45話 金髪少年、女医を手伝う
『母さま、僕、何か悪いことしたの?』
金髪の幼い少年が、同じ金髪の女性に尋ねた。
俺はこの場面を知っている。
『いいえ。貴方は悪くないの。私のせいで辛い目に合わせてごめんなさい』
金髪の女性はそう言うと少年を強く抱きしめた。女性は泣いていた。
『母さま、泣かないで。僕ね、まほうは使えないけど、母さまを守れるように強くなりたい。母さまの悪口を言うやつはね、僕がボコボコにするの』
『だめよ。暴力で解決しようとしては。暴力は相手も自分も傷つけてしまうわ。きっと他の解決方法があるはずよ。約束ね』
『はーい。やくそくする』
幼い俺と母さんは指切りをした。
振り下ろした剣の感覚。
拳に感じる鈍い痛み。
頭痛。吐き気。どす黒い感情が心を埋め尽くしていく感覚。
俺はこの感覚を知っている。
◇◆◇
久しぶりに見るその類の夢に、アベルの体は震えていた。
4の月23日目。この日は朝から小雨がぱらついていた。アベルはみんなとの朝食後、ヒースを連れてライナとティオについていきアンナの家を訪ねた。ケリーは朝から走り込みをするために早めに学校に向かったらしく、会うことはなかった。アベルは内心ほっとしていた。
「アンナ、このウサギのことなんだけど」
ライナがアベルの腕にいるヒースを指しながら言った。
「ライナお姉ちゃん、この子すごいね!お話してくれる!」
アンナはアベルからウサギを受け取り、なでながら言った。
「やっぱり。なんて言ってる?」
「かわいい女の子はせいぎですねって。どういういみ?」
「知らなくていいのよ。ありがとう。この子がしゃべること、みんなには内緒にしてくれる?ミリーも知らないの」
「わかった。ないしょにする!」
アベルはそのままヒースを受け取り、内容を聞き二人を見送った。
アベルは自室に一度戻り、ヒースをゲージに戻した。
『お前、またセクハラ発言して』
《たらし、な金髪に言われたくありません》
『一途の間違いだ』
《他の女性を押し倒しておきながら、まだそんなこと言うなんて》
『あれはノーカンだろ。本当に男だと思ったんだ』
《この部分しか知らない人はアベルがさらにやばいやつだと思ってしまいますね》
『このセクハラウサギめ。それにしても、アンナもお前の言葉がわかったのに、なんでティオはだめなんだろうな?』
《そんなこと僕に聞かれても》
『だよな。じゃあ、下にいくぞ』
アベルはヒースを連れて下に降り、軽くマチルダの手伝いとして皿洗いをした。マチルダの機嫌はなおっており、アベルは内心ホッとしていた。ヒースは母親たちによって可愛がられて満足そうにしていた。
そのまま彼を預け、身支度を始めた。
この日はリズニア語の自習と筋トレ、ヒースの世話などで緩やかに時は流れていった。
◇◆◇
4の月24日目。この日も小雨が降っていた。
アベルはマチルダに傘を借りて診療所に足を運んだ。ちなみにヒースは留守番である。
受付で尋ねるとゲルデは診察室にいるということだったので向かった。朝早くだったからか、患者はまだいなかった。
ドアをノックして中に入ると白衣に羽織ったゲルデが机に向かって書き物をしていた。珍しく眼鏡をかけていた。
『おお、ほんとに来たな。よろしく頼むよ。これから患者が来るから細かいことはリオニーから聞いてくれ』
そう言うとゲルデは眼鏡を外し、白衣の胸ポケットにしまった。
『はい。精一杯頑張らせていただきます』
『なんかやけに気合入ってるな』
『ゲルデ先生には多大な御恩があるので。あと、これありがとうございました。とても役に立ちました』
アベルはそういうとカバンから前に借りた辞書を取り出した。多大なる御恩とは、ライナの命を救ったという話である。その話も聞けたらいいなと思っていた。
『それ、いるか?ボロいが物はいいぞ』
『いいんですか?』
『あたしはもう使わないからね。字がちっさくてたまらんよ』
『では、お言葉に甘えさせていただきます。宝物にします』
『ははは、そうかい。じゃあよろしくな、がきんちょ』
『はい』
アベルは一礼すると診察室を出て受付にいった。
患者らしきおじいさんやおばあさんが待合室に座っていた。
アベルが受付のリオニーに掃除をする場所を尋ねると愛想よく案内してくれた。リオニーは20代前半の看護助手の女性である。この診療所には彼女を入れて三人の助手がいるが、その中で一番若そうだった。ライナよりやや小柄で黒い髪をお団子のように結んでいる。丈の長い紺色のディアンドルを身に着けている。これは看護助手の制服のようなものだった。
アベルは病室の向かい側で診察室の隣の小部屋に案内された。
『アベルさん、お体はいかがですか』
リオニーが顔を赤らめながら尋ねる。
『ええ、おかげさまで。色々とお世話になりました』
『いえいえ!仕事ですから。アベルさんがいなくなってすっかり寂しくなっちゃいました。あ、変な意味じゃないですよ!』
リオニーはさらに赤くなる。
『俺以外いなかったですからね、長く居たのは。どこを手伝えばいいですか?』
アベルは爽やかに尋ねる。
『この棚の上の荷物を下におろして整理をお願いします。台に登っても手が届かなくて困ってたんです。先生も背が高いですがおまかせするわけにはいかなくて』
