第七話 傲慢
「大変申し訳ございませんでした」
【渡し守 緊急対応室「仮」】
簡易的に書かれ、取ってつけたように貼られた一室にて、獏・私・覚の順番で並んで正座をさせられていた。
勿論、堂々の契約違反をした私達に座る椅子はないということだ。
減俸がどうのと言っていた割に覚は「そんなに怒らないでよ天舞〜」と軽薄な笑みを浮かべているし、獏に至ってはただぼんやり壁を見ている。
つまり今、バカ真面目に頭を垂れているのは私だけ、という事だ。獏に倣い床の染みでも数えてやり過ごしてやろうかとも考えたが、残念ながら、この部屋の床はやたらとぴかぴか光っていて染み一つない。
「覚」
「うん? 何かな、天舞」
「俺はお前にこの女の“監視”を頼んでいたはずだが?」
「うん、だからしてたよ。ちゃあんと。ね、沙耶ちゃん」
ここはお休みターンだと息を潜めていたにも関わらず突然会話の中心に押し出され、私はいやいやいや! と首を振る。
(というか監視されていたなんて事実、初耳なんですが!)
覚に冷ややかな視線を向ければ、にこりと微笑み返された。
この男、無駄に顔がいいのに加えてお得意のおべんちゃらでこれまで相当許されてきたに違いない。まったくもって理不尽な世の中だ。
「渡良瀬沙耶」
「はい」
低い声で名前を呼ばれ、姿勢を正す。
赤い吊り目が精査するように、上から下までをなぞってくる。私はこれ以上叱られないようにと細心の注意を払いながら、小さく呼吸をした。
「……で、どうだった? 渡し守の仕事は」
「へ」
「……なんだ、その間抜けた声は」
「すみません、もっとこう……ちくちくネチネチ言われると思っていたので」
「それが望みなら言ってやろうか? 本来なら即刻クビにしてやりたいくらいだから、その辺ゆめゆめ忘れるなよ?」
「はい、すみません」
天舞からのお叱りで一番の正解。それは、余計なことは言わずに謝罪をすること。事前に覚に教えられていたのだが、完全に藪蛇だった。
「いいか? お前のやったことは要資格の職種にも関わらず、無資格で働いたようなもんだからなバカが」
「大変申し訳ございませんでした」
天舞の温情に今回ばかりは甘え、再び姿勢をぴっと正した。
「……渡し守の難しさを早速知りました」
ぴくり、と天舞の眉が動く。
一応、話を聞いてくれるのだろう。どかりと椅子に座って組んだ脚の上に頬杖をついた。
「渡し守は迷子を正しい世界へ送り届けるお仕事だと、理解はしているつもりでした。だけど私は……迷える魂を送り届ける、その先にまで、当たり前のように関与しようとしました。
……傲慢でした」
ここに来てから、何度唇を噛んだことだろう。
大切な人を失うのは悲しい。それこそ、この先の自分の人生をどう生きればいいのか見失うほどに。
だけどそれもただの私の主観に過ぎない。
あの時、私が真っ先に寄り添ったのは、猫を待っているであろう飼い主側の気持ちで、猫側の気持ちではなかった。
当たり前に、猫も、一人で逝くのは寂しいだろうと勝手に決めつけて。
誰かを見送ることはあっても、誰かを遺して死んだことがまだないから、どうしたって人間は故人を偲んでばかりいる。
それなら遺していく側の気持ちは、どうすれば知れるのだろう。
叔父は死ぬ時、一体どんなことを考えたのだろう。
何を望み、どんな人生だったと振り返ったのだろうか。
「……一人で死ぬのは悲しいことだと勝手に思い込んで、あの猫を飼い主の所まで帰せたらと思ってしまいました。未熟でした。
獏さんのおかげで……それは間違いだったと気付かされました。本当に申し訳ございませんでした」
水を打ったような静寂が降りた。
沈黙を破ったのは「顔を上げろ」と言う天舞の苛立っているような、かと言って怒りは含んでいないような複雑な声だった。
顔を上げると、天舞の双眸は相変わらず鋭くこちらを捉えていた。
「――傲慢だな」
当然の評価だった。
もしかしたら、渡し守の資格がないから帰れと言われるかも知れない。
そうなった時、私はもうこれ以上なにも出来ず、叔父の真意も、死の真相もわかることなく、一生治らない傷のような物を抱えて生きていくことになるのだろうか。
(ああ……それは、いやだな……)
