第八話 死者と約束してはいけない
竹箒で石畳を掃く。ざっざっざっという音だけが響いていた。
夏だというのにこの神社の境内に積もっているのは緋色や臙脂色の紅葉の葉っぱで、活気どころか管理されている気配もなくて薄気味が悪い。
神社というのだから何らかの神が祀られているはずだが、そもそもこの町に人間が来ることはほぼほぼないという。だとするならば、ここの神を信仰しているのはあやかしということなのだろうか。
手水舎に水もなければ石畳の一部は割れてしまっている。雑草だって伸びっぱなしで、こんな所に神がいるだなんて到底信じられない。
「というか、また掃除……」
渡し守の仕事を手伝わせてもらえると天舞からの言質を取り、すっかり浮き足立っていたが、結局私に与えられているのは清掃の仕事や町内会の手伝いのような物ばかりだった。
(まぁ、こんな特殊なお仕事でそんなにすぐ現場で実践! なんて私も自信はなかったし……)
なんとかそう言い聞かせて、今日も黙々と竹箒を動かす。
昨日はあやかし銭湯の清掃、一昨日はあやかし主催の流しそうめん大会で流しそうめんを只管に流すという仕事をこなした。
一方で獏や覚が流しそうめん大会の活気につられて迷い込んだ魂達に、いくつも声を掛けているのは見かけていた。
しかし驚くべきは自分の急成長だ。ここ数日で視ている内に、あやかしと、生き霊と、幽霊の区別が完璧につくようになっていた。
この町に多く滞在し、住んでいるのはあやかしが大半を占めている。
その中に、ふわふわと現れたり、突如として現れたりと様々だが、明らかに異質な魂が紛れ込んでいるのを感じるようになっていた。
とはいえ、まだ区別が付くようになった段階だ。
先日の猫はまぐれというか、運が良かっただけだと我ながら思うし、今の私は実践には使えないということだろう。
「……焦らない、焦らない」
急いては事を仕損じる、と言うし、ここは一旦、天舞の判断に任せるしかない。
気持ちを切り替えて、今は与えられた目の前の仕事に向き合うのみ!
――すみません
「よし、がんばるぞ!」
――あの、すみません
「ええっと、次は草むしりかな」
「すみません……!!」
「わ、びっくりしたぁ、っと、と、と…!」
突然声を掛けられ、割れていた石畳に足を引っかけバランスを崩してしまう。
「あ、あぶない……っ」
声を掛けてきた少女が急いでこちらに手を伸ばすも、虚しく空を切り、私の身体は石畳の上に転がっていた。
「ぶっくくくくく」
どこからともなく笑い声が響く。どうやらまだ、監視の目は緩んでいないらしい。
「……獏さん、笑い事じゃないんですけど」
「鈍臭いね」
「わかってます」
(ああ、空が青いなぁ……)
しばらく無心で空を見上げる。
気が済んだ頃、のそのそと上半身を起こすと「大丈夫ですか!?」と少女はもう一度手を伸ばした。
栗色のウェーブがかった、セミロングヘアの可愛い女の子だ。
高校生くらいだろうか。
「だ、大丈夫です。ありがとう……」
厚意に甘えて、遠慮なく女の子の手を掴むと、バチッ! と電流のような物がはしり、私は思わず手を離した。
どうやら女の子の方には電流は走らなかったようで、不思議そうに首をかしげている。
「せ、静電気かな……」
もう一度手を伸ばした。少女は特に気を悪くすることもなく、再び手を伸ばして起こすのを手伝ってくれる。
今度は電流ははしらなかったが、手が触れた時、すぐに気がついた。
(この子、迷い子だ……)
彼女は恐らくあの猫と同じ――生き霊。
私は立ち上がるなり、大きく息を吸い込んで叫んだ。
「獏さん! 出てきて!」
私の声に呼応するように、鳥の羽ばたきが響く。
十数秒程経ってから、その白いあやかしは渋々といった表情を浮かべながら木の上から降りてきた。
「……なにか用?」
「ちょっ、なにかって……! これめちゃくちゃ迷い子案件ですよね!?」
獏は面倒くさそうに、ああ、まぁ、そうかもね、と煮え切らない返事をする。
大方、面倒事に巻き込まれて減俸や解雇の可能性を恐れているのだろうが、そうは問屋が卸さない。
「私の監視担当って、今日は獏さんってことですよね」
「………」
「あーあ。いいのかなぁ。私を野放しにして、勝手なことされちゃったら……困るのは獏さんだと思うんだけどな……」
「……」
苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見ている。
その視線にはとてつもない侮蔑が込められているのがわかったが、使える物は使う主義なので、ここは一つ気付かないふりをしよう。
♢♢♢
「私は葉山 薫と申します。高校二年生です」
ぺこりと頭を下げた女の子に倣い、同じように頭を下げる。
「渡良瀬沙耶です。こっちは獏です」
