50話 嫉妬と限界
ライナは入浴を済ませ、部屋着の桜色のネグリジェに着替えた。半袖で、丈は膝下まである一般的なものである。自室にある鏡をみて髪を整える。髪はまだ乾ききっておらず丁寧にタオルで水気を拭き取っていく。部屋は数個のランタンと満月に近い月の明かりで照らされている。
鏡に映る自分の瞳をみて、彼女は覚悟を決めた。
"アベルになら、打ち明けられる。幻滅されるのは悲しいけど、何も行動せずに終わっちゃうのは嫌だ"
そこでドアがノックされた。彼女は自らドアを開ける。
『どうぞ』
ライナはアベルを部屋の中に入れると、廊下に誰もいないことを確かめ、静かにドアを閉めた。
『そんな慎重にならなくても』
『お母さんたちうるさそうじゃない?別にやましいことがあるわけではないけど』
『まぁ、こんな時間だしな。あのさ、』
《あ、アベル。先に診療所でのことを話しておいたほうがいいのでは?後々わかると巫女様がショックを受けるかもですよ》
ヒースの言葉が伝わってきた。
『何のこと?』
『実は、リオニーさんに告白されたんだ』
『えっ』
『いや、黙ってる必要はなかったんだけど、余計なこと思わせたくなくて。ごめん、黙ってて』
『ううん。そりゃ、アベルモテそうだもん。別に私には関係のないことだから』
ライナは目を伏せた。
『本当にそう思ってる?』
『気にしないよ。と、友達なんだから』
『ちょっとくらい、嫉妬してくれるかなって思ったんだけどな』
アベルは寂しそうに笑った。
『な、何で嫉妬しないといけないのよ』
ライナは少し顔を赤らめながら言った。
『もちろん丁重にお断りしたから。俺はライナが』
『なんか、ごめんね。あ、椅子どうぞ』
ライナはアベルの話を無視してアベルに自身の椅子に座るように促した。自分はベッドに腰掛けた。
二人に気まずい空気が流れる。
『ごめん。素直になれなくて。その、ちょっとショックで。ダメだね、素直になろうと思ってたのに』
ライナが目を伏せながらポツリと言った。
『いいんだ。あのさ、俺の話を聞いてから判断してほしい。君にとって俺は素直になってもいい相手なのか、見極めてほしい』
アベルにそう言われ、ライナはこくんと頷いた。
アベルは幼いときの話からこの村に来るまでの経緯を話し始めた。
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俺は物心がついた時からずっと忌み嫌われてきた。それは人族を嫌うイズールでは当たり前のことで、混血である俺が王族にいるということもまた周りを悩ませていた。一貴族くらいなら徹底的にいじめ通せるかもしれないが、王族となると表立ってはできない。使用人たちも含め、徹底的に俺を無視し、国王の目が届かないところでジリジリと俺を追い詰めていった。国王は、俺の祖父は根っからの人族嫌いである。王妃を早くに亡くし、可愛がっていた娘の子どもだからという薄い情のようなものはあったらしいが、めったなことでもない限りは俺達を助けようとはしなかった。そんな祖父に俺は苦手意識があり、まともに会話した記憶はほとんどなかった。
優しくしてくれたのは母とエマさん、母の兄であるレナード王子くらいだった。伯父さんは王族のメンツを保つため、表立っては俺のことを擁護はできなかったが、影では色々と俺たち親子を支援をしてくれた。
俺が学園の初等部に通うようになると、親の目が届かなくなるところが増え、学校での嫌がらせが日常的に行われた。同じ子どもから無視されるのは当たり前、教師ですら無視や嫌がらせをしてくることもあった。母さんに心配をかけたくなかった俺はずっと黙って過ごした。ここで反抗していれば何かが変わったのかもしれないが、迷惑をかけたくないという一心でひたすら耐えた。
俺が8歳のとき、エマさんの息子であるコードが従者となることが決まった。これには最初エマさんも反対したが、国王に頭の上がらないエマさんは従わざるを得なかった。俺は当初頭を抱えた。その前からコードの良くない噂は俺の耳にも入ってきており、影で俺に嫌がらせを指示してたというものまであったからだ。従者になってからもコードは俺に冷たく当たり続けた。従者なんて名ばかりで、踏みつけられたことも首をしめられたこともあった。
『え、そんな?!』
『まぁ、影で指示してたというのは周りがコードに着せた濡れ衣だったんだ。それがわかるのはもう少し後の話なんだけど。踏まれたりとかは日常的にあった』
『信じられない』
『だろ?』
ある出来事からはコードも丸くなって俺たちは仲良くなった。
そこからはコードの存在もあって、少し人間らしく生活できている感じがあった。この頃には王族直轄の近衛兵のごく一部とは比較的いい関係が築けた。しかし、特に上級貴族と呼ばれる王族の取り巻きがそれを気に入らなかった。次は俺の仲のいい人、コードやエマさん、そして母さんへの嫌がらせがエスカレートし始めた。特に母さんへの嫌がらせは誰がやったかわかりにくく陰湿だった。大々的にやれば溺愛してる国王にばれるから。俺は正直、自分がやられるより身近な人がやられるほうが堪えた。そして、イズール追放に至る出来事に発展した。全ては俺のせいだった。
ライナは静かに俺の話を聞いてくれた。その瞳には涙がにじんでいる。あぁ、何て愛しいんだろう。君がいてくれたら、俺はもっとがんばれたのかもしれないとも思った。
あれは2の月の終わりのことだった。いつものように嫌がらせを受けながらも稽古場で剣術の訓練を終えようとしていた時だった。コードは、俺の着替えが切り裂かれているのをみて、替えを取りに行っていた。
