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凪の亡霊  作者: 鷹司 怜


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【凪の亡霊 特別編】  『真実を見つけた夏(三)』


その夜。


春香は眠れなかった。


机の上には一本のカセットテープ。


古びたプラスチックケース。


色褪せたラベル。


何も書かれていない。


ただ、それだけだった。


時計を見る。


午後十一時四十分。


家族はもう寝ている。


島の夜は早い。


外からは虫の声だけが聞こえていた。


春香は押し入れを探した。


古いラジカセが見つかる。


祖父が使っていたものだ。


埃を払い、コンセントを差し込む。


テープを入れる。


指が震えていた。


なぜだろう。


怖かった。


聞けば後戻りできない。


そんな気がした。


しばらく迷ったあと。


再生ボタンを押した。


ガチャン。


機械音。


そして雑音。


ザーッ……


ザーッ……


何秒か続いたあと。


男の声が聞こえた。


「録音しとるか」


春香は息を止める。


知らない声だった。


だが島の人間だと分かった。


訛りが同じだった。


続いて別の声。


「大丈夫じゃ」


そして沈黙。


数秒後。


さらに別の男が話し始めた。


「県に出したら終わるぞ」


春香の眉が動く。


終わる。


何が。


「航路が無くなる」


「漁業も終わる」


「若いもんは皆出て行く」


声は重かった。


言い訳ではない。


本当に怯えている声だった。


春香は耳を澄ます。


事故の話だった。


第七せと丸。


整備記録。


報告書。


責任問題。


全てが繋がっていく。


そして。


ある男が言った。


「隠すしかない」


春香の身体が固まる。


聞き間違いではなかった。


確かにそう言った。


隠す。


真実を。


事故を。


亡くなった人々を。


春香は拳を握る。


怒りが込み上げた。


なぜ。


どうして。


亡くなった人たちは何だったのか。


残された家族は。


待ち続けた人たちは。


その時だった。


テープの最後に別の声が入っていた。


若い男の声だった。


「これでええんですか」


春香は顔を上げる。


どこかで聞いたことがある。


だが思い出せない。


「ほんまにこれで」


声は震えていた。


苦しそうだった。


泣きそうだった。


そして最後に。


「俺は忘れられん」


録音はそこで終わった。


カチッ。


無音。


春香は動けなかった。


夜中の一時を過ぎていた。


だが時間の感覚は無かった。


ただ一つだけ分かった。


島は知っていた。


事故を。


真実を。


そして隠した。


翌日。


春香は学校帰りに恒一を訪ねた。


港近くの作業場。


漁具を修理していた。


「聞きたいことがある」


恒一は顔を上げた。


「何じゃ」


春香は真っ直ぐ見た。


「第七せと丸」


その瞬間だった。


恒一の手が止まった。


一瞬。


本当に一瞬だけ。


だが春香は見逃さなかった。


知っている。


確信した。


「誰から聞いた」


低い声だった。


祖父と同じだった。


島の大人たちは皆同じ顔をする。


春香は腹が立った。


「何で隠すん」


恒一は答えない。


「何で誰も話さんの」


答えない。


「亡くなった人がおるんやろ」


沈黙。


「忘れたらあかんやろ!」


声が響く。


港に。


海に。


空に。


恒一は長い間何も言わなかった。


そして小さく呟く。


「忘れたんやない」


春香は息を呑む。


「忘れられんかったんや」


その言葉は。


怒りではなかった。


後悔だった。


三十年間積み重なった後悔。


それが声に滲んでいた。


春香は初めて気付く。


大人たちも苦しんでいた。


ずっと。


事故の日から。


それでも。


だからといって隠していい理由にはならない。


春香は決めた。


真実を調べる。


最後まで。


誰に反対されても。


たとえ島中を敵に回しても。


その日の帰り道。


夕陽が海を赤く染めていた。


瀬戸内の夏。


美しい景色。


だが春香には違って見えた。


海の底で。


誰かが待っている気がした。


忘れられた名前たちが。


語られる日を。


真実が明らかになる日を。


静かに。


ずっと。



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