5.5話 深紅と深緑と①
リンファ目線になります。
これは第二妃のお披露目会で、私シェルドント国第三王女リンファ・シェルドントの身に起こった話。
当時の私は何としてもシェルドントの女王になりたく、アベル王子は結婚相手として最適であった。むしろ、これがラストチャンスでもあった。なぜならば私が成人するまでに婿にするのにふさわしい相手を見つけられなければ、自国の貴族に降嫁させられることが決まっていたからだ。あの忌々しい継母は前妻との三人目の末娘である私も厄介払いし、病気がちな父の代わりにあの出来の悪い粗暴な弟を王にし、シェルドントの実権を握ろうとしているのだ。あんな親子が実権を握ればシェルドントは没落への道を歩むことになる。
私はそれを阻止するために、どんな手を使ってでもアベル様を手に入れたかった。私は侍女のハンナと共謀し、アベル王子に酒と少量の眠り薬を飲ませ彼の方から私にキスをするように仕向けようとした。もちろんキスだけでおさまらず続きに持ち込まれたとしても構わない、そんな覚悟を持っていた。
本当はこんなことしたくはなかった。できれば普通に恋愛をして普通の結婚をしたかった。でも、そんなことは認められない。私はシェルドントの王女なのだから。
それでも私は時々心の奥で思ってしまうことがあった。十年ほど前のあの日の、陽だまりの中に戻れないだろうかと。あの子と友達になれていれば私の人生はもっとまともなものになっていたのではないかと。しかし、このときの私にはそんなことを考えている余裕はなかったのであった。
私はお父様や可愛くない弟とともにアベル様達に挨拶をした。継母は体調不良を理由に舞踏会を欠席しシェルドントに残っていた。どうせ今頃はつい最近できた新しい浮気相手と逢瀬を楽しんでいるのだろう。本当に嫌な女である。
アベル様は馬車での発言を撤回したくなるほどの美少年であった。背はヒールを履いている私よりもずっと高く、サラサラとした金髪にターコイズブルーの瞳が映え、均整の取れた顔立ちをしていた。彼は疲れているのか、私のことを見ても目の色一つ変えず淡々と挨拶をした。私は渾身の笑顔をアベル様に向けたのだが、まるで効果がなかった。
私は挨拶を終えると父と弟から離れ、大広間の端の方に待機していた侍女のハンナと合流した。
『あら、姫様。お顔が赤いですわ』
『な、なんでもないわ』
ハンナは少しからかうような口調で笑った。
『まさか、あの王子に本気になられたりしたのですか?確かに素敵な外見ですものね』
『私の一つ年下よ?本気になんてならないわ。ねぇ、私は誰から受け取ればいいの?』
私達は他に聞こえぬようヒソヒソと話していた。そんなに気をつけなくてもいいほど会場は賑わっていたけれど、念には念をいれなければならない。
『あの彼ですわ。黒髪の』
彼女の目線の先には、なんの変哲もない給士がいた。彼が買収した給士の一人らしい。ハンナの話ではもう一人買収しており、手助けしてくれるとのことだった。
『わかったわ。ねぇ、王子が万が一歩けない程になってしまったら?』
『そんな調合にはなっておりませんのでご安心を』
ハンナは涼しく笑った。彼女がそういうのだから間違いはないのだろう。
彼女はいつだって私の味方だった。
父様の他に信用できるのはハンナしかいなかった。
万が一失敗したときにどうすればいいかなどを再確認し、私はハンナから離れた。
私はその後、令嬢たちに割り込みアベル様とダンスすることができた。しかし、彼が私に向ける反応は私が求めているようなものではなかった。彼の顔には「早く終わってくれ」と書かれているかのようだった。もちろん表では爽やかな笑みを浮かべてはいるのだが、それは私もよく使う手なので内心とかけ離れているのがよくわかったのだ。
私は悔しかった。なぜこうも振り向いてもらえないのだろう、と。狙ってた男からは見向きもされず、興味のない男からは嫌というほどアプローチされる。皆私の外見や地位で判断しているのだ。まぁ、地位で判断するというのは私も同じなので何も言い返せないのだけれど。一年以上前にアプローチした、この会場にもいるウェルダのロシュディー様も素敵な方だったけれど手応えがなかった。しかも彼は兄を失い王太子になってしまったのだ。それでは婿にできないので意味がない。私はまた狙いを変えざるを得なかったのだ。
