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凪の亡霊  作者: 鷹司 怜


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【凪の亡霊 特別編】  『真実を見つけた夏(六)』


祭り前夜。


島は一年で最も賑やかな夜を迎えていた。


神社には提灯が並ぶ。


出店の準備も終わる。


港には観光客の姿も増えていた。


子どもたちは走り回り。


大人たちは笑い合う。


どこにでもある夏祭りの前日。


平和な夜だった。


少なくとも。


誰の目にもそう見えた。


春香は神社の石段へ腰掛けていた。


境内から聞こえる準備の音。


遠くから聞こえる波の音。


そして。


胸の奥に消えない違和感。


理由は分からない。


だが落ち着かなかった。


資料の整理は終わった。


記録もまとめた。


明日。


祭りが終わったら。


正式に資料を整理しようと思っていた。


事故を伝える方法も考えようと思っていた。


なのに。


何かが引っ掛かっている。


その時。


石段の下から声がした。


「春香」


恒一だった。


作業着姿。


疲れた顔。


だがどこか覚悟を決めた表情。


春香は立ち上がる。


「どうしたん」


恒一は少し迷った。


そして隣へ座る。


長い沈黙。


夜風が吹く。


提灯が揺れる。


やがて恒一が口を開いた。


「ありがとう」


春香は驚いた。


予想していなかった言葉だった。


「何が」


恒一は苦く笑う。


「調べてくれて」


「怒っとると思っとった」


「怒っとる」


即答だった。


二人とも少し笑う。


だが笑顔は長く続かなかった。


恒一は海を見た。


暗い海。


事故が起きた海。


三十年間忘れられなかった海。


「俺な」


小さな声。


「ずっと逃げとった」


春香は黙って聞く。


「忘れたふりしとった」


「でも忘れられんかった」


その言葉には重みがあった。


三十年分の重み。


後悔。


罪悪感。


沈黙。


全部が滲んでいた。


「春香」


「何」


「真実は大事や」


恒一は言う。


「でもな」


「真実だけでは人は救われん」


春香は反論しようとした。


だが言葉が出なかった。


なぜなら。


少しだけ分かってしまったから。


この数日で。


苦しんでいるのは被害者だけではないと。


加害者だけでもないと。


残された全員だと。


恒一は立ち上がる。


「それだけ言いに来た」


そして歩き出す。


数歩進んだところで振り返る。


「美咲を頼む」


その一言だけ残して。


闇の中へ消えた。


春香はその背中を見送った。


不思議な言葉だった。


なぜそんなことを言ったのだろう。


その時は分からなかった。


翌日。


祭り当日。


朝から快晴だった。


海は穏やか。


空は青い。


まるで絵葉書のような夏空。


美咲は朝から機嫌が良かった。


何度も鏡を見ている。


何度も髪を直している。


春香は笑った。


「分かりやすい」


美咲が赤くなる。


「うるさい」


「今日言うんやろ」


美咲は黙る。


そして頷いた。


遼介に。


全部を話すつもりだった。


赤ちゃんのこと。


未来のこと。


東京へ行くこと。


全部。


春香は嬉しかった。


本当に。


親友の幸せが。


自分のことのように嬉しかった。


だから言った。


「絶対うまくいく」


美咲は笑った。


あの日の笑顔を。


春香は生涯忘れない。


祭りが始まる。


太鼓の音。


笑い声。


夕暮れ。


提灯の灯り。


瀬戸内の夏。


誰もが笑っていた。


未来を信じていた。


そして。


運命の夜が始まる。


春香は知らなかった。


これが親友と交わす最後の会話になることを。


自分が残した記録が。


三十年後。


一人の青年を島へ導くことになることを。


海は静かだった。


あまりにも静かだった。


まるで。


全てを知っているように。



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