『わかりました』
『雑巾はこちらを使ってください。また何かあれば気軽に声をかけてくださいね』
リオニーはペコリと頭を下げ、部屋を出ていった。
アベルは台に上がり、棚の上の箱を降ろそうとしたが、なかなかの重さがあった。
体勢に気をつけながら箱を下ろすと、そこにはたくさんの医学書らしきものが雑然と入っていた。どの本も大量のホコリをかぶっている。アベルは雑巾を使って一冊ずつ丁寧にホコリを取り除いていく。
数十冊終えたところで、最後の方に気になる題目の本があった。
『遺伝因子の考察?』
先日のスタンの話にも遺伝という言葉が出てきたので気になって手にとってみる。アベルは部屋の中にあった古い椅子に腰掛けて本をめくる。中は幸いにもイズール語でかかれており、内容は難しいがどうにか読めるものであった。
パラパラとめくっていくと、手書きで下線が引かれている部分があった。
アベルはその前後も合わせて読んでいく。
『これは、、、』
アベルはその内容に目を見開いた。
『入るぞ。どうだい?なかなかのホコリだろ?』
ゲルデがノックなしで入ってきた。
ゲルデはアベルが読んでいるその本と表情からすべてを悟った。
『そういうことだ。それが真実への鍵の一つだよ』
『でも、これぐらいなら隠す必要も何も。というか、先生は彼女の真実を知ってるのですか?』
『あぁ。ウルマーからだいたい聞いてる。私からは言えないことだ』
『彼女は約束してくれました。いつか話してくれると』
『ほぅ。それはすごい進歩だね。よほど信頼されてるんだね、あの子に』
『それはわかりませんが、そうだったら嬉しいです』
『もしも踏み込むならね、覚悟が必要だ。二度と悲劇を繰り返しちゃいけないんだ』
『はい。僕は彼女を受け止められる人間になりたいです』
『なら覚えておくんだ。彼女は被害者だ。無知は時に恐ろしい凶器になる。そして、彼女は、2つの事実のうち1つしかしらない。それを真実だと思っている』
ゲルデは緑色の瞳を少し伏せた。
『2つのうちの、1つ』
『2つとも知ってしまったら、きっと彼女は自分を保てない。私達祖父母と両親は墓場まで持っていきたいと思っている。お前に教える気はないよ』
『知っても知らなくても、僕の気持ちは変わらないですから』
『お前は良くても、それ以外はどうだろうね』
ゲルデがぼそっとつぶやいた。
『説得します。何が何でも』
二人の間にはしばしの沈黙が流れた。
『先生、僕には何ができるのでしょうか』
『そんなのは自分で考えな、ガキ』
『ですよね。彼女のためもそうですが、もっと多くの人のために、僕ができること。僕にしかできないことをしたいんです』
『お前はすでにわかってるはずだよ。最初に見たときとは全然違う顔をしてる』
『あのときはやさぐれてたので』
アベルは気まずそうに視線をそらした。
『ライナから一発くらっといて良かったな』
『ええ。おかげで目が覚めました。ライナには感謝してもしきれません』
『ったくさ、かわいい孫を悲しませるんじゃないよ。今度泣かしたら殺しに行くからな。国王の子だったとしても』
ゲルデは緑色の瞳をギラつかせて言った。
『医者が殺すとか言わないでください、貴女に言われると洒落に聞こえない』
アベルは少し顔を引きつらせながら言った。
『洒落じゃないからな。あの子の苦しみは多岐にわたる。全部理解しろとは言わないが、わかってやってほしいんだ』
『はい』
アベルはまっすぐにゲルデを見た。
その後思い出したようにアベルはゲルデに問う。
『あ、先生。なんでライナに僕の婚約の話したんですか』
『そりゃ事実だし、煽んなきゃあの子は自分の気持ちに蓋をしちまうからさ』
『彼女は、僕のことをどう思ってるんでしょうね。嫌われてはないと思います。でも、頑なに受け入れようとしない』
『あたしに聞くんじゃないよ、女々しいね。まぁ、失いたくないものほどそっと遠くから見ていたいという気持ちもわからなくはないがな』
『それが理解できない』
『だから拒否されるんだろ』
『ですよねー』
アベルはがっくりと肩を下ろしたのだった。
◇◆◇
アベルは小部屋の片付けを終え、ゲルデに挨拶を済ませた。
ゲルデはいつものように手をひらひらとさせたのだった。
受付にいくとリオニーがアベルを待っていた。
『あの、アベルさん。お話が』
リオニーに言われ、二人で診療所の裏庭に出る。雨は上がっており、他には誰もいなかった。
『あの、アベルさん。す、好きです』
リオニーはもじもじしながらアベルに告げる。
『え?』
アベルは突然のことに目を丸くする。
『一目惚れなんです。もしよかったら、その』
そう言いかけたところでアベルが口を挟む。
『すみません。心に決めた人がいるので、その気持ちには応えられません』
その表情は真剣なものだった。
『そう、ですか。やっぱりライナちゃんなんですよね』
『ええ。僕も、一目惚れだったのかもしれません』
アベルは最初にライナを見たときのことを思い出した。
"青紫の瞳の白い天使に、俺は"
『あ、あの。応援します』
リオニーはペコリと頭を下げた。
『すみません、ありがとうごさいます。では』
アベルは診療所を去った。
それをリオニーは少し残念そうに見つめていた。




