14話 仮退院した少年
"あぁ、緊張する"
そんなことを思いながら、アベルは服を整えた。
彼の今の服装は患者服ではない。
いわゆる普通の村人のそれである。ただし、ズボンの丈が合っておらず、九分丈ほどになっている。冬であればブーツを合わせてしまうので問題はないものの、今の季節ではそうもいかないので少しばかり恥ずかしさもある。
"恥ずかしいだなんて言えないよな。ティオくんから借りているのだし"
なぜアベルがライナの兄であるティオの服を着ているのか。それは三日前の放課後勉強会の後に遡る。
◇
『アベル、今週末に一時仮退院なの?そしたら、うちにくるよね?ナディアさんたちともゆっくりできるだろうし、私の家族も紹介できるし』
ひょんなことから仮退院の話題になり、ライナから誘われてしまったのだ。
アベルとしては初めてできた友人からの嬉しすぎる誘いなのだが、最初は難色を示した。
『でも、ほら、着れる服もないしさ。病院周りを少し歩くくらいしか考えてなかったんだけど』
アベルの服は大量の血にまみれてしまったために処分されてしまった。予備の服も下山と襲撃のドタバタの中で鞄ごと崖の下に落ちてしまったとコードが泣きながら謝ってきた。
お前が落ちなくてよかったよ、とアベルが言えば、思いっきり抱きしめられて苦しい思いをしたのはついこの間の話である。
『服ならどうにでもなるよ。ティオの服でよければ借りてくるよ。背丈もそんなに変わらなさそうだし』
『お兄さんのだろ?申し訳ない』
『私からとってはお兄ちゃんだけど、アベルからとったら一つ下だよ。ってか、兄っていうよりはもはや幼馴染みたいなもんよね』
『でも』
『コードさんの服も村役場の人のお下がりだし、何も気にすることはないよ。それに、アベルが正式に退院したらうちに来ることになるだろうし、ね?』
そう言われてしまえば断る理由もなくなってしまった。たしかにアベルが退院すれば一時的にイーリス家にお世話になることは予想された。
いずれは村長と相談して家を借りることになるだろうけれども。
『わかった。お言葉に甘えさせてもらうな』
『やったぁ!さっそくみんなに伝えるね!』
こんなに良くしてもらって悪いな、と思いつつも、アベルの心の中ではライナの家に行ける嬉しさのほうが勝っていた。
◇
そして、4の月14日目である今日は、朝からライナとコードが診療所まで迎えに来て、アベルとともにイーリス家に行くことになっていた。
アベルは軽く伸びをした。
"これ以上やると傷に響きそうだな"
腹部の傷は丁寧に縫われ、頑丈に包帯が巻かれているが油断はできなかった。
本来であれば、動けるようになるまで少なくともあと2週間は必要だと言われていた。しかし、ライナの治療が効きすぎたのか、ゲルデの処方する薬が良すぎたのか、はたまたその両方か、傷は恐ろしいスピードで完治に向かっているようだった。この早さで仮退院が許可されたのはそういう背景があった。
病室に村医であるゲルデが現れた。
彼女の手には小さな白い革製のポーチが握られていた。その真ん中には群青色の花の刺繍がされている。
『アベル、お前の生命力はラヴィーネ毒蜘蛛並みだな』
『うるさいですよ、先生』
入院してから2週間以上が経ち、二人はこんな感じで会話できるようになった。
ちなみにラヴィーネ毒蜘蛛とはこのラヴィーネ山脈から北に生息する鮮やかな黄緑色の蜘蛛のことで、その生命力の強さから揶揄するときに使われることが多い。
ゲルデは、言うじゃないか、と言いながらポーチをアベルに向かって投げた。
アベルは難なく受け取ったものの、首を傾げた。
『これは?』
『万が一傷が開いた時用の包帯と軟膏さ。処置の仕方はライナに教えてあるから巻いてもらいな』
『えっ?!なんでライナが?』
『将来薬師になるならそれくらいできなきゃいけんさ。いい練習台になってやりな』
『なんか、師匠と弟子みたいですね』
『ほんとの弟子は本土にいるんだがな。まぁ、ライナは弟子というよりは』
ゲルデの言葉を遮るタイミングでベルが鳴った。
どうやらライナたちが迎えに来たようであった。
『行ってきな。楽しんでおいで』
ゲルデは柄になく優しく微笑んだ。
"祖母がいたらこんな感じなんだろうか"
アベルはふとそんなことを思った。アベルが生まれたときにはすでに祖母は他界していたため、祖母という存在とのふれあいはなかった。
心が少しばかりくすぐったいような、そんな気がした。
アベルは一泊分の荷物を持って病室を出た。
『おはよう、アベル。歩けそう?』
病室の外、待合室で待っていたライナに見つめられ、アベルは顔を赤らめた。
ライナからリズニア語の問題を出されて以来、アベルはライナのことを意識するたびに心がむず痒くなる感覚に見舞われていた。
そんなアベルの様子を、ライナの隣にいたコードがニヤニヤしながら見つめていた。
もちろんアベルは睨んだのだが、コードには全く効果がなかった。
『おはよう。多分大丈夫だ。数日前から敷地内は歩けてるし』