私はアベル様がバルコニーで夜風に当たりにいったところでまたアタックを始めた。他の令嬢たちはアベル様のつれない態度から少し距離を置くことにしたらしい。特にリズニアの年若い令嬢達は学園で彼に会うことができる。ここで無理しなくてもチャンスはあるのだ。でも私はそうもいかない。ここで何としても繋がりをもたなければ先は見込めない。
ここであの二人の存在に気づいていれば、私の運命は変わったかもしれない。このときの私はそんなことに気がつくはずもなかった。
アベル様と従者はイズール語と思われる言葉でやりとりをしていた。内容はよくわからなかったが、アベル様の表情はコロコロと変わり、年相応のあどけなさの残る少年であることを再認識させられた。そんな彼が私に興味を持たない理由が私にはわからなかった。耳を澄ましていると、簡単なイズール語のうちいくつかを聞き取ることができた。『天使』、『彼女』、『触れさせない』、そしてアベル様の少し紅潮した頬。そこで私は理解した。彼には好きな人がいるのだということを。
負けてたまるか。
どんな女なのか知らないけれど、私のほうが努力してきたに決まっている。
そんな感情が私の中を埋め尽くしていく。どんなときでも私は努力し耐えてきた。コンプレックスを解消するためにメイクの技術を磨いた。いかに自分の武器を活かせるかを学んだ。リズニアやウェルダから婿をもらっても大丈夫なように教養を必死に身に着けた。同じくらい令嬢たちがのうのうと恋の話をして盛り上がっている間、私は語学の勉強をした。継母の執拗な嫌がらせにも、血の半分すらもつながっているかわからない弟の暴言にも耐えてきた。それはすべて女王になるため。女王になって早く父を療養させたいから。周りには気づかれていないようだけれど、早くしないと父はどんどん弱ってしまう。父とシェルドントをあの女達から守れるのはもう私しかいないと思っていたから。
私は誰にも負けるわけにはいかない。
ハンナとの作戦では、従者が離れたところで私がアベル様に声をかけ、少し談笑した後、飲み物を持っていく流れになっていた。そして買収したもう一人の給仕が従者を足止めしている間にアベル様に飲み物を飲ませるのだ。
本当はそんな手を使わずして彼と心を通わせてみたかった。そんな気持ちも芽生えていたけれど、私には時間がなかった。そして失敗も許されなかったのだ。
従者がアベル様から離れたのを確認し、私は意を決してアベル様に近づいていった。
「アベル様、先程はありがとうございました」
私はお辞儀をし、可愛らしく見えるように微笑みかけた。
が、それは彼に全く効いていなかった。
「えっと、シェルドントの、、」
アベル様は私の名前すら覚えていなかった。そのことにショックを覚えながらも、私はそれを微塵にも出さず声を発した。
「リンファでございます。第三王女ですわ」
私の武器の一つは声であった。これはあのロシュディー様にも唯一褒められた部分でもあった。
「あぁ、リンファ様。こちらこそありがとうございました」
しかしアベル様には何も効果がなかった。私はとにかく会話を続けようと話題をふる。
「アベル様はダンスもお上手ですのね。イズールでも練習を?」
すると一瞬アベル様の表情が曇った。まずい、これは禁句だったのかもしれない、と私は焦った。
「ええ、まぁ」
しかし私は引けなかった。
「できればイズールのお話など、もう少し聞きたいですわ」
当時の私にはイズールの話題を出せば出すほど彼の心が遠ざかることがわかっていなかった。よく考えれば予想はつくことだったのに脳が正常な判断を下せなかったのだった。
「今は疲れてしまって。またの機会にしていただけますか?」
そのあしらい方は私が興味が持てない相手にするものと同じであった。私は心の中で地団駄を踏みながらもそれを表に出さず次の作戦に出た。
「では、飲み物を持ってまいりますわ」
「いや、今うちの従者が」
「ふふ、遠慮なさらず。少々お待ちを」
私は足早にバルコニーから出た。私の心の中は焦りと苛立ち、そして酒や薬の力に頼らざるを得なくなってしまったことへの悔しさがあった。しかし悔しいなどと言っている暇はなかった。もはや手段を選んでいる余裕はなかったのだ。
私は黒髪の給仕を探し出した。彼とアイコンタクトをし、桜のカクテルを受け取った。少し離れたところではアベル様の従者がもう一人の協力者である給仕に捕まっていた。作戦通りである。私は少しだけ安堵の笑みを浮かべた。
早くけりを着けたいという焦りが私の視界を奪っていたことに、この時の私は全く気づいていなかった。
