表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凪の亡霊  作者: 鷹司 怜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/47

【外伝第三章】  『約束の岬』


祭りまで、あと七日。


夏空はどこまでも青かった。


港では提灯の準備が進み、神社では太鼓の音が響いている。


島全体が祭りへ向かっていた。


その一方で、美咲の心は別のことで満たされていた。


遼介のことだった。


朝起きると考える。


昼間も考える。


夕方になると会えるだろうかと思う。


そんな自分に気付いていた。


だが認めるのは少し怖かった。


遼介は東京へ帰る。


夏が終わればいなくなる。


だからこそ。


深く想わない方がいい。


そう思っていた。


その日の午後。


二人は島の南側にある古い灯台へ向かった。


観光地でもない。


地元の人間もほとんど来ない場所だ。


灯台へ続く道には背の高い草が揺れている。


蝉の声。


潮の香り。


瀬戸内の静かな風。


遼介は時々立ち止まりながら写真を撮っていた。


「そんなに珍しいですか?」


美咲が聞く。


遼介は笑う。


「珍しいよ」


「ただの道ですよ」


「東京にはない」


その答えに美咲も笑う。


遼介は何でも特別に見つける。


小さな港。


古い船。


石垣。


漁師の網。


自分にとって当たり前のものを、宝物のように見つめる。


だから一緒にいると楽しかった。


灯台へ着く頃には夕方になっていた。


海が見渡せる。


大小の島々が浮かぶ瀬戸内海。


夕陽が水面に光の道を作っている。


遼介はしばらく黙っていた。


そして小さく言った。


「帰りたくないな」


美咲の胸が少しだけ痛む。


帰る。


その言葉。


夏の終わり。


別れ。


全部が繋がっていた。


「まだいるじゃないですか」


「あと一週間」


遼介は笑う。


だがその笑顔は少し寂しかった。


二人は灯台の下へ腰を下ろした。


風が心地よい。


沈みゆく夕陽。


静かな海。


時間までゆっくり流れているようだった。


「美咲さん」


遼介が呼ぶ。


「はい」


「本当に東京へ来る気ない?」


またその話だった。


だが今度は少し違う。


冗談ではない。


本気だった。


美咲は海を見る。


答えられない。


夢はある。


島を出たい気持ちもある。


だが怖い。


失敗したらどうするのか。


家族は。


仕事は。


将来は。


考えるほど足が止まる。


すると遼介が言った。


「怖いのは普通ですよ」


美咲は驚く。


心を読まれた気がした。


「俺も怖い」


「東京の人でも?」


「関係ないよ」


遼介は笑う。


「みんな怖い」


風が吹く。


灯台の影が長く伸びる。


「でも一歩踏み出さないと景色は変わらない」


その言葉を美咲は忘れられなかった。


しばらく沈黙が続く。


夕陽はもう半分沈んでいる。


その時だった。


遼介がポケットから何かを取り出した。


小さなスケッチブック。


「これ」


差し出される。


開く。


そこには美咲が描かれていた。


港で笑う姿。


岬で海を見る姿。


神社の石段を登る姿。


知らないうちに描かれていたらしい。


「え……」


言葉が出ない。


驚いた。


嬉しかった。


恥ずかしかった。


全部一緒だった。


遼介は少し照れたように笑う。


「怒る?」


「怒りません」


むしろ。


泣きそうだった。


誰かにこんな風に見てもらったことがなかった。


ただそこにいるだけの自分を。


特別な存在のように描いてくれた人は初めてだった。


夕陽が沈む。


空が茜色になる。


その時。


二人の視線が重なった。


何も言わない。


だが分かった。


お互いに。


少しだけ。


ほんの少しだけ。


特別になり始めていることを。


その頃。


春香は別の場所にいた。


港の倉庫だった。


叔父の手伝いで荷物整理をしていたのだ。


古い箱を動かしている時だった。


奥から木箱が出てきた。


かなり古い。


見たことがない。


蓋が少し開いている。


中には紙が入っていた。


何気なく取り出す。


そして凍り付いた。


そこには名前が並んでいた。


遭難者名簿。


さらに別の紙。


救助要請記録。


そして最後の一枚。


《救助船出航見送り》


春香は息を呑む。


意味が分からない。


だが何かがおかしい。


島で聞いていた話と違う。


事故ではなかったのか。


なぜこんな記録があるのか。


その時。


倉庫の外で誰かの足音がした。


慌てて紙を戻す。


木箱を閉じる。


だが。


春香の胸には確かな疑問が残った。


島は何かを隠している。


そんな予感だった。


夕暮れ。


港へ帰る途中。


春香は沖を見た。


静かな海。


美しい瀬戸内海。


しかしその瞬間。


海の上に灯りが見えた気がした。


一つ。


二つ。


三つ。


提灯のような灯り。


だが目を擦ると消えていた。


気のせいだと思った。


そう思おうとした。


けれど。


風が耳元で囁いた気がした。


――返して。


春香は思わず振り返る。


誰もいない。


波の音だけ。


だが胸騒ぎは消えなかった。


祭りまで。


あと七日。


運命は静かに動き始めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