『これはこれはアベル様。今日も剣術に励んでいらっしゃったのですね』
貼り付けたような笑みを浮かべた小太りの男、ロスタベルク卿が突如現れた。ロスタベルク卿は王都近くのラヴィーネ山脈の麓の土地を治める辺境伯であり、ここ数ヶ月俺の前に姿を表すことが何度かあった。この辺境伯は母さんを確保したときに活躍したとも言われており、国王からの信頼も厚かった。
『わざわざお声を掛けいただき恐縮です。訓練が残っていますので、これで』
俺はこの人となるべく関わりたくないので早々に話題を切り上げようとした。
『まぁ、アベル様ともあろう方がそんなに訓練される必要はないでしょう。あ、すみません。魔法が使えないんでしたね。それでは訓練の必要がありましたな』
ロスタベルク卿が嫌な笑みをまた貼り付けて言ってきた。こう言う挑発行為には慣れていたのでさらりとかわす予定でいた。
『はい。剣術と体術はしっかりと身に着けたいですので。では』
俺は踵を返そうとした。が、さらにロスタベルク卿が口を出す。
『さぞ王女殿下もお嘆きでしょうな。国王陛下も。こんな出来損ないが生まれてきて。やはり人族の種が良くなかったのでしょう』
卿は気持ち悪い笑みを浮かべた。
『品のない話はここまでです。そのような話しかないのであればお引き取りください』
俺は苛つきが抑えられなくなってきていた。
『王女殿下も物好きですよな。混血を好んで育てられたとは』
俺は激しい頭痛に襲われた。明らかに挑発されていることはわかっていた。これにのれば母の立場がますます悪くなることも。
『それ以上、母を愚弄しないでいただきたい』
それでも俺は無意識にロスタベルク卿に稽古用の鉄剣を向けていた。
『その目つき。おお、おぞましや。こんな冷徹な瞳なんて他に見たことがありませぬ。王女殿下も人族などと交わられて不幸でございましたね。もしかしたら、ナディア様の方から誘われたのやも』
ブツリと頭の中で何かが切れた。
『母を愚弄するなといっただろ?!』
俺はロスタベルク卿に剣を振りかざしてしまった。剣は彼の右肩に当たり、彼はうずくまった。
練習用とはいえ、日頃訓練を積んでいない人にはただの凶器である。切れた俺はそのままロスタベルク卿に掴みかかり、顔を何発も殴ってしまった。気がついたときには相手の顔は血にまみれていた。
そこへすかさず卿の護衛が複数現れ、俺を取り押さえた。実にいいタイミングで。
『いくら王族といえど、ロスタベルク卿に対してこのようなことを。我々が見ておりました。これは国外追放に値する行為である』
まるで台詞の決まっている茶番劇だった。
そこにコードが駆けつけ、俺は自室へ戻された。
『酷い。挑発してきたのは向こうなのに』
『それでも、俺は挑発に乗り、力で押さえようとしてしまった』
『貴方は、何も悪くない』
そう言ってライナは俺の右手にそっと手を重ねてくれた。
彼女の瞳からは涙が溢れていた。
なんて優しい人なんだろうか。俺の代わりに泣いてくれるのか。
俺は胸の中に温かさを感じた。
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『その後、国王が発行したとされる公式な書簡が俺のもとに届いた。そこには俺一人を国外追放とするということが書いてあった』
『そんな?!』
『コードによれば良くできた偽物だろうって。国王陛下に直接確認しようと言ってくれたんだが』
アベルは右腕で自身の両目を覆った。
『もう、耐えられなかったんだ。イズールにいることが。だから、正直、国外追放の字列が嬉しかった。もし偽物だったら俺はここにまた閉じ込められる。そのことに、何よりも耐えられなかったんだ』
アベルは肩を震わせて泣いていた。
『母さんもコードたちも一緒に来ることになって、結果として、みんなを危険な目に合わせてしまった。俺の身勝手のせいで。追手から深手を負ったときも、これで全てから解放されたって、思ったんだ』
『アベル』
ライナはそうつぶやくと、椅子に力なく腰掛けているアベルを正面から優しく抱きしめた。
『ライナ、ごめん。色々、思い出したら、止まらなくて』
『甘えていいんだよ。貴方は悪くない。そんなに傷ついてたのに、私何にも知らないでビンタまでしちゃって。ごめん』
『いいんだ。あれは俺が悪かった。俺さ、正直、ライナやティオ、村の人たちがすごく羨ましい。人種に関係なくお互いに認め合えてて。瞳の色が違うからって、魔法が使えないからって嫌われなくて。俺も、ここで育ちたかった。みんなともっと早く知り合いたかった。友達になりたかった。君とずっと離れたくなかった』
アベルが落ち着くまでライナはアベルを抱きしめていた。
『ごめん、なんか、ライナの優しさに漬け込むような感じだよな』
アベルがライナから離れようとしたが、彼女は離さなかった。
『ライナ?』
『人間って、ないものねだりなんだね』
ライナがポツリといった。
『私は、貴方が羨ましいって思ってた』
ライナは静かにそう言ってアベルから離れた。
『それは、どういう?』
アベルは驚いた。今の自分の話に羨ましがる要素なんてなかったからである。
『お母さんからもお父さんからも愛されてて』
ライナは目を伏せた。
『それは君だって、あ。』
そこまで言ってアベルは気づいた。彼女の意図に。
『ふふ、贅沢な悩みよね。こんな素晴らしい環境でのうのうと暮らしてるくせに、心の穴がふさがらないの』
『それは当然の、ことだと思う。親は自分にとって特別な存在だと思うから』
アベルはどうしていいかわからず、考えながらゆっくりと答えた。
『私、殺したの。その特別な人を』
ライナのその瞳は暗い色にのみ込まれていた。