諦めかけたその時、ふわりと目の前に影が下りた。
「だが、それが人間だ」
「……え」
天舞が片膝をついて、同じ目線でそう言った。
「生きている人間が死んだ人間の全てを知ろうなんて無理だろ。死んでるんだから。
だから生きている人間は考える、偲ぶ、慈しむ、嘆く。
本来なら、生きている人間が天国だなんだって死んだ人間のその先なんざ考えなくていい。死んだ人間が、生きている人間のその先なんざ考えなくてもいい。
……それでも都合よく考えてしまうのが人間なんだよ。
愚かで、弱くて、幸せな種族だ」
言われてみれば、確かにそうだ。
生きている人間が、死んでしまった人の胸中を……人生を知ろうなんて、到底無理な話で。
天国だって、亡くなった人にまた会いたい、きっと幸せでいてくれる、と生きている人間が都合よく考えた架空都市に過ぎないのかも知れない。
だって、今、生きているその“世界”こそがその人の現実なのだから。
「だからこそ、渡し守が必要なんだ」
「渡し守………」
なぞるように呟く。
叔父がこの地でただ一人生きると決め、務めていた仕事。
「在るべき魂は在るべき魂の場所で。現世も幽世も、それぞれの現実で生きるし、干渉し合ってはいけない。迷い込んだのなら正しく送り届ける。ここだけはねじ曲げちゃいけねぇんだ。
――俺たちはこの町で、渡し守を守り、助けるあやかしだ」
「……あや、かし」
「守護あやかしと呼ばれている」
天舞は片膝をついたまま、少しだけ私を見下ろしていた。最初の値踏みされたような視線とも違う。さっきまでの、こちらを精査するような視線とも違う。ただ心の内まで覗き込まれているかのような、静かな瞳がこちらを見ていた。
ふわりと白檀の香りが鼻腔をくすぐる。
天舞の指が私の顎を掴み、顔をさらに上げさせた。
「……やっぱ俺は、今すぐお前に渡し守をやれとは言えねぇ。何より俺はまだお前を認めちゃいないし、渡し守は、そんなあまっちょろい仕事でもねぇ」
「…………」
「もし本格的にやるってんなら、拠点だってこの何もない田舎町になるし、これまでの生活はまず送れないものと思え」
「……はい」
「だが、今すぐ荷物まとめて帰れとも言わねぇ」
「え……」
「そんなにやる気があんなら、手伝わせてやるよ」
天舞は私の顔をやや乱暴に離すと立ち上がり、再びどかっと椅子に腰かけ、テーブルの上の山積みになった書類に目を向けた。
「……え、えっ」
動揺して立ち上がれないでいる私に「やったね沙耶ちゃん」と覚が声をかけ、立ち上がらせてくれた。
「わ、私、渡し守のお仕事、手伝わせてもらえるんですか!?」
「そうだよ! 実績作り大成功だね! 天舞やっさしい! いいとこあるじゃん!」
やけにテンションが高い覚に「うるせぇ!」と言いながら、怒涛のスピードで書類の山に判子を押している。
このペーパーレスの時代にあやかし社会はまだ追い付いていないようだった。
そこで私は、ハッとする。
「というか、皆さん、あやかしなんですね」
「え、今さら?」
「いやぁ……やたらと“人間が!” とか言われるし、覚さんとかもちょくちょく変な能力を使ってたけど、フォルムがあまりにも人間なんで……。深く考えないようにしていたといいますか」
私の鈍感っぷりにか、しどろもどろな言い訳になのか、はたまたその両方なのか、天舞は今日一番の深い深いため息をついた。
「お前、霊力が高すぎてあやかしや幽霊が当たり前に見えすぎてんだよ」
「えっ」
「今まで“普通の人間”だと思って接していた相手が実は幽霊だった、とか、案外あるかもな」
天舞は、くくっと少し意地悪く口角を上げて笑った。
「えっ、なにそれ、こわい……」
「ご愁傷さま。でもまぁ、これからそういうのと当たり前に接してもらうからな」
「幽霊も、ですか」
「当然」
初めて出会った迷い子が可愛い猫の生き霊だったのは、幸いだったのかも知れない。
「あ、獏」
「なに」
「お前はあとで居残り。理由はわかるな」
「……」
「猫。干渉」
「………」
「言い訳は聞いてやる」
「……うん」
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