71話 呪い
これは、俺が王妃様と話をする少し前の話。
《アベル、話があります。コード殿も。ティオくんはわかってますね?》
ニーナが動かなくなってからしばらくして、ヒースが俺とコードに話しかけた。
『あぁ。覚悟してる』
ティオは何かに気づいていたようだ。
そして、俺も。自分自身が心の奥で気づかないようにしていたのはわかっていた。
『なんですか?』
コードの問いに、ヒースは慎重に言葉を紡いだ。
《巫女様は、アベルとコード殿のことを覚えていません。エマさんもナディアさんのことも。この1ヶ月ほどの記憶があいまいになってます。詳しくは診療所についてからですね》
ヒースのその声は震えていた。
『なんだって』
俺は頭の中が真っ白になった。
それから俺がどうやって診療所にたどり着けたかは覚えていない。何も考えられず、ヒースの言葉がぐるぐると頭の中を巡っていた。
さっきの違和感はこれだったのだ。彼女はやたらに他人行儀だった。
『あ、すみません。急いで伝えないといけないことがあります。ティオとおばあちゃんを呼んでください』
彼女は目を覚ましたときにそう言った。今までの彼女なら名前を呼んでくれたはずである。もしかしたら抱きついたりしたかもしれない。でもそんな様子は微塵もなかった。
『アベル様。気を確かに。とにかくヒースの話を聞きましょう』
『あ、あぁ。そうだな』
とにかく彼女に会わなければ。そう思った。
病室ではライナが静かな寝息を立てていた。
それを見届けると、俺達は診察室の隣の小部屋に集まった。
ゲルデ先生が最後に部屋に入ると一同の空気が一気に重くなった。
『しゃべるウサギのことはティオから聞いたよ。そいつから聞いたんだろ、ライナの状態を』
『はい』
『ウサギよ。詳しく、なるべく詳しく話してくれ。あたしはみんなの会話を聞きながら記憶に関する書物を引っ張り出してくるよ』
そういうと先生は小部屋の奥にある棚をあさりはじめた。
《彼女の心を読み取ったところによると、シュタイナーはどうやら巫女様に呪いをかけたようです》
『まじない?』
《この世界に存在している魔法に近いですが、異なる概念です。精神にダメージを与えるような魔法、と考えていただければわかりやすいかと》
『それでライナの記憶をいじったのか。というか何でお前はそこまで知ってるんだ?』
《わかりません。でも知識として持っています》
『それが事実だとして、どうすれば記憶は戻るんだ?』
《それはわかりません》
『そんな!もっと早く助けられてたら!!』
俺は拳で自身の膝を強く叩いた。その拳は強く握り過ぎているためか、手のひらには血が滲んでいた。
そんなのは痛くも何もない。
絶望と虚しさだけが心に残ったような気がした。
『アベル、様』
コードがそっと俺の拳に手を添えた。
俺は何も答えられなかった。
『まじない、って言ったね。一冊あったよ』
先生は棚から一冊の古びた本を取り出してきた。ホコリを被ったその本は、俺の知らない言語で書かれていた。
『これはトワナの本だ。トワナは島国で独自の文化が発達しているという。呪いもその一つだ。同じ人族でありながら魔族に近いことにも手を出しているらしい。トワナとあまり親交がないのはそういった面があるからだ』
先生はパラパラと本をめくっていく。そのたびに紙の端がホロホロと落ちていく。
『この本によると、この呪いは催眠術と呼ばれてるらしいな。その効果は術者の能力と被術者の抵抗力によって変わるらしい。三日で解けることもあれば、十年かかることも、一生かかり続けることもあるらしい』
『一生』
『あとは、ここだな。無理矢理思い出させようとすると精神にダメージが出ることがある、だそうだ。かけられた側の心の準備が整わないと下手に動けないみたいだな。ったく、余計なことをしやがって。シュタイナー、今度あったら殺る』
先生は拳を握った。
『今回は先生に同意です』
コードもそう言った。
『じゃあ、俺は、ライナに会えない?』
その問いの答えはわかってはいたが、聞かずにはいられなかった。
『そういうことになるな。お前だけじゃない。コードもナディアさんもエマさんもだ。しばらくは顔を合わせないほうがいいだろう』
『そんな。そんなことって』
俺は涙を流していたらしい。頬に温かいものが流れた。
もう二度と思い出してもらえないかもしれない、その事実が重く俺の上にのしかかる。
俺たちが積み重ねた時は消えてしまったのか。
そんな簡単になくなってしまったのか?
『とりあえずあたしはこの本とか役に立ちそうなのを片っ端から読む。ライナの記憶のことはみんなと共有しよう。あと、辻褄も合わせないと。流石にライナが起きたらアクセルの火傷を治すことになるだろうよ。そうなったらなぜ国王が村にいるのかとかも説明できないといけない』
先生のその言葉は理解できたが、理解したくないと心が拒否していた。
こうして、関係者は一度村役場に集められて、ゲルデ先生の説明を聞くことになった。王妃様は気を失っていたのでライナと共に診療所にいることになり、事情を知ったリオニーさんらがみててくれることになった。
『そんな、それではアベルがあまりにも』
母さんは俺を抱きしめて泣いていた。その近くではあの人も頭を抱えていた。
『母さん』
俺はそれ以上言葉を返せなかった。
近くではマチルダさんとウルマーさんも泣いていた。ミリーはティオからもう少し話を噛み砕いて教わっていた。
ケリーはギルさんと一緒に複雑そうにこっちを見ているようだった。
コードとエマさんは暗く沈んでいるように見えた。
村長は表情を硬くしていた。
俺と彼女が積み重ねてきた月日はこんなにも脆かったなんて思いたくない。
絶望とシュタイナーに対する憎悪が渦巻いて心を埋めていく。
あいつを絶対に捕まえてやる。そう俺は決意した。
◇◆◇
診療所に戻ってきた俺達は誰も言葉を発しようとしなかった。
俺は一人でライナの眠っているベッドへ向かった。対角の窓側のベッドには王妃様が眠っていた。
ライナがしっかりと眠っていることを確認して、彼女の額に口づけを落とした。
『必ず迎えにくる。君が思い出すのを待ってるから』
そう俺は彼女に伝え、病室を後にした。
俺はこのあと彼女に会うことなく、村を出たのであった。




