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凪の亡霊 【コンテスト応募作品・一挙全話公開中!】  作者: 鷹司 怜


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【第四部 海鬼】  『第十七章 語られなかった名前』


夕暮れの港。


海の上には無数の提灯が浮かんでいた。


赤い空。


静かな波。


そして揺れる灯り。


三十年前の記録と同じ光景だった。


だが、どこか違う。


遼はそれを感じていた。


春香の願いは叶えられたはずだった。


海底の木箱は引き上げられた。


真実は公表された。


祖父の日記にも、その後の記録が残っていた。


それなのに。


なぜ今、再び提灯が現れたのか。


「まだ何かある……」


遼は呟く。


隣で澪も沖を見つめていた。


藤本老人は険しい顔をしている。


島の年配者たちは皆、不安そうだった。


誰も口には出さない。


だが同じことを考えている。


終わったはずのものが終わっていない。


その夜。


遼は再び蔵へ向かった。


祖父の記録をもう一度調べるためだった。


見落としたものがある。


そんな気がした。


机の上に日記を並べる。


古い写真。


新聞記事。


手紙。


一枚ずつ確認していく。


深夜が近づいた頃だった。


ある写真の裏に違和感を覚えた。


祭りの日の集合写真。


以前も見た写真だ。


裏返す。


そこには薄い鉛筆書きがあった。


消えかけている。


遼は目を凝らした。


春香


美咲


遼介


「遼介?」


聞いたことのない名前だった。


春香と美咲は分かる。


だが遼介とは誰なのか。


その時だった。


背後で音がした。


コツ。


振り返る。


誰もいない。


だが窓の外に白い影が立っている。


遼は飛び出した。


庭へ出る。


月明かり。


蝉の声。


風。


しかし人影は見えない。


代わりに地面に何か落ちていた。


古い鍵だった。


錆びている。


小さな真鍮製。


見覚えがない。


だが不思議と分かった。


これは祖父が残したものだ。


翌朝。


遼は藤本老人を訪ねた。


縁側で茶を飲んでいた老人は、鍵を見るなり表情を変えた。


「どこで見つけた」


「蔵です」


藤本は黙る。


長い沈黙。


やがて深く息を吐いた。


「まだ残っとったか」


その声は諦めに似ていた。


「何の鍵なんですか」


老人は答えない。


代わりに立ち上がる。


「ついて来い」


二人は島の北側へ向かった。


観光客など来ない場所だった。


山道を登る。


蝉の声が響く。


瀬戸内海が木々の隙間から見える。


青い海。


緑の島々。


美しい景色だった。


やがて古い小屋へ辿り着く。


朽ちかけた建物。


扉には錆びた南京錠。


藤本は鍵を差し込んだ。


カチリ。


音がした。


扉が開く。


中は暗い。


長年使われていないらしい。


埃が積もっている。


だが奥に棚があった。


そして一冊の帳簿。


藤本はそれを手に取る。


「読むか」


遼は頷く。


帳簿を開く。


そこには島民の記録が書かれていた。


昭和六十三年。


祭りの年。


そして。


一つの名前。


三上遼介


遼は凍りつく。


自分と同じ姓だった。


さらに読み進める。


年齢二十歳。


東京在住。


夏季滞在。


その文字を見た瞬間。


全身が冷たくなった。


「まさか……」


藤本は静かに頷く。


「お前の父親じゃ」


世界が止まる。


遼は声を失った。


父親。


だが父は島のことなど話したことがない。


一度も。


「どうして……」


藤本は窓の外を見る。


海が見えた。


静かな瀬戸内海。


だが老人の目は遠い過去を見ている。


「美咲はな」


ゆっくりと言う。


「お前の父親と恋仲だった」


遼は息を呑む。


頭が真っ白になる。


美咲と父親。


祖父ではなかった。


祖父は見守っていただけだった。


本当に美咲が愛していたのは。


東京から来た青年。


三上遼介だった。


「そんな……」


藤本は続ける。


「祭りの夜、遼介も海へ行った」


鼓動が速くなる。


「何があったんですか」


老人は答えない。


その代わり帳簿の間から一枚の手紙を取り出した。


封は開いている。


宛名が書かれていた。


遼介へ


美咲より


遼は震える手で封筒を見つめる。


三十年以上前の手紙。


一度も届けられなかった手紙。


そこには、美咲が最後まで伝えられなかった言葉が残されていた。


そして。


海鬼が今も現れる本当の理由も。


遼はゆっくり封を開く。


その瞬間。


外から潮風が吹き込む。


遠くの海で。


再び提灯が揺れた。


まるで長い眠りから覚めた記憶が、今まさに語られようとしているかのように。



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