第九話 無力な新人
その日、渡し守 緊急対応室「仮」内には凄まじいスピードのタイピング音が鳴り響いていた。
(あやかしもパソコンとかするんだぁ……)
素直な感想だった。
私がぼんやり口を開けながら見ていることに気づいた天舞は「なんだそのアホ面は」と冷たく言い放つ。その間もタイピングの手は止めない。
私の扱いは相変わらずこんな感じだ。
「で、“仕事”は終わったのか? 新人」
この“仕事”というのはもちろん掃除の話である。
私の勝手を知りながら止めなかった、放置したと知られれば立場がやばいんじゃないかなぁと半ば脅しをかけて無理やり引っ張ってきた獏は、そっぽを向いて大欠伸までかましていた。
「……天舞さん、大変申し上げにくいのですが」
ぴたり。天舞のタイピングの手が止まる。
「実は……」
♢♢♢
「はぁぁぁ?! 馬鹿じゃないのか!? そんなやべぇ案件勝手に引き受けてきやがって! そもそも、何でいきなりそんなデカいヤマから引き受けてくんだよ!? ちったぁ考えろ! その足りねぇ頭でも、そんくらいは出来んだろ!」
案の定、大目玉をくらう。
この町へ来て、天舞からお叱りを受けるのはもう何度目だろうか。
この部屋で見る天舞の目は、大体つり上がっている。
私は何も言い返せず、ただ口元をごにょごにょと動かしながら「……れです」と小さな声で呟いた。
それがまた、天舞の怒りに火をつける。
「ごにょごにょすんな! はっきり喋れ!」
「流れです! すみません!」
「ふざけんなよ」
私は再び、渡し守 緊急対応室「仮」の床に正座をさせられていた。
「……なんで俺まで」
獏は私の隣で、不服そうに膝を折った。
「連帯責任だ」
「…………」
獏は、それ以上の口ごたえをやめて、大人しく膝の上に握り拳を置いた。
時計の秒針が刻む音だけがうるさい。とてつもない威圧感に声も出せず、私はただ天舞の言葉を待った。
「……いいか、渡良瀬沙耶」
「はい」
無意識に背筋が伸びる。
「女の生き霊だけなら“まだ”看過できた。この間の猫ん時と大体の要領は同じだからな。
だがこれは、単純な案件じゃない。死霊が関わっている。
しかもわかる情報は浅田健二という名前と男であること、そいつは“誰か”との待ち合わせを心残りにしているということだけだ。
これだけの情報で、今、お前になにが出来る?」
現実を並べられると、己の無鉄砲さが嫌というほど浮き彫りになる。
薫さんが言うには、最近、浅田健二は姿を現さないというし、まずは捜す所からになるだろう。しかしそれをするには、あまりにも情報が少ない。
それこそ今の私にできることといえば、刑事ドラマの昔気質な刑事が言う、足で稼ぐ、というやり方になる。
「……足で、稼ぎます」
私の絞り出した苦肉の策に「効率悪い」と獏が言う。まったくもってその通りで、耳が痛い。
天舞は深い皺を眉間に刻みながら、腕を組んで私達を見下ろしていた。
「見通しが甘い。出来もしないことを情に流され引き受けるな」
「っ」
ぐうの音も出なかった。ショックを受ける資格すらない。天舞はごく当たり前のことを言っている。
私がしたのはただその場しのぎの安請け合いで、出来る保証なんてどこにもないのに、結果、期待をさせてしまっている。
――情けない。
震える手を床につき、私は頭を下げた。
「勝手な真似をして申し訳ございませんでした。また、私の自己満足です。
叔父が……渡良瀬凌がなんとかすると言ったその意思を、どうしても無視することが出来ませんでした」
嘘偽りのない本音だった。
叔父はきっと本当に薫さんを、浅田健二さんを救いたかったのだと思う。しかしそれは叶わず、この世を去った。
そして、それも知らずに、薫さんはまだ渡し守の救いを待っていた。
それを知って、私にはどうしても、知らないふりなどできなかった。
どうにかしたいのに、どうにもできない現状がもどかしくて苦しい。
だから今の私にできる、最善の策を選ぶ。
「……天舞さん、獏さん。勝手なことを言っていると、自分でもわかっています。
でも……どうか、薫さんを現世に帰してあげてください。浅田健二さんを、安らかに眠らせてあげてください」
お願いします、と頭を下げる。
それこそが、情けないけれど今、私にできる最善の現実だった。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
土下座後の天舞の深い深いため息は「顔を上げろ」の合図だ。
私はそろりと頭を上げ、天舞の言葉を待った。
天舞は腕を組みながら、指先でトントンと肘を叩いている。
「……俺は過去二ヶ月分の渡良瀬が書き残した日報や書物を洗ってみる」
「えっ……」
「わりかし直近だし、そんなに遡るのは時間も掛からないだろ。……そいつらのことが何か記されているかも知れないしな」
天舞はパソコンの電源を落とし、掛けてあった上着に腕を通しながら言う。
「お前たちは葉山薫にもう一度話を聞いて」
天舞は少し考え、そして悪い顔をした。
「――足で稼げ」




