9話 満月を見つめて
「ご馳走さまでした」
4の月1日目、夕方のこと。
アベルとケンカして4日が経ったこの日も、ライナは夕飯を半分以上残し、静かに自身の部屋に引きこもってしまった。
食卓を囲むマチルダにティオ、ミリー、ナディア、エマ、コードはライナが部屋に行ったのを確認するとヒソヒソと会話をした。ウルマーは数日前に帰宅したばかりだったが、村長に頼まれ昨日リズニアへ旅立ったため不在である。
マチルダは小さくため息をついた。
「ライナ、まだ落ち込んでるのね」
「学校でもあんな調子でさ。俺とケリーが心配して声かけてもうわの空で」
ティオも心なしが元気がなさそうに呟いた。ケリーとはティオとライナの幼馴染の名前である。
「そう、、こうなったらティオが一発芸を」
「却下だ。母さん、やめてくれ」
ティオは母親の提案を一蹴した。
「ミリー、お姉ちゃんに似顔絵プレゼントする」
子どもたちの会話に、ナディアとエマ、コードは表情を曇らせた。
『すみません、うちの息子が何か言ったんです。あの子『別に』しか言ってくれなくて』
申し訳なさそうにナディアが頭を下げる。
『アベルのやつ、俺にも言ってくれないんです。こんなこと初めてで』
コードもガックリと肩を落とした。その瞳には薄っすらと涙も浮かんでいる。
『子どもたち同士のケンカですから、気になさらないでください。うちの子も気が強いので、きっと何かアベルくんに言ったんじゃないかしら』
マチルダはナディアにそう話す。
一同に沈黙が流れた。
しばらくの沈黙を破ったのはエマだった。
『ナディアさん、マチルダさん、ここは私に任せてくださいませんか?ナディアさん、ちょっと込み入った事情をライナさんにお話することになってしまうかもしれませんが』
『それはかまいません。エマさん、よろしくお願いします』
『娘をよろしくお願いします』
二人の母親たちはエマに頭を下げた。
エマは夕飯を食べ終わると、ライナの部屋に向かった。
◇◆◇
ライナは自身の机に伏せっていた。
"私の気持ちを押し付けてしまったんだろうか"
ライナは今まで、人を助けることはその人のためになると信じていた。助けた相手にはいつも感謝された。
今回アベルに言われたことで、自分がやってきたことが正しかったのかわからなくなってしまったのだった。
"死にたがってた人を無理やり助けたことは正しかったの?"
『なんの権利があって、お前は俺を助けたんだ』
アベルのその言葉がライナの心の奥に刺さって抜けなかった。
"私自身の死にたくなかった気持ちを押し売りしてしまったんだ"
いつも夢で見る自分は冷たい床の上で死んでいく。
何度も、何度も、何度も、その死の瞬間を夢に見てしまう。
その度に、生への渇望が蘇った。
そしていつからか、死にたくないのは万人の願いだと思っていた。
"だとしても、見捨てることはできない。私はどうすれば"
ライナは月明かりだけが照らす薄暗い室内でうずくまった。
トントントン
ドアのノックする音がした。
『エマです。ライナさん、ちょっといいでしょうか』
ドア越しに届いたのは優しいエマの声。ドアを少し開け、ライナは丁寧に断りを入れようとしていた。
『今はちょっと、、』
ライナが小さな声でそう答えたものの、エマは引き下がらなかった。
『今日は綺麗な満月ですから、お月見しましょう。さぁ、行きますよ』
エマはそういうと少々強引にライナを二階のテラスに連れ出した。
山を抜ける風は爽やかで涼しさを運ぶ。ライナは羊毛でできたラベンダー色のショールを肩からかけて、登り始めた満たされている月を見つめた。
『厚手のショールを持ってきて正解でしたね。なんて爽やかな夜でしょう』
エマもクリーム色のショールを肩からかけてライナと一緒に月を眺める。
『エマさん、私』
『アベル様のことだから、『死にたかったのに』とか言ったんでしょう』
ライナは目を見開きながら、こくんと頷いた。
顔に書いてあったのだろうか、と思わず自分の頬を擦りたい気持ちになった。
『『なんの権利があって助けたんだ』って言われたんです。私、今までそんなふうに言われたことなくて、ビックリしてしまったんです。で、お互いヒートアップしてしまい、私、アベルさんにビンタを、、』
『あら、まぁ。よくやったわ』
エマの琥珀色の瞳が月夜の中できらめいた。
ライナは褒められるとは思ってもおらず、おどおどしていた。
『アベルさんに、どう顔を合わせればいいかわかりません』
ライナは青紫の瞳に涙を浮かべた。
『少し、昔の話をしてもいいかしら?』
エマがそう問いかけると、ライナは小さく頷いた。
『コードから聞いたと思うのだけれど、私とコードはナディア様たちに仕えています。ナディア様の妊娠がわかった少し後からなので、かれこれ16年ほどですわね』
エマの告白に、ライナは思わず目を瞠った。
