表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凪の亡霊  作者: 鷹司 怜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/25

【第三部 白いワンピース】  『第十三章 祭りの夜』


昭和六十三年八月十五日。


祭りの日だった。


朝から島は活気に満ちていた。


港には色とりどりの提灯が並び、神社の境内では屋台の準備が進んでいる。


焼きイカの香り。


綿菓子の甘い匂い。


子供たちの笑い声。


太鼓の音。


瀬戸内の夏がそこにあった。


美咲も浴衣を着ていた。


薄い藍色の生地に白い花。


母が喜んで選んだものだった。


鏡を見る。


だが気持ちは晴れない。


胸の奥で何かがざわついている。


今日だ。


そんな気がしていた。


夕方。


神社へ向かう石段は人で溢れていた。


提灯が灯る。


海からの風が心地よい。


境内では太鼓が鳴り響いている。


美咲は人混みの中を歩いた。


笑顔が溢れている。


皆楽しそうだった。


なのに。


自分だけ別の世界にいる気がした。


その時だった。


視線を感じる。


振り返る。


石段の下。


白いワンピースの女が立っていた。


自分と同じ顔。


同じ髪。


夢で見た女。


誰も気づいていない。


美咲だけを見ている。


そして静かに歩き出した。


海の方へ。


「待って」


気づけば追いかけていた。


祭りの喧騒が遠ざかる。


提灯の灯りも。


太鼓の音も。


女は振り返らない。


ただ海辺へ向かう。


防波堤を越えた先。


人気のない岩場。


月が昇り始めていた。


瀬戸内海は静かだった。


女はそこで立ち止まる。


海を見ている。


美咲も立ち止まる。


鼓動が速い。


「あなたは誰?」


声が震える。


女はゆっくり振り返った。


悲しそうな顔だった。


そして。


「思い出して」


また同じ言葉。


「何を?」


美咲は叫ぶ。


風が吹く。


波が揺れる。


女は海を指差した。


その瞬間。


美咲の視界が揺れた。


世界が歪む。


頭の奥に何かが流れ込んでくる。


知らないはずの光景。


なのに知っている。


三十年前ではない。


もっと昔。


嵐の夜。


転覆する船。


海へ投げ出される人々。


泣き叫ぶ子供。


助けを求める声。


冷たい海。


暗闇。


そして。


一つの木箱。


必死に抱えたまま沈んでいく男。


男は最後まで離さなかった。


木箱を。


その光景が消える。


美咲は膝をついた。


息が苦しい。


涙が流れる。


なぜ泣いているのか分からない。


だが胸が締め付けられる。


「これは……」


女が答える。


「忘れられた記憶」


月明かりが海を照らす。


その時。


沖合に灯りが現れた。


提灯だった。


一つ。


二つ。


十。


百。


無数。


海の上に並んでいる。


夢と同じ光景。


美咲は震える。


灯りの間に人影が見える。


男。


女。


老人。


子供。


皆こちらを見ている。


何百人も。


何千人も。


海で帰れなかった人々。


その時、美咲は理解した。


海鬼とは一匹の怪物ではない。


一人の幽霊でもない。


帰れなかった人々の記憶。


忘れられた悲しみ。


それが集まった存在なのだ。


風が強くなる。


波が高くなる。


女が言う。


「返して」


その言葉。


木箱。


夢。


全てが繋がる。


海へ沈んだ何か。


誰かが隠したもの。


それが返されていない。


だから終われない。


だから呼び続ける。


その時だった。


背後から声がした。


「美咲!」


恒一だった。


息を切らして走ってくる。


祭り会場から探してきたのだろう。


顔色が変わっている。


「何しとる!」


恒一は美咲の腕を掴む。


そして海を見る。


沖に浮かぶ無数の提灯。


その瞬間。


恒一の顔から血の気が引いた。


「まさか……」


美咲は気づく。


恒一も見えている。


つまりこれは自分だけの幻ではない。


「恒一さん」


美咲は言う。


「木箱って何?」


沈黙。


風が吹く。


提灯が揺れる。


恒一は答えない。


いや。


答えられないのだ。


「知ってるんでしょ?」


美咲が詰め寄る。


恒一は苦しそうな顔をした。


そして。


ついに口を開く。


「俺のせいじゃ」


その声は掠れていた。


美咲は凍りつく。


「え?」


恒一は海を見つめる。


「俺たちが隠した」


月明かりが照らす横顔。


そこには三十年分の後悔が刻まれていた。


「春香が死んだ夜」


「島のみんなで隠したんじゃ」


海が大きく鳴る。


風が唸る。


沖の提灯が揺れる。


そして。


白いワンピースの女は、静かに涙を流していた。


祭りの太鼓が遠くで鳴り続けている。


だが本当の祭りは、今始まろうとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