70話 王妃の話
私はただただ見ているしかできなかった。これほどまでに無力な自分を恨んだことはなかった。
最愛の人が目の前で殺されそうになったのを、突然現れた金髪の女性が魔法を使ったのを、彼女が馬に詰め寄るのを、さらに現れた少年達を、ただ見ているしかできなかった。
私はなんて無力なのだろう。
私の目の前に現れた少年は、紛れもなく彼の息子であった。髪の色は違えど、ターコイズブルーの瞳といい、顔の造りといい、明らかであるほど昔の彼に酷似していた。
それは、私が初めて恋に落ちた相手そのものだった。
髪の色は目の前の魔族の女性と同じだった。
そうか、本当に息子がいたんだ。私と結婚する前に愛を育んでいたんだ。
私は目の前が真っ暗になった。
私は上級貴族と呼ばれる王族に近い貴族出身で、当時の宰相の娘であった。昔からアクセルの許嫁になると噂されていて、私自身もそれを望んでいた。私は彼を一目見て恋に落ちてしまったのだから。
彼は21歳のときに国を飛び出した。彼は昔から北の山脈にある秘密の村に遊びに行っており、魔族とも仲良くしていくべきだと考えていた。それが国王陛下とぶつかった大きな原因だった。私がそれを知ったのは彼と婚約してからのことだった。
彼は一ヶ月もしないうちにイズールで捕まり、国に帰ってきた。彼は抜け殻のようだった。まるで全てをイズールに置いてきたかのように。
私はそれでも婚約をしたいと父親に頼んだ。初恋の相手で、落ち込んでいる彼を一番近くで支えたかったから。いつかは私のことを見つめてくれると信じて。
彼はだんだんと心を開いてくれた。そして彼は話してくれた。イズールで魔族の女性と恋に落ちたと。自分は君のことを愛せないから婚約を破棄してくれないかと。
「私はそれでもかまいません。貴方を慕っておりますので」
私はそう答えた。それは心の底から思っていたことだった。
そこから彼と私の関係は改善されていった。
でも、いつかその人が現れるのではないと、いつも心の中で怯えていた。
彼はいつしか私や子どもたちを想ってくれるようになった。それでも私の不安は消えることはなかった。
「ヨハナ、話がある」
彼は突然例の村に行き、2週間ほどで帰ってきた。私は嫌な予感がしていた。ただでさえ、北の方に行ってほしくない。もう彼女のことを思い出してほしくない。
「何かしら」
「見つかったんだ。彼女が」
その顔には歓喜が隠しきれていなかった。隠そうとしてくれていたのは彼の優しさだろう。
それは嬉しいわよね。ずっと会いたかった人だもの。私に気を使ってくれているのか、全面に出さないあたりが貴方の優しさね。
「そう、なのね」
「しかも、その、息子がいた」
私は驚いた。きっとそういうこともしたんだろうなとは思っていたけれど、子どもまでいたなんて。
「本当に、貴方の子なの?」
「間違いない。君も見ればわかる。これから大臣たちを説得する。それから、一緒に村に来てほしい」
「嫌。会いたくないわ」
「すまないが、これはリズニアだけの話ではないんだ」
「どういうこと?イズールのただの家出娘でしょ」
「王女だったんだ。イズールの」
「なんて、こと」
私は驚くことしかできなかった。なんというめぐり合わせか。これはもう国同士が動くことになる事態であった。
「私は、私達は、捨てられてしまうのでしょうか?」
「そんなことはしない。でも、国の制度を少し変えることになるかもしれない」
「それは、彼女を第二妃として受け入れると?」
「第二妃が存在したのは戦前のことだし、この国の宗教的にも正直国民が受け入れるとは思えないけれど、俺はそれでも」
「わかりました。彼女を見て判断いたします。受け入れられないような人であれば、そのときは私も黙ってませんから」
「わかった。すまない、ヨハナ」
彼は私を抱きしめた。それでも私の不安は募る一方だった。
私は道中も小型馬車の中で一人泣いていた。
私からアクセルを奪う女が許せなかった。
きっかけを作った息子が憎かった。
何よりも、醜く染まっていく自分の心が許せなかった。
◇◆◇
目が覚めるとそこはベッドの上だった。オレンジ色の光が入ってきたことから、もう夕方であることがわかる。
簡素なベッドが6つ並ぶ部屋には私の他にもう一人、肌と髪の白い少女がいた。彼女は対角の位置のベッドに横になっており、静かに眠っていた。
「殿下。お目覚めでしたか。お加減はいかがですか?」
そう声をかけてきたのは黒髪に白髪の混じった初老の男性だった。
「大丈夫です。えっと、あなたは?」
「申し遅れました。私、アジール村の村長を務めさせて頂いておりますヘルムート・ディステルと申します」
「そうでしたか。そんなに固くならずに接していただけると助かりますわ。あ、アクセルは、あの人は無事ですか?」
「はい。火傷の手当もいたしましたのでご安心を。少し跡はのこるかもしれませんが、そこの彼女が治しましたから」
村長のさす彼女とは対角のベッドに眠る少女のことであった。私には理解できなかった。
「それは、どういう?」
「彼女は、傷を癒やす力を持つのです。普通の魔法とは少し違うものです」
それを聞き私は驚いた。イズールについての知識は多少はあるつもりであった。しかし、傷を癒やすような魔法の存在は知らなかった。
「この村にはそんなこともできる人がいるのですね。アクセルからこの村のことは聞いておりましたがそこまでとは」
「彼女が特殊なのです。私は陛下に殿下が目覚められたことを伝えてきます。ゆっくりお休みになっててください」
そういうと村長は部屋から出ていった。
私は窓から夕日に染まるラヴィーネの山々を見ていた。こんなに美しい風景を見たのはいつぶりだろうか。公務に追われ、王妃としてあるべき姿に押しつぶされて、顔も知らぬ女の影に怯え、私は自然を愛でる気持ちを忘れていたのかもしれないということに気付かされた。