紹介された獏は会釈どころかなんの反応も特に見せず、いつものポーカーフェイスで女の子を見下ろしている。すみません、無愛想で。と付け加えると薫さんは「いえいえ」と両手をぶんぶんと振った。
「……薫さんは、いつからこの町にいるんですか?」
「二ヶ月前くらいから。ですが、ずっとここにいるわけではなくて、上手く言えないのですが、来たり来なかったり、みたいな」
まずは世間話から入って探っていこうと思ったものの、早速わからない。
「獏さん。迷い子は迷ったら、ずっと同じ場所に留まるわけではないんですか?」
「ケースバイケース。迷い込んだ場所の境目が不安定だったり、本体自体が不安定な状態にあると、出たり入ったり、帰ったりまた迷い込んだりっていうのはある」
「なるほど……」
薫さんは心細そうに両手を重ねて、胸元に置いている。まだ高校生の女の子なのだから当然の反応だ。
――私は、少し目を細める。
あの猫は死期が近く、その影響もあって存在すべき魂の居場所が、幽世と現世、どちらが適しているのか曖昧だった。
と、するならば、薫さんもそうなのだろうか。
獏に答えを求めるように視線を向けても、驚くほど目線が合わない。なんなら興味がなさそうに、口をぽっかり開けながら空ばかりを見ている。
仕事をしろ。
「あの」
薫さんが控え目に声を掛けてきた。濁りのない、高く涼やかな声だ。
「今日お声をかけたのは、お聞きしたいことがありまして……」
「えっ、私に、ですか?」
薫さんはこくりと頷く。
「渡し守の男性をご存知ではありませんか?」
「え…………」
どくん、と心臓が跳ねた。
彼女の言う渡し守の男性――それはつまり渡良瀬 凌――叔父の話で間違いないだろう。
まさかこのタイミングで、叔父の話題を耳にすることになるとは思いもしなかった。
「……あ、渡し守、は……」
叔父はもういない。
なんと答えるべきか考え倦ねていると、さっきまで黙りこくっていた獏が割って入ってきた。
「渡し守になんの用?」
とりあえず詳細がわかるまではこちらの余計な情報は出さない、ということなのだろう。
「やっぱりお知り合いなんですね! 良かったぁ……。なんとなくお姉さん、面立ちが似てらっしゃったので」
「えっ、似てますか!?」
「似てますよ!」
「あー、ええと、実はあの人、私の叔父なんです」
「ええっ!? そうなんですか!? あの見た目で……叔父さん……。てっきりご兄妹か何かかと」
薫さんは、相当驚いていた。叔父は実年齢よりかなり若く見えるから無理もない。
「雑談はいいから、用件だけ教えて。渡し守になんの用?」
「ちょっと獏さん……」
獏は私をじっと見る。この目は“文句あんのか? やんのか? コノヤロー”だ。まだ一週間とちょっとの仲だが、なんとなく分かるようになってしまった。
獏は無口だが、結構、口が悪い。
「あっ、脱線しちゃってすみません。用といいますか……実は私、現実世界では植物状態でして」
「えっ……」
思わず息を飲んだ。
今、普通に会話をしている相手が、まさか植物状態だなんて……。
同時にこの町はやっぱり、そういう魂が当たり前のように迷い込む“普通”の町ではないのだと思い知る。
「……ごめんなさい、驚かせちゃいましたね」
薫さんは困ったように笑う。
「い、いえ……! こちらこそ話の腰を折っちゃってすみません。続けてください!」
頷いて、薫さんは再び語り始める。
「詳細はあまり覚えていないのですが、二ヶ月程前、交通事故にあったんです。生きているのが奇跡だと言われるほど、酷い状況だったと医師から両親が説明されているのを上から聞きました」
「上から……」
「体から魂だけが出ちゃってる感覚、ですかね。まさに今もですけど」
つまり、幽体離脱、ということだろう。
「数日は大人しくしていたんですが、ただ眠っている自分を見つめ続けるのも退屈になっちゃって……。
ちょっとだけ近くを散策しようと思って、病院を出て裏山の方に足を伸ばしたんです。歩いている内に……気づけば私はこの町に立っていました」
「……電波があっちゃったんだろうね」
獏はさも当然のように言った。
「強すぎる生命は、いくら境界線に立った所で弾かれるから。
植物状態、宙ぶらりん、どうなるかは本人の今後の生命力次第……そんな人間なら、ここに迷い込むのは、案外と容易いよ」
つまり私のように現世から正面突破でこの町にやってきた人間は例外であり、健康体の生きた人間の魂だけがここに迷い込むことはほぼほぼない、ということだ。
「この町をあてもなくさ迷っていた時、私は一人の青年に出会いました。突然男の人に声をかけられて、驚く私に彼はやさしく笑いかけ、自己紹介をしてくれました。
――浅田 健二とその人は名乗りました。浅田さんも、この町に来たのはつい数日前だと言っていました。