アベルの言葉にライナはほっとしたように息を吐いた。
そこにゲルデが待合室に現れた。
『ライナ、コイツに無理させるなよ?いざとなればお前が包帯巻くんだからな。あと、治癒魔法は禁止だ』
『わかってますって』
ゲルデの言葉にライナは小さく頬を膨らませた。
『あぁ、あと、これをマチルダに』
そう言うと、ゲルデがライナに小さい紙切れを渡した。
ライナが紙に目を落とすと、その内容に驚いたのかはっとゲルデを見つめた。
『本当に?!』
『嘘ついてどうするんだい。じゃあ、よろしく』
アベルには何がなんだかわからなかったが、あれよあれよと診療所を追い出されてしまった。休診日なんだから休ませな!と言われながら。
3人は診療所から徒歩で10分くらいのところにあるライナの家に向かった。
アベルを中心に三人で並んで歩いていた。
外は薄日が差しているものの、ここ数日より少し涼しかった。
ライナはラベンダー色の膝丈のワンピースの上に白いショールを羽織っていたが、それでも少し肌寒いくらいだった。左腕にはそれを覆う黒い手套をはめている。
『その服、似合ってるな。目の色に合ってるし』
アベルが隣を歩くライナに声をかける。
『ありがとう。お母さんもよく褒めてくれるのよ。平日は学校着しか着ないから休日くらいは好きな服着ないとね!』
『まぁ、学校着の方もいいと思うけどな』
この村の学校着は座学用と運動用に分かれており、ライナが放課後アベルを訪れるときはいつも座学用の学校着を着ていた。
『アベルがそんなに褒めてくれるの、少し気味が悪い』
ライナは眉をひそめながら言った。
『そんなに褒めてなかったか?』
アベルが真顔で問う。
『レッスンでも鬼畜だし、いろんなことを言わせようとするし』
ライナは顔をそむけ恥ずかしそうにうつむく。
これが演技であることくらいはアベルでも判断できるようになってきた。伊達に一週間以上過ごしていたわけではない。こんなライナのお茶目なところもまたアベルは気に入っていたりする。が、誤解されるのはいただけない。
『待て。誤解を招く発言をするな』
二人の会話を聞いて耐えられなくなったコードが吹き出した。
『コード、笑うな!』
『やはり気を遣って二人きりにしたのがよくなかったですね』
『悪乗りするんじゃない!っ痛!』
大声を出したせいか少し傷に響いた。
ライナとコードが謝ると、アベルは少々恨みがましい目で二人を見たのだった。
『嬉しくてつい。アベル様がこんなに元気になられて、本当によかった』
コードが琥珀色の瞳を細めて笑ったのを見て、アベルも自ずと微笑んだ。
自分の回復を喜んでくれる人がいる。
そう思っただけで、心の奥がじんと温かくなった気がした。それと同時になんだかくすぐったくて、つい素直になれない。
『コードは大げさすぎる。俺はそんなに軟じゃない』
『死にかけだった人が何をいってるの?』
ライナがニヤニヤしながらそんなことを言った。
『うっ、それを言われると痛い』
アベルが気まずそうに小さく返すと、ライナとコードはころころと笑った。
そういえば、とコードがライナに切り出した。
『ライナの言葉だいぶ自然になったね。さっき二人で話してた時は気づかなかったけど』
『そうなんです。アベル先生のおかげで。でも、コードさんは大人の方なので今までのままがいいかなと』
先生のおかげ、などと言われてアベルは少し照れた。
コードはライナが病室を訪れる度に、何かと用事を見つけては外出していくのだ。気を遣いすぎだ、と思いつつもありがたいと思っている。そもそも彼は退院している身でありながら、朝から夕方までアベルに付き添っており、そろそろ申し訳無さでいっぱいなのであった。
『俺は全然気にしないのに。君さえよければくだけた感じでもいいんだよ?』
『いやいや、来週から先生になる人にタメ口はきけません』
実はコードは村長に仕事を斡旋してもらい、週の半ばである18日目から村の学校でイズール語を教えることになったのだった。
『コードが先生って、想像できないな。いろんな意味で』
アベルが遠い目をする。
『自分自身もですよ。恩師が知ったら倒れてしまうかもしれないですね』
コードが少し困ったようにはにかんだ。
『一体昔何が?』
ライナが二人に問う。
『ライナ、世の中には知らなくてもいいことがあるんだ』
そう答えたのは表情をなくしたアベルだった。
『そうなんだ』
ライナはこれ以上聞くのをやめた。聞いてはいけない何かを感じたのだった。
『過去は過去ですから。あぁ、恩師は元気にしてますかね。今は一体どこで教鞭をとっておられるのやら』
『カトレイアを退職してでも行きたい学校なんてないと思うんだけどな』
『カトレイアって、学校の名前なの?』
ライナはアベルに話しかけたつもりだったようだが、それに返したのはコードだった。
『ええ。俺の母校であり、アベル様が在籍する学園です。イズールの貴族の子どものほとんどが通っていることもあって、国内ではあそこほど給与が出る学校があるとは思えないんですよね』