その時、対角にいた彼女が目を覚ました。私は彼女のことを、無意識に見つめてしまっていた。
「んー、よく寝た。あれ、えっと、、あの、、」
彼女は伸びをしたあと私の存在に気づき、あたふたしはじめた。
「こんにちは、お嬢さん。アクセルのことを治してくれたんですってね。ありがとうございました」
私は頭を下げた。
「い、いえいえ!!当然です。我々の国王様ですからね!アクセルってことは、もしや、王妃様でいらっしゃいますか?」
「ええ、とりあえず」
「うわぁ、一日でお二人に会えるなんて。眼福です。村に住んでいてお会いできるなんて思ってもいませんでした。でも、どうして村に?」
彼女のその言葉に何も聞かされていないことを悟った私は言葉を濁した。
「色々ありまして」
「すみません。失礼でしたね。せっかくいらしたのですから、ゆっくりなさってくださいね」
「ねぇ、貴女、お名前は?」
「申し遅れました、ライナ・イーリスと申します」
「ライナさんは、貴女より少し年上の金髪の少年のこと知ってる?」
村に住んでいる彼女なら彼のことを何か知っているかもしれないと思い、軽い気持ちで聞いてみた。
「村には金髪の方は何人かいますが。男子で、同世代、、、その方がどうかされましたか?」
彼女は何もしらないようだった。そうよね、一般の少女が王族のことなど知るわけがない。そう気づいた私は首を横に振った。
「いいえ、知らないならいいの」
「すみません。私そろそろ行きますね。失礼いたします」
ライナという少女はそう言うと頭をペコリと下げ、ベッドから起き上がり、部屋を出ていった。
◇◆◇
「ヨハナ!良かった。目が覚めて」
それからしばらくしてアクセルが私のところに来てくれた。彼は優しく私を抱きしめた。いつも感じる香りが私を安心させた。
「心配をおかけしました。何もしてない私が倒れるなんて、王妃失格ね」
「俺が悪かった。君の忠告を聞いていればよかったんだ。それで、あの。君が心配だからって、来てるのだが、会いたくないよな?」
それはあの親子のことだということがわかった。今までの私なら拒否していたかもしれない。けれど、
「いいえ、通していただけますか?私もお話したかったので」
私は二人に会う道を選んだ。
嫉妬に駆られるだけでは王妃は務まらない。ちゃんと判断しなければ、彼にふさわしい人たちなのかを。
二人はアクセルと入れ替わるように入ってきた。二人の顔には緊張の色がみえた。
「王妃様。先程はお見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありません。ナディアと申します」
「アベルです。リズニア語はまだ慣れていないので失礼があったら申し訳ありません」
二人は普通に聞き取れるレベルのリズニア語で挨拶し、頭を下げた。ナディア様を見て、アクセルが夢中になるのも無理はない、と私は素直にそう思った。悔しいけれど彼女は年齢を感じさせない美しさ持っていた。ただ美しいだけではなく彼を助けるほどの強さを持ち合わせている。私に勝ち目などない、そう思えば思うほど心は再びドス黒く塗られていく。
アベルという息子は声まで昔のアクセルに似ていた。
「いいえ、こちらこそ。おかけになってください」
私がそう言うと、二人は病室の椅子にかけた。
「アクセルを、国王を救っていただいてありがとうございました。貴女がいなければどうなっていたか、考えただけで震えます」
「こちらこそ、アクセル様から聞きました。殿下が止めようとしていたと」
「ヨハナで結構ですわ。ナディア様」
「ありがとうございます。そもそも巻き込んでしまったのは私達が村に来てしまったからでして。本当に申し訳ありません」
「本当に、迷惑だわ。そもそも、私は魔族のことは好きになれませんわ」
「、、はい」
ナディア様が大きな金色の瞳を伏せた。
「私と子ども達からアクセルを取らないでくださる?」
つい、私の口からはそういう言葉が出てしまう。黒く塗りつぶされた心からは棘のある言葉しか出てこない。良くないとはわかっていながら止められなかった。
「口を挟んですみません。母さんは、一目会えたのでそれでいいと言っているんです。あの人との婚姻も考えていません。ヨハナ様から奪うつもりはないのです」
少年は必死に母をかばう。その姿に私の気持ちも少しだけ揺れた。
「イズール国の王女様をないがしろにはできませんわ。結果としてアクセルは貴女と婚姻を結ばざるを得ないでしょう」
「それは、、」
「貴女には恩がありますわ。彼が生きているからこそこのような話ができますから。さぁ、もう、出ていってくださいますか?」
「わかりました。どうか、お大事になさってください」
二人は頭を深々と下げると去っていった。
そのとき、息子の方はふと対角にあるベッドを見て目を伏せた。
私はその表情を見たことがある気がした。
もっと傲慢な人達かと思っていた。
もっと意地の悪い人達かと思っていた。
魔族ってそうなんじゃないの?
少なくとも今の様子ではそんなことは微塵も感じなかった。
いや、演技がうまいのかもしれない。
でも。
このまま私が認めなければ、悪者になるのはきっと私の方なのだと自覚した。それほどに親子はこの物語の主人公であるかのように輝いていた。それは外見だけではなく、もっと内側の輝きのように感じた。
「もっと、嫌な人たちだったらよかったのに」
私は窓の外を見つめながらそうつぶやいた。
外の夕焼けは相変わらず美しかった。
私が取るべき選択肢は何か。私はベッドの上でずっとずっと考え続けていた。