それから、私はちょくちょく病院を抜け出しては浅田さんと話をしにここに来ていました。
……深く考えていなかったんです。
でもある日、ふと気になりました。私の現実は植物状態の寝たきり……それじゃあ、浅田さんは?って。もしかして、浅田さんも同じ状況なのかも知れないって。
だから私、聞いたんです。“普段の浅田さんは今、何をしているんですか?”って。
そしたら浅田さんは、“わからない”って答えました」
「……わからない?」
「!」
獏はなにか思い当たる節があるのか、ぴくりと眉を動かす。けれど、まだ様子を見たいのか、珍しく渋い顔をしながら、薫さんの言葉の続きを待っていた。
「ただ、“誰か”と待ち合わせをしていることは覚えていて、でもそれが“誰で”、待ち合わせ場所が“どこ”なのかもわからないから困っているって……」
「ええっ……? それはだいぶ……ヒントがないですね」
思わず獏を見た。
獏は未だ、難しい顔のまま何かを考え込んでいる。
「はい。……だから私、お手伝いしたいって申し出たんです」
「――は?」
獏の低い声に、薫さんはびくりと身体を震わせた。私も驚いて獏の方を見る。
「…………」
獏は少し考える素振りをしてから「続けて」と促した。
薫さんは、素直に頷く。
「それから数回、浅田さんのうっすらとした記憶をなんとか辿りながら、二人であちこちあてもないのに探し回りました。でも、やっぱり収穫はなく……。
日を改めようと話はまとまり、あの日も私達はこの神社で別れました。その帰りです。
――渡し守を名乗る男性に呼び止められたのは」
「叔父さん……」
第三者から聞かされる叔父の存在に、改めて胸が熱くなる。
分かりきっていることだが、叔父は確かにこの町に存在していたのだ。
「あの、叔父は……渡し守はなんと言っていましたか…?」
「君はまだ、ここへ来るのは早いよって。そう言われました」
――叔父だ。間違いない。
その言葉を口にする姿が、容易に思い浮かぶ。
獏は相変わらず読めない表情で、じっと話を聞いていた。
「来るのは早い、ということは、薫さんの体はまだ、生きようと頑張っているってことですね!」
なんだか、天命を超えた底知れない人間の生命力を感じて、じんわりきてしまった。薫さんは曖昧に微笑んで頷く。
「……渡し守さん、言ったんです。あの浅田健二という男性はもう亡くなっていて、肉体は現世にはない。君が会って、話しているのは“幽霊”なんだ、って」
「えっ……」
確かに天舞が言っていた。この先、幽霊――既に死んでいるが、何らかの理由で成仏できずにさ迷い続ける魂と関わることになるだろうと。
(まさか、こんなに早く関わることになるなんて……)
「実は私……浅田さんと“約束”してしまったんです。一緒に浅田さんが待ち合わせしている人を探すと」
薫さんは、薄く形のいい唇を戦慄かせた。
「渡し守さんは言いました。死者といたずらに約束を交わしてはいけない。契りが出来てしまえば、幽世に魂を繋がれてしまうのだと」
獏が、目を伏せた。白の長い睫毛が頬に影を落とす。
「でも、渡し守さん、言ってくれたんです。“大丈夫! 僕がなんとかするから”って。
……だけどある日を境に、渡し守さんとも、浅田さんとも会えなくなっちゃって……。
私、もう、どうしたらいいのかわからなくてっ……!」
薫さんは、初めて声を荒らげた。
相当限界だったのだろう。震えながら、両手で自分の身体を抱きしめていた。
「最近は、病室に戻れる日も少なくなってきたんです……。
私、このまま死んでしまうんでしょうか……?」
震える声で「こわい……」そう呟くと、縋り付くように薫さんが、私の両腕にしがみついてきた。
――その時、バチバチッ!と再び電流が走る。
しかし、薫さんはやはり電流には気付いておらず、私の身体だけがその刺激に反応し、跳ね上がった。
なんの刺激なのかは相変わらずわからない。
でも明日――もしかしたら、今日死ぬかも知れないという底知れぬ恐怖に震える少女を突き放すことができなかった。
私は、電流を無視して、華奢な身体を抱き留めた。
「……薫さん。ここで会ったのも何かの縁です。私に協力させてくれませんか?」
気付けば口からそうこぼれていた。
「ちょっと」
何を勝手なことをしてくれてる、と獏の冷ややかな視線が言っている。
でも、何も聞かなかったことにして別れるなんて出来るわけがなかった。
だって叔父が――渡良瀬凌が彼女に向かって「僕がなんとかするから」と口約束をしたのだから。
『勝手なことしてんじゃねぇ!』
「…………」
怒り狂う天舞を一瞬想像して、すぐに頭の隅に追いやった。
「大丈夫! “私達”がなんとかします!」
「……私“達”……?」
獏が嫌な予感を察知し、げんなりとした声色で言った。




