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凪の亡霊  作者: 鷹司 怜


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【凪の亡霊 特別編】  『真実を見つけた夏(四)』


翌日。


春香は美咲を呼び出した。


放課後。


港の防波堤。


二人が昔からよく来る場所だった。


夕陽が海を赤く染めている。


漁船がゆっくり港へ戻ってくる。


穏やかな景色。


いつもと同じ景色。


なのに。


春香には違って見えた。


この海の下に。


誰にも語られなかった物語が沈んでいる。


そう思うだけで胸が苦しくなった。


「どうしたん?」


美咲が缶ジュースを差し出す。


春香は受け取った。


そして昨夜の話をした。


録音テープ。


事故。


隠された資料。


恒一との会話。


全部。


美咲は最後まで黙って聞いていた。


やがて小さく言う。


「春香はどうしたいん?」


その質問が一番難しかった。


真実を公表したい。


昨日まではそう思っていた。


でも。


恒一の顔が頭から離れない。


祖父の声も。


あのテープに入っていた苦しそうな声も。


誰も笑って隠したわけではない。


苦しみながら。


悩みながら。


三十年抱えてきた。


そのことも分かってしまった。


「分からん」


春香は正直に答えた。


美咲は少し笑った。


「珍しいね」


「何が」


「春香が迷っとる」


確かにそうだった。


春香は昔から即断即決だった。


迷うくらいなら動く。


そういう人間だった。


だが今回は違う。


真実には人の人生が絡んでいる。


亡くなった人。


生き残った人。


残された家族。


簡単ではなかった。


その時だった。


防波堤の向こうから声がした。


「春香ちゃんか」


振り向く。


小柄な老人だった。


島で漁具店を営む佐伯信夫。


八十歳。


事故当時。


十五歳だった人物。


春香は思わず立ち上がる。


「第七せと丸のこと知っとる?」


言ってから後悔した。


失礼だったかもしれない。


だが老人は怒らなかった。


ただ海を見た。


長い沈黙。


やがて言う。


「乗っとった」


春香の呼吸が止まる。


美咲も固まる。


生存者だった。


初めて会った。


事故を知る人。


老人は静かに語り始めた。


「あの日な」


声は穏やかだった。


「みんな生きようとしとった」


海は荒れていた。


叫び声。


泣き声。


祈り。


今でも夢に見るという。


何十年経っても。


忘れられないという。


「海鬼はな」


老人が言う。


「最初は怖い話やなかった」


春香は息を呑む。


「帰れんかった人を忘れんための話じゃ」


風が吹く。


夕陽が揺れる。


老人は続ける。


「人は忘れる」


「悲しいほど簡単に忘れる」


「せやから作ったんじゃ」


「忘れんために」


春香は黙って聞いていた。


それは初めて聞く話だった。


怪談ではない。


供養だった。


記憶だった。


祈りだった。


「でもな」


老人は苦笑した。


「いつの間にか化け物になってしもうた」


誰かが脚色した。


誰かが怖がった。


世代が変わった。


そして本当の意味だけが消えた。


春香は胸が締め付けられる。


事故のことも。


海鬼のことも。


全部同じだった。


真実だけが消えている。


帰り道。


空は茜色だった。


美咲が隣を歩く。


しばらくして言った。


「公表する?」


春香は答えられなかった。


正しいことをしたい。


でも。


正しいことが誰かを傷付けることもある。


それを知ってしまった。


海を見る。


凪だった。


静かだった。


まるで海そのものが答えを待っているようだった。


その夜。


春香は資料を机に並べた。


写真。


手紙。


録音テープ。


そして白紙のノート。


ペンを持つ。


何を書けばいいのか分からない。


だが一つだけ確かなことがあった。


自分は逃げられない。


この真実を知ってしまったから。


そして。


その決意が。


祭りの日へ繋がっていく。


誰も予想できなかった結末へ。


静かに。


確実に。



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