10話 ターコイズブルーの瞳
少し遡り、3の月25日目。もう少しで満月になりそうな月が浮かぶ夜中。ヘルムートは自宅のリビングで頭を抱えていた。
その原因は混血の少年だった。
ゲルデからアベルが目を覚ましたという連絡を受けたので、日が落ちた頃に面会に行ったのだった。
◇◆◇
私が夕方過ぎに診療所に顔を出したとき、コードという青年は別の部屋で宿直の医務職員と夕飯を摂ってるとのことだった。
意識がないアベルを訪ねることはできなかった。いや、しなかった、といったほうが正しいのかもしれない。忙しかったというのは事実ではあるけれど、現実から少しでも目を逸したいと思っていたのだ。
これから起こるべく混沌を想像しただけで寿命が縮みそうであった。
私は病室に向かい、ドアをノックした。
中からは少年の声がした。
私はゆっくりとドアを開けた。
アベルという少年と目があった。
ランプの光に照らされた金髪はサラサラとしており、美しいターコイズブルーの瞳から目が離せなかった。
"本当に、こんなことがあろうとは"
その容姿は、髪の色こそ違えど昔の"その人"に酷似していた。
そして、その表情を失った顔にも見覚えがあった。
それは今から17年ほど前の、あの日のアイツそのものだった。
『君がアベルくんだね。私はヘルムート、ここの村長です。傷の様子はどうだい?』
少年の容姿、ナディアさんの証言、そして彼女が持っていたブレスレット。
それらはすべてある人物に繋がるものだった。
『アベルです。ヘルムートさん、この度は保護していただきありがとうございます』
アベルは力なく答えた。
私は顔には出さないように気をつけたが内心でため息をついた。
そうか、遺伝では声まで似るのか、と。
ここまでの確証があれば、ウルマーを動かすしかない。先日帰ってきたばかりだが致し方がないだろう。
今度まとめて休暇を出してやるからと説得しよう。
『今は体をしっかり休めてくれ。今後のことはまた話し合おう。お母さんたちはライナの家でしばらく世話になることになった』
『はい、先程母たちから聞きました。本当にありがとうございます』
『困ってたらお互い様だ。本当によく生きていてくれた』
私の言葉に、アベルは顔を少し歪めた。
それである程度悟った。この少年は死を考えるほど嫌な思いをしてきたのだと。イズールという国の背景を知ればそれは当然のこととも言えた。ナディアさんから少しばかりは話を聞いていたものの、彼の痛みは到底理解しきれないだろう。
『さっきゲルデさんから聞きました。僕の父親と面識が?』
ゲルデめ余計なことを、と思いながらも私は頷いた。
『あぁ、君のことを見てわかったよ。ちょっとややこしいことになるかもしれないから、この件はしばらく私に任せてほしい』
『わかりました。そいつは、その、生きているんですか?』
『あぁ、ピンピンしてるはずだ。なぁ、君はそいつに会いたいか?』
聞くかを最後まで迷っていた言葉だったけれど、彼の意志を確認しないことには何も始まらない。
私の問いに、アベルは少しだけ考えた後、力強く頷いた。
『会いたい、です。会って、思いっきりぶっ飛ばしたい』
アベルが少しばかり口角を上げた。
そんな表情も、かつて見たものに似ていた。
懐かしさのあまり、少し表情が崩れてしまったようだ。
それを見たアベルは少し首を傾げた。私はなんでもない、とつぶやいた。
『君たちにはそうする権利があるだろうさ。早く元気になりなさい』
私はアベルの頭をくしゃくしゃとなでた。
その髪の質感は、アイツのものより柔らかかった。
そこはナディアさんに似たんだな、としみじみと思った。
『もう一つ。その、ライナのあの回復魔法は、村人ならみんな使えるのですか?』
アベルの真剣な問いに、私は不覚にも笑ってしまった。
『失礼。それはない。あの子は特殊なんだ。イズールでもいなかっただろう?』
『はい。もしかしたら村で特殊な訓練でも積んでるのかと』
『いやいや。あの子のあの力は普通じゃない。私はよくわからないが、普通の魔法は空気中の魔素を体に取り込んで、自分と相性の良い属性の力に変換するんだろ?』
私の問いに、アベルは小さく頷いた。
『らしいですね。僕にはその感覚がいまいちよくわからなくて』
アベルが魔法を使えないということは、ナディアさんたちから聞いていた。
それがイズールで彼がうまく馴染めなかった原因の一つでもあるということも。
『ゲルデによると、彼女は魔素だけじゃなくて自分のエネルギーを膨大に使ってるようなんだ。だから、アレを長時間つかったり大きく治そうとするとぶっ倒れる。低血糖という症状になるそうだ。下手をすれば命に関わる』
それを聞きアベルは目を見開く。
『それは僕のときも?』
『確実にそうだろうな。あとでコードさんに聞いてみるといい』
『なんでそこまでして、僕なんか』