「はい、どうぞ」
私はアベル様に桜のカクテルが入ったグラスを差し出した。
「桜のジュースだそうで。珍しいのでもってきてしまいましたわ」
私は渾身の笑顔をアベルに向けた。しかし、それでもアベル様は顔色一つ変えなかった。さっきはあんなに可愛らしく頬を赤らめていたのに。私はまだ見ぬそのアベル様の想い人に嫉妬していた。
「ありがとうございます」
アベル様のその言葉には仕方がないという気持ちが含まれていた。そしてその時であった。
「シェルドントの姫君」
私は一瞬耳を疑った。まさかこのタイミングで声をかけてくるとは。私は何かを見られたのではないかとヒヤヒヤした。この男はそういう鋭さを持っていた。私は声のする方を向いた。
「これは、ウェルダのロシュディー様」
私はできる限りおしとやかにロシュディー様にお辞儀をした。
「アベル様はまだ未成年ですよ。それは飲めないのでは」
ロシュディー様は無表情でそう言った。やはり彼は気づいていたのだ。でもここで隙を見せてはいけない。
「あら、私としたことが」
私はおしとやかに返した。
失敗だ。こうなった以上は撤退しかない。
私はこの証拠品ごと引き上げ態勢を整えるしかないと判断した。
「リンファ様。酒の力を使って既成事実をつくろうとしても無駄ですよ」
「嫌ですわ。そんな言い方」
私は微笑みながら口元を手で抑えた。
「貴女ほどの美しいお方であれば引く手あまたでしょうに」
ロシュディー様は貼り付けたような笑顔で言った。本当に嫌な男。ここまでも邪魔をしてくるなんて、と私は思った。
「あら、では貴方がお相手をしてくださるのかしら?」
私は彼が落ちないことを知っていながらも可愛らしく見えるようにロシュディー様を見つめた。彼は小さく鼻で笑った。
「ご冗談を。私は今は王太子、貴女の望むような婿にはなれませんので」
貼り付けた笑顔のままロシュディー様はさらりと返した。ここで去るしかない。私は意を決した。
「そうでしたわね。では、ごきげんよう」
そう言って私はグラスを持ったままヒールを鳴らしてバルコニーを後にした。
私はすぐさま証拠品を渡すためにハンナと給仕たちを探した。しかし、彼らは待機しているはずの場所にはおらず、私は不安に襲われた。適当に置いてしまおうかと思ったけれど、誰かが間違えて飲んでしまったらよくない。また、他の給仕に渡すというのもリスクがあった。あのロシュディー様のことだ。アベル様たちに入れ知恵をしてこれを回収しようとするはずだと予想ができた。この広い会場を顔の割れている私が一人でウロウロしているのは逆に目立ってしまう。私は花の間から出て、一番近くの女性用の手洗い場へ向かった。
しかしそこには清掃中の札がかけられており、上階をご利用くださいと書いてあった。
仕方がないので私は階を一つ上がったところにある手洗い場に向かった。中に入ると、用を足すための3つの個室はすべて扉が空いており、人の気配はなかった。
リズニアはシェルドントに比べて水道の整備が進んでおり、王宮の至るところに手洗い場や化粧室などがあった。普段から招待客が多いからということもあるのだろうが、水源が近くにあり金銭的に余裕があるからこそできる贅沢だなとしみじみと考えてしまった。そんなことよりもこの中身だ。これさえ捨ててしまえば私の勝ち。証拠も何もなくなり、いくらでも作戦を立て直せる、とこのときの私は考えていた。
液体を流そうとして、ふと眼の前の鏡に映る自分が目に入った。その少女は酷く機嫌が悪そうにしていた。
『ロシュディー様め。もう少しで飲ませられたものを!』
私は唇を噛み締めた。ロシュディー様も憎かったが、一番気に入らないのは他でもないアベル様だった。
『私に興味がないっていうの?こんなに美しいのに?』
このときの私は悔しさに押しつぶされそうであった。その苛立ちは募る一方であった。
『次は振り向かせてみせるわ。こんな薬の力を使わずにね。っ!!』
私はさっと振り返った。その瞬間にグラスは床に吸い込まれるかのように落ち、パリンという高い音を立てた。その瞬間にグラスの中身も破片も床に飛び散った。液体が私のドレスにもかかってしまい、ドレスはその部分だけ赤黒く変色した。それは私の心を表しているかのようだった。黒い部分はじんわりと広がっていく。
なぜ私が振り返ったのか。それは鏡に人影が映ったように見えたからであった。誰もいなかったはず、と私は恐怖で固まってしまった。




