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【JR西じゆうに大賞応募】凪の亡霊 ー 凪の向こうに眠る海鬼の記憶  作者: 鷹司 怜


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【凪の亡霊 特別編】  『三十年の沈黙(四)』 恒一視点長編 美咲を頼む 


祭り当日の朝。


空は青かった。


雲一つない。


夏らしい天気だった。


港では朝から準備が進む。


観光客も増えていた。


皆が忙しそうに動いている。


その光景を見ながら。


恒一の胸には妙な不安があった。


理由は分からない。


ただ落ち着かなかった。


海が静かすぎた。


事故の日もそうだった。


嫌な記憶が蘇る。


何度も打ち消そうとした。


だが消えなかった。


昼過ぎ。


港の近くで美咲を見かけた。


一人だった。


珍しい。


いつもなら春香といる。


あるいは遼介といる。


だが今日は違った。


何か考え込んでいるようだった。


恒一は声をかけた。


「どうした」


美咲は少し驚く。


そして笑った。


「ちょっと緊張しとるだけ」


その顔を見て。


恒一は察した。


何か大切な話をするつもりなのだ。


「遼介君か」


美咲は顔を赤くした。


分かりやすかった。


昔から変わらない。


隠し事が下手だった。


しばらく雑談した後。


美咲は急に真面目な顔になった。


「恒一さん」


「何じゃ」


少し迷う。


そして言った。


「私、お母さんになる」


恒一は固まった。


数秒。


言葉が出なかった。


やがて。


大きく笑った。


「そうか」


それしか言えなかった。


嬉しかった。


本当に。


事故を知る世代は。


命の重さを知っている。


だからこそ。


新しい命の話は特別だった。


美咲は照れながら笑う。


幸せそうだった。


その笑顔を見ていると。


なぜか胸が苦しくなった。


守りたいと思った。


この未来を。


この笑顔を。


この子どもを。


事故の記憶とは関係なく。


一人の大人として。


そう思った。


夕方。


祭りの準備は最終段階に入る。


神社は人で溢れていた。


春香も忙しそうに動いていた。


だが時折。


倉庫の方を見る。


事故資料のことが気になっているのだろう。


恒一は少し笑った。


本当に真っ直ぐな娘だ。


そして少し羨ましかった。


自分も昔はそうだった。


だが今は違う。


守るものが増えた。


失う怖さを知った。


だから慎重になる。


臆病になる。


それが大人なのかもしれない。


夜。


祭りが始まる。


提灯が灯る。


太鼓が鳴る。


歓声が響く。


島中が笑顔だった。


その中で。


恒一だけが落ち着かなかった。


何度も海を見る。


何度も空を見る。


理由はない。


ただ胸騒ぎがする。


春香を見かけた。


神社の石段だった。


一人で座っている。


恒一は近付いた。


そして隣に座る。


あの会話になる。


本編で語られた。


最後の会話。


真実は大事や。


でも真実だけでは人は救われん。


春香は黙って聞いていた。


理解したわけではない。


納得もしていない。


それでも聞いていた。


その姿が少し嬉しかった。


若い頃の自分なら。


最後まで反発していただろう。


春香は成長していた。


そして別れ際。


恒一は言う。


「美咲を頼む」


本当は。


違う意味だった。


守ってくれ。


幸せにしてやってくれ。


未来へ送り出してくれ。


そう言いたかった。


だが言葉にならなかった。


春香なら分かると思った。


だから短く言った。


「美咲を頼む」


春香は不思議そうな顔をした。


当然だった。


あの時点では意味が分からない。


だが。


それで良かった。


夜風が吹く。


祭りの音が響く。


夏の匂いがする。


そして恒一は思う。


もし人生をやり直せるなら。


事故の日へ戻りたい。


木箱を運んだ夜へ戻りたい。


もっと正しい選択ができたかもしれない。


だが。


人は戻れない。


だから前へ進むしかない。


真実も。


後悔も。


全部抱えたまま。


そして運命の夜は。


静かに更けていく。


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