


夜風が吹く。


海の匂いがした。


遠くで祭りの準備の音が聞こえる。


夏が来る。


そして。


三十年間止まっていた時間が。


動き始める。


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