『目の前の人を放っておけないんだ、彼女は。助け合いがこの村の基本方針だが、ライナは時に大きく逸脱する。まるで自分がその輪の中に入っていないように。彼女の性質なんだろうな』
『僕には死ぬなと言っておきながら』
アベルは口を少し尖らせた。
不満があるときのアイツの顔にそっくりだった。
私はまた表情が緩みそうになるのを必死に堪えた。
『私の説教も半分も聞かないんだ。あの力が村の外に知られればとんでもないことになる。実験台になるか、殺されるか、奪い合いになるか。それなのに彼女は助けようとするんだ』
そんなことにならないよう、彼女の秘密を知る者たちは秘匿し続けた。村を出ることになった者の中にライナの世話になった者もいるが、彼らは決して言いふらさないと誓った。でもいつか、彼女の力が公にさらされる日が来てしまうかもしれない。私は話を続けた。
『18歳になって成人したら、彼女はきっとこの村から出ていく。それまでは村が彼女を守らないといけない。本当はずっと守ってやりたいが彼女がそうさせてはくれないさ。あと4年でどこでも生きていけるように教育を施す。それが私達にできることなんだ』
私の言葉に、アベルは納得したかのように、そうか、と呟いた。
『だから彼女はイズール語も話せるんですね』
『ちなみに、彼女だけでなく村の子どもたち全員がイズール語とリズニア語をマスターする。さらに習いたい子がいればシェルトンド語もウェルダ語もトワナ語も習わせるんだ。語学だけでなく歴史や日常に必要な事も。子どもこそ宝なんだ』
私は力強く答えた。それこそがこの村の誇りなのだから。
アベルは目を見開いた。
そんな反応は年相応に見え、心底安心した。
よかった、まだ人間であることを諦めてはいないようだ。
『すごい。僕も、こんなところで育ちたかった』
『イズールでは混血というだけでとんでもない仕打ちだったのだろう?魔法が使えない者に対する差別が酷いと聞いたことがある』
『ええ、それはもう』
『嫌なことを思い出させてしまったね。今日は遅くなってしまった。また来るよ』
『ありがとうございました。村長とお話できてよかったです』
アベルは少し気が晴れたようで、にこやかに私を送り出してくれた。
さぁ、アイツを呼び出さねば。
私は村役場に寄り、ウルマーを訪ねた。
帰ろうとしていたところだったが、私の顔を見るなりため息をつきやがった。悪かったな、仕事を増やして。
彼もまた、アイツと深い関わりがある。それが故に詳しいことは教えられない。
ナディアさんたちにも口止めしているので、彼は何も知らずにリズニアに向かうことになる。
致し方がない、こじれることは避けなければならない案件なのだから。
◇◆◇
「おや、ヘルムート。まだ寝てないのかい、珍しい」
リビングにゲルデが現れた。左手に蒸留酒のビンを持っている。
「今日は月がきれいでね。少し夜ふかししようかと」
「じゃあ飲むかい?」
「お言葉に甘えて。グラスを持ってくる」
ヘルムートは戸棚からグラスを二つとってきた。
「あんたが晩酌に付き合ってくれるのは久しぶりだね」
ゲルデはニヒヒと笑いながらグラスに蒸留酒を注いだ。赤褐色の液体がグラスを半分ずつ満たす。
「最近は大きな問題がなかったからな。ゲルデ、アベルに余計なことを言ったろ?」
そう言いながらヘルムートは酒を一口飲んだ。
「だってさ、ターコイズブルーの瞳はイズールではありえないし、あいつの若いときと似てる坊っちゃんだぜ?コードの方をちょっと脅したらある程度しゃべってくれて、ビンゴさ」
ゲルデはヘルムートにサムズアップする。グビッと酒を飲むとやっぱこれだねと上機嫌になる。
「若者を脅すんじゃない。完全にヤバいババアじゃないか。」
「まぁ、これでほぼ確定したわけだし、いいだろ?ウルマーがリズニアに行くんだろ?」
「あぁ、さっき頼んできた。秘密裏に最小人数で来るようにと伝えてもらう。近いうちにナディアさんたちにも父親を呼び寄せたことを伝えるさ」
「それがいいだろうね。あいつにアベルやナディアさんのことは?」
「いや、伝えてない。とにかく来いとだけ」
「それがいいや。逃げたら面倒だからな」
「本当に。逃げると厄介だ」
ヘルムートは遠い目をして続けた。
「ほんとあいつのバカ息子がやってくれたよ。昔はあんなに可愛かったのに。あいつが知ったら泣くな」
ヘルムートは残りの酒を飲み干した。
「亡くなってて幸せだったかもな。生きててもこの件で死んでたな」
がははとゲルデが笑う。
「医者が死ぬとか言うな」
ヘルムートがすかさずツッコミを入れる。
「気のせい気のせい!さぁ、もう一杯飲もう」
「俺は寝るぞ」
「つまんねぇジジイだな。おやすみなさい、愛しい旦那様」
「前半と後半が噛み合ってないぞ。おやすみ、ほどほどにな」
「わかってる」
ゲルデはヒラヒラと手を振るとグラスにもう一杯酒を注いだ。ヘルムートは寝室に入っていった。
「この村に新しい風が吹くんかね?」
そう呟くとゲルデは少しだけ足りない月を見上げ、グッと酒を流し込んだ。




