18_【ロッティ】
■冒険者ギルド【アビス】担当支部経理事務:ロッティ
モリィさんと邂逅してより5日。世界が変わりました。冗談では無しに、まさに世界が変わったのです。
これまでイライラとしながら行っていた各種費用の計算が、あり得ないほど速く進みます。
書面に起こす際には、アラビア数字から既存の数字に書き換えなければなりませんが、そんなもの些細な手間です。
計算式にしても、モリィさんより頂いた砂板を用いることで、無駄に紙を消費することもありません。羊皮紙はもちろんのこと、植物紙も消耗品として扱うには値段が張りますからね。
毎日毎日夜半までかかっていた仕事が、閉所時刻に間に合うようになるなど、思ってもみなかったことです。
おかげで、照明用の油の費用がどれだけ浮くことか。
赤字というわけでもありませんでしたが、余裕のある運営はできていませんでしたからね。
万一のために貯めておかなくてはならない資金を、これからはしっかりと貯めることができるというものです。
……1000年前に女神さまを迫害したというご先祖様方は、いったいなにを血迷っていたんでしょうね。
いえ、そういった連中はみな飢えるか焼かれるか溺れるかして死んだんでしたね。我々は生き延びることを許されたまともな人類の子孫でした。
ですから、そやつらはご先祖ではありません。
えぇ、私たちはかつての愚かな連中の轍は踏まんのです。
実際、女神さまと同郷というモリィさんですが、温厚のひとことです。それどころか行っている善業には頭が下がる思いです。
なにより、ただの施しは害悪にしかならないという考え方は、我らが盆暗ギルマスも考えさせられたようですし。
えぇ。スラムにいる貧民たちに必要なものは、施しではなく、仕事と、その仕事をするために必要な教育なのです。
それを王侯貴族の連中は分かっとらんのです。
まぁ、そのあたりはギルマスが上にあげてくれるでしょう。あれでも一応王子様ですし。
さて、この3日で私は足し算、引き算、掛け算、割り算を身に着けました。
先の3つは知っていましたが、割り算とはなんぞやと思いましたよ。掛け算の反対といいましょうか。でもこれ、倉庫整理などには便利そうですね。計算を簡単にする縦書きのやり方も、前者とは少々違いましたが、特に躓くこともありませんでした。
というかですね、これ、かなり有用なのでは?
ギルドの勘定処理が捗ります。
さて、この算術の授業ですが、本日は計算機、いわゆる算盤の扱い方を学びました。我々も算盤は使ってはいますが、使い勝手がまるで違います。
我々が扱っているものは、玉を手で持って窪みに合わせて移動するというもの。正直、面倒な代物です。うっかりすると玉が転がり落ちますしね。
しかしながら、本日頂いたこの算盤、ソロバンというそうですが、そういった心配は必要ありません。
菱形の玉が鋼の棒に通ったつくりをしているので、落ちる心配がないのです。それを指で弾いて計算をする。
慣れてくると、リズムよく計算ができます。なんといいましょうか、計算する際に、楽器を奏でるかのような楽しみが生まれるといいましょうか。
おもわずニヤリとした笑みが浮かんでしまいます。まぁ、慣れてくればこういったこともなくなるのでしょうが、現状ははるかに速くなった処理速度もあって楽しくて仕方ありません。
そうそう、リズムといえば、九九という掛け算の計算表を渡されました。それを暗記してしまえば、暗算速度が上がるとのこと。
こちらも節をつけてリズムよく唱えることで、あっさりと覚える事ができました。
まさか音楽が算術にこれほど有用になるとは思いもしませんでした。
素晴らしく感動的です。現状、若干面倒なのは、計算に使っているアラビア数字を従来使っていた数字に書き直して書類を処理する手間でしょうか。
手間というほどではありませんが、若干、それが処理を遅らせています。もうすべての公文書をアラビア数字に統一してしまっていいんじゃないでしょうか?