『そういえば、二人は貴族様だったよね。、、、敬語使わないといけn』
『もう貴族なんかじゃないし、敬語は本当にいらない。こうやって気軽に話せる相手が、ずっとほしかったんだ』
ライナの言葉を遮って、アベルが力強く言った。その真剣さにライナはごめんね、と反射的に謝った。
『アベル様。そんな言い方をされたらびっくりされてしまいますよ』
『すまない、ライナ』
『気にしないで。これからも村に居られるのでしょう?たくさん友達もできるよ。ふふ、手始めにティオから手懐けましょ』
ライナの言葉にアベルは苦笑した。
『手懐けるって。まぁ、そりゃ仲良くなれたら嬉しいけどさ』
『あの人、人見知り激しいんだけど、この前話した"研究"のこと褒めたり色々聞けばすぐに心を開くと思うの。多分チョロい』
『兄にチョロいとか言うなよ』
アベルはジト目でライナを見たが、ライナはえへへと小さく舌を出しただけだった。
ちなみに研究とは、魔法を使った道具いわゆる魔道具造りのことであり、この前聞いたところによれば、ライナがあの洞窟で使っていた筒状の発光器もティオの発明品なのだという。
イズールでは基本的に自身の魔法でどうにかなってしまう人が多いため、魔道具はあまり発展していない。アベルは魔法が使えないため、幾度となく"こんな道具があれば!"という経験をしてきたこともあり、ティオともっと話をしてみたいと思っていたのだった。
『服のお礼も言いたいし、できれば本当に友人になれたらいいな』
『きっとなれるよ。あ、そうそう、ティオは機械いじりばっかりで服に全然関心ないから、返さなくてもいいかも。ちょっと丈は足りてないみたいだけど』
『いや、それはダメだろ。今度買いに行く』
『買いに行くって、お金は?』
ライナは首を傾げた。
実は4人の財産と呼べるようなものはすべてコードが崖から落としてしまった鞄の中に入っていたため、アベルたちは無一文|ということになっている《・・・・・・・・・・・》のだ。
『村長が無利子で貸してくれてるんだ。退院したら俺もコードみたいに村で働かせてもらって返済する。まだ学生だから休暇日だけの臨時求人に頼るんだけどさ』
『あげるんじゃなくて、無利子で貸すってあたりが村長らしいわ。さりげなくちゃっかりしてる』
『悪く言うなよ。これは村長なりの教育なんだよ。金は湧いて出てくるもんじゃないからな』
『やっぱり村長2号と、』
『ヤメテクダサイ』
そんな会話をしているうちにイーリス家についた。
2階建ての木組みの一軒家で、村では一般的なサイズより少しだけ大きめである。
『他の家より少し大きいな。裕福なところのお嬢さんだったのか』
アベルは家を見上げて言う。
『違うよ。うちは父さんの職業上、お客さんが来ることもあるから部屋数が少し多いだけ。と言っても3部屋だけだけど。そもそも村の家はほぼ全部借家みたいなものだよ』
ライナは間違った認識をされたくなく答えたようだった。
『借家か。この前村長に案内してもらったけど、それでもこの村の仕組みがいまいちよくわからないな。親父さんは輸入業、だっけ?』
そう聞いたのはコードだった。
『ざっくり言うとそんな感じです』
『どんなことをやってるんだ?』
アベルも気になって質問をする。
『うちは村とリズニアを定期的に行き来してモノとかのやりとりをしてるみたい。時々お客さんも来るし』
『え、あの大山脈を越えるのか?!』
アベルは驚いた。村からリズニアの間にも自分たちが越えたような大山脈があるのだ。自分たちは死ぬ思いをしてここまでやってきたのに、それを何度もこなすのだから、ライナの父はとんでもない人物らしいと想像したのだった。
『まぁ、、、ね?』
ライナの曖昧な返事に首を傾げつつも、アベルは感心していた。
『村人のスペックが高すぎる!というか、完全に閉鎖された村ではないんだな』
『詳しくはわからないけど、あんまり公に交流してるわけじゃないみたい。詳しくは高等部で習えるんだって。中等部までは村の詳しいことあんまり教えてもらえないんだよね、学校でも家でも』
『そうなのか』
『今回も父さん、村長に頼まれて急遽出張に行っちゃって、もう2週間になるの。いつもなら戻ってきてる頃なんだけど』
ライナは少し心配そうに言った。
アベルは内心でぎくりとした。
それは十中八九、いや、ほぼ十が自分たちのせいだからである。村長に頼まれてリズニアに行ったのであれば間違いなく自分の父親(とは思いたくないけれど)に関することであろうと予想できた。
『あ、マチルダさんを待たせてしまってるかもしれませんね。行きましょう、アベル様』
コードがさりげなく家に入るように促す。
『あ、あぁ』
なんだか急かされているような気もして、アベルは小さく首を傾げたのだった。
そんな二人の様子を、ライナが穏やかに微笑みながら見守っていたことに、アベルは気が付かなかった。