『そんなに前から、だったんですね。コードさんからは、村の人には馴染みのないことだから気を遣わせたくないって、内緒にしてるって言われていました』
ライナがそのことを言われたのは、ライナがアベルとケンカをする前の朝だった。家までの道のりを歩いている最中に言われ、ライナは納得した上で秘密にしていた。
『アベル様から聞いたかもしれませんが、アベル様のお父様は人族の青年ということでしたが、それ以上はナディア様は何も教えてくれなかったのです。名前ですら、この前村長とナディア様との会話で初めて知りましたし、多分アベル様もまだちゃんとは知らされていないでしょう。リズニアでもそうかもしれませんが、イズールの貴族で未婚で出産される女性はほぼいません。しかも、アベル様は人族との混血。人族を敵対視しているイズールでは、あまりにもお二人は異質な存在だったのです。貧しい土地のイズールでは人族に対する恨みが根強く残っています。もう戦争から90年になるというのに』
エマが月を見つめた。釣られるように、ライナもその方を見る。月明かりがラヴィーネ山脈を映し出しており、幻想的な風景が広がっていた。
『アベル様はどんどん荒んでいきました。同じ学校に通う子どもたちから陰口をたたかれ、周りの大人たちからも嫌がらせをされることもあったようです。私が聞いているのも多分ほんの一部なのでしょうね』
ライナは眉をひそめた。
異質な存在である、という点では共通しており、ライナにも少しだけ気持ちがわかった。
『この前も少し話しましたが、コードも最初はアベル様とケンカばかりしてたんですよ。というか、あの子がつっかかってばかりだったのですが』
エマは昔を思い出して微笑んだ。8歳の金髪の少年に対して悪態をつく、12歳の黒髪の少年が脳裏に蘇ったのだった。
『想像ができないですね』
ライナは苦笑いを浮かべた。でしょうね、とエマもまたクスりと笑ったのだった。
『アベル様は身内に優しすぎるのです。そして自分に厳しすぎるんでしょうね。まるで自分が生まれたことが大罪かのように思っていらっしゃる』
"俺が生まれなければ、みんな幸せになっていたはずなんだ"
ライナはアベルがそう言っていたのを思い出し、心が小さく悲鳴を上げた。
銀髪の少女もまた、かつて同じことを思っていたのだ。それは忘れ去りたくてもできない、現世での初期の記憶。
『アベル様に、アベル様が生まれたときのナディア様の様子を見せてあげたいです。それはそれは可愛がってすごかったんですから』
エマはふふと笑う。
『愛されて生まれてきたんですね』
ライナは寂しそうな笑顔を浮かべた。
『すみません、もしかして夜風に当たりすぎましたか?』
『いえ、大丈夫です。続けましょう。私がアベルさんを助けたのは間違いだったのでしょうか』
『まさか!ライナさんは間違っていません。アベル様が死んでしまったら、私達もきっと雪山で死んでいました。追っ手にやられてたかもしれませんし、ナディア様が先に進もうとしなかったでしょう』
エマは続ける。
『死んでしまったらそこで終わりです。生きていれば選択肢が1つ増えます。生きていけばまた選択肢が増えるかもしれません。人生ってきっとそういうものだと思うんです』
『選択肢が増える、ですか』
少ししっくりきた気がした。
死んだらすべてが強制終了するのだから。
『もしかしたら素敵な人に出会えるかもしれないし、熱中できる何かが見つかるかもしれない。そもそも悩むということは、生きている特権なのですよ』
エマは少し寂しそうな笑みをこぼした。
『私の主人は、コードの父親は、病気で亡くなりました。魔法について研究する学者でしたが、流行り病にかかって。コードが4歳のときのことです』
ライナは目を見開いた。まさか、コードやエマにそんな過去があるとは思っていなかったのだ。
『そうだったんですね。すみません、思い出させてしまって』
『いいえ、私が話したかったんです。彼は、私達を残して死んでしまうのが悔しいと言ってました。そして研究を続けたかったとも。だから私は命が許す限り生き続けたいんです。主人の分も。コードをしっかりと育てて、生き続けたいんです』
エマは力強く言った。
『夫を亡くして困っていた私達を支援し続けてくださったのが、ナディア様のお父様なのです。住むところまで支援してくださって。私達はナディア様たちをずっと慕い続けるのです』
『そうだったんですね。エマさん、ありがとうございました。話せてスッキリしました』
『うふふ、どういたしまして。ライナさんが素敵な子でよかったわ。さぁ、そろそろ寝ましょうか』
二人の会話が終わる頃には、満月は空の少し高いところから村を照らしていた。
"明日の学校帰りに、アベルのとこに行こう。きちんと謝らないと"
ライナはそう決意し、眠りについた。