これも第3王子殿下に進言しておきましょう。王城の数字関連の仕事効率が、きっと跳ね上がることでしょう。
さて、この数日でモリィさんより、こういった学術的なことではなく、目に見える物品的な意味で得られるものもありました。
それらは商業ギルドにいる、私の従弟を無理矢理連れて行って、各種手続きを行わせました。
私の口利きで行き場のなくなった男爵家の4男が、問題なく生活できる程度の給金を得られる仕事につけたのですから、これくらいの手間を掛けるくらいして然るべきなのです。
……モリィさんを見た途端、挙動不審になったと思ったら急にシャキッと仕事をしだしたのは気味が悪かったですが。
間違ってもコナを掛けるなと釘を刺しておきましたが……まぁ、彼女が何者であるかは商業ギルドに伝えましたから、さすがに向こうで注意してくれることでしょう。
とりあえず、モリィさんの商業ギルドへの登録は完了しました。登録料は一時的に私が貸しましたが、ソロバンをはじめとするいくつかの商品登録と販売権の売却により、すぐに返してもらえました。
販売権の売却は大損と思うのですが、モリィさん曰く、管理が面倒であるし、子供たちの給金分は銭湯で得る収入で稼ぐから問題ないと、笑っておいででした。
商業ギルドに登録したものは、ソロバン、砂盤、黒板、白墨、といったもの。もちろん作り方も合わせて。それと商業施設としての銭湯。銭湯で使われている石鹸などは施設内のみでの使用とのことで、商品としては登録されたものの、商業登録はされませんでした。
なんでも、石鹸の溶けた廃水を下手に川に流したりすると、川が汚染され生物が棲めなくなったりするのだそうです。またそれを生活用水として利用している住人にも健康被害でるとのことでした。
そうえいば、どこかは忘れましたが、染物業を営んでいた商会が、湖ひとつを染料で汚染した結果、その湖で漁業を営んでいた漁師たちがすべて廃業するなんていう事件がありました。もちろん、その商会は国によってつぶされましたが、その湖はいまだ真っ青で、生き物が一切棲んでいないと聞きます。
なるほど。ダンジョン内であるなら、それら有害な廃水を適切に処理できるため問題ありませんが、川が汚染され、泡だらけの水が流れる場所になってしまったら大変なことです。
周辺環境を壊すわけにはいかない、ということで石鹸関連は銭湯でのみ使用することになりました。お風呂を堪能した従弟が食いついていましたが、この説明を聞き風呂上がりだというのに青くなっていましたね。
商業ギルドでは、あの商会の末路を最初に教育として教え込まれるということですからね。
まぁ、そもそも話、入浴用のお湯の用意がままなりませんから、銭湯で使用するのが一番問題ないでしょう。なにより、ダンジョン上がりで汗や血に塗れた冒険者たちが汚れを落とすための施設、として運営するとのことですし。
冒険者たちもそういった状態で街中を普通に歩くために、若干街の住人から距離を取られることもあるわけですから、商売としてはよい目の付け所でしょう。入浴料もゴブリンを数匹たおせば稼げる額です。いえ、【アビス】クラスですと、出てくるゴブリンも上位級ですから、一匹倒せばそれで十分です。湯上りの牛乳も欲するなら、2匹でおつりが来ます。
ダンジョンの機能? を利用した施設とのことですから、ある意味ダンジョンだからこその商売でしょうか? 実際にこれを真似しようとすると、お湯を用意するための燃料費や洗剤を用意するための材料費が大変なことになるでしょうからね。
既に銭湯の方は営業が始まっています。営業時間は正午から夜の……えっと、9時までとなっています。まだちょっと、この時計で時間を読むのは慣れませんね。これまでは教会の鐘で時間を測っていましたから。
昔は夜も鳴らしていたらしいですが、赤子が起きると苦情があったために、いまでは夜の鳴鐘は廃止されています。その頃であれば、9~10時くらいに鐘を鳴らしていたらしいです。今では朝6時と10時、午後の2時と6時の4回だけです。
余程の数の抗議があったのか、黙らせることのできない権力者からの抗議があったのでしょう。なにせ廃止されたのは、この街ができて100年以上経ってからのことですから。
私の生まれるずっと前のことですよ。
この時計も商品として登録しましたが、現状、この精度の物を作ることのできる職人がいません。いえ、金属細工を専門にしているドワーフであれば作れるでしょうが、どれだけ時間がかかることか。
実際、従弟が商業ギルド所属の職人に見せたところ、制作し販売したとして、売るに売れないと断言していました。
値段が馬鹿げたものになるとのこと。また王家への献上品としての一品物として制作するならともかく、普通の商品として多数作るには手間と時間がかかり過ぎるのです。そして当然その値段は“買える値段”に抑えなくてはなりません。
製作期間中の職人の生活費、材料費、なんてものを考えると、商売にならない、というのがドワーフの職人の見解でした。
まぁ、確かに、そうでしょうね。そもそも部品として使われている小さくて薄っぺらい歯車を作ることも困難ですが、それ以上に、そう簡単に壊れない強度の素材……合金となるのでしょうが、それを用意するのも大変ですし、お金もかかりますからね。
自身の技術を確かめるために1点だけ作ってみるというのであるならともかく、これで生計を立てようとは思わないでしょう。
そういえばモリィさんがギルマスの様子を見て、後から時計を渡していましたね。リングワース王家の象徴となっている大樹の模したレリーフの金ぴかの時計を。
外角部分だけ金? で作られているようで、中の時計本体部分はそこまで派手なものではありませんでした。ギルマスはご満悦でしたが……それ、国王陛下へと送らなくてはならないのでは?
いずれにしろ、これでモリィさんは王家の後ろ盾を、すくなくとも第3王子の後ろ盾は得たわけですから、身の安全は大分良くなったかと思います。
それでも馬鹿をやらかす輩はいるでしょうから、これまで通り身の安全には気を付けてもらうとしましょう。
場合によっては、ここに彼女の警護役を常駐させることも考えなくてはならないでしょう。
……ギルマス、ちゃんと考えてます? もう5日も過ぎたというのに、いまだに時計の蓋をパカパカしながら、気持ちの悪い笑顔を浮かべたりしていますけど。
なんだか心配ですね。一応、実家にも知らせておいた方がよさそうです。
とにかく、千年前の神罰の再来など、起こしてはなりませんからね。